2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「清浄に生きる」
相手がウイルスでは、ジタバタしたってはじまらない。
一定の対策のあとは、いまこの瞬間を清浄に生きることです。
清浄と正常は、同じ音です。
清浄であることが正常です。
新型コロナウイルスに関して、メディアが大々的に報じています。
裏に何があるのかは知らないけれど、国内の死亡者数をみれば、まだ3桁にさえ達していません。
これに対し、減ったとはいえ、不況による国内の年間自殺者数は3万人ほどもあるし、インフルエンザによる死者数は、毎年4桁に達します。
果たして、ここまで大騒ぎする必要があるのかと、誰もが思いながら、それでも、自分が感染源となることは避けたいからと装着したいマスクは、相変わらず店頭から姿を消しています。
背景にあるのは、中共つぶしであることは、ほぼ明確であろうと思います。
その中共は、どうせ死ぬなら日本も道連れと、日本攻撃を世界中で展開しているし、欧米各国から見ても、指導者層は日本とチャイナ、コリアが別の国という認識がありますが、中華マネーに汚染されたメディアは、日本とチャイナ、コリアの区別をしません。
つまり、不衛生な中共と日本は同じ沿線上にある東洋の黄色い猿の国であり、とりわけ日本は、自分たちの財産であった植民地を奪った主犯であるという恨みが、いまだに糸をひいているわけです。
その過程で、欧米メディアが安倍総理叩きの記事を少し出すと、日本の半島系反日メディアは、大喜びで海外でも安倍総理が叩かれていると報じます。
とんでもない話で、今回の新型コロナウイルスの問題は、中共が発信源で、日本は被害者です。本末転倒もいいところです。
それにしても、新型コロナウイルス問題が国会を沸かせる前は、野党は桜を見る会ばかりやっていましたが、桜を見る会で死んだ人はいません。
新型コロナウイルスも、騒いでいるほどには、いまのところ人は死んでいません。
その一方で、自殺者の問題や、昨年来顕著になっている災害対策問題、あるいは人口減少に伴う今後の産業育成という課題など、国家において大切なことはまるで議論されません。
加えて国会における野党の態度は、総理や閣僚を、まるで犯罪者へのリンチ(私刑)のごとしで、言葉も荒く、汚く、そこに行政を行う大臣への尊敬も感謝もまるで見えません。
つまり人として、社会人としての礼儀も作法もまるでなっていないわけで、そんな程度の人物、日本人を代表する、あるいは有権者を代表する国会議員である、政治家であるというのですから笑止千万です。そもそも日本人であるかさえも疑わしい。
昔からそういうものをして「栲衾(たくぶすま)」と言いますが、「栲」というのは、むごく叩きまくることを表す字であり、衾(ふすま)という字は、古語においては布団を意味しました。また読みの「ふすま」なら、室内の間仕切りのことです。
いずれにしても、布団は寝るためのものであり、ふすまは間仕切りに使うものであって、バンバンとかしましく叩くものではありません
そういう意味のないことをかしましく行う人や国のことを、昔は「栲衾(たくぶすま)」と呼んだわけですが、まさにいまの野党やメディアは、「栲衾の野党」であり、「栲衾のメディア」となっているのは、実に馬鹿らしいことです。
いずれにせよこの状態が続けば、中共のみならず我が国の産業や商業にも、今後甚大な損害が発生していきます。いやすでに発生しています。
そしてそのことは、我が国から労働市場を奪うことになるし、それによって所得にも大きな影響が出ます。
東京オリンピックは、これは夏場ですので開催に至ると思いますが、選手団のみならず、観客等のなかに、ひとりでも感染者が現れれば、日本の政府は国の内外から激しく非難を受けることになるでしょう。
というよりも、政治というのは、火のないところに煙を立てるのが政治と思い込んでいる人達が世の中にはいるのですから、感染者が仮にゼロであったとしても、誰かを感染の疑いありとして針小棒大に大騒ぎするであろうことは十分に想定できることです。
あまりにも馬鹿げたことですが、そんな馬鹿げたことにばかり人生を捧げている馬鹿者が、一人前の社会人のような顔をして歩いているのがいまの日本ですし、そういう馬鹿者を利用して金儲けに利用しようとする利得者が背後でチラチラしているのがいまの国際社会です。
それがわかっているなら、日本人はいまこそ襟を正さなければならないのですが、それもできないでいる。
ならば、現実にバンデミックを起こしてしまうほかはないと神々がご判断されても、もはや仕方がないところまできているのかもしれません。
その場合何が起こるかは、過去の歴史が証明しています。
人口の8割が失われることになります。
いま1億2600万人ある日本の人口が、短期間のうちに2500万人にまで至る。
神々の御意思からすれば、それはまさに鎧袖一触(がいしゅういっしょく)のことでしかありません。
では今後、どうやって生き残ればよいのか。
答えは「令和」の元号が示しています。
令和の「令」は神々の御声の前でかしずく姿の象形、「和」は「なごむこと」です。
つまり令和という元号の意味する「示し」は、神々の前でかしずく心で、和(なご)みの心を得るというものです。
これは、令和年間が終わる頃になると、結果として世の中がそうなっていると誰もが気付くというものであるということは、以前に述べた通りです。
現状はどうかというと、令和という言葉が持つ意味とは正反対の状況にあります。
つまりそれが、いっきに変化していくことを、令和という元号は示しています。
もっとはっきりいえば、
「神々の前でかしずく心で、和(なご)みの心を持ったものが生き残る」
ということです。
そのためにどうしたら良いかといえば、こたえはひとつ。
「じたばたしない」
です。
欲を捨て、いますべきことを粛々と行うことです。
これを古い言葉で、「なかいま(中今)に生きる」と言います。
人は過去に生きているわけでもなければ、明日に生きているわけでもない。
5分前の過去は、すでに過ぎ去った記憶でしかなく、5分後の未来も存在していません。
なぜなら5分経ったら、その時点が「いま」になっているからです。
つまり、極論すれば、人には「いまこの瞬間」しかないのです。
その瞬間瞬間に、神々の前でかしずく謙虚な心を失わず、欲を捨て、たいせつなことのために、たいせつな時間を過ごしていく。
正しく清浄に生きていく。
相手がウイルスでは、ジタバタしたってはじまらない。
一定の対策のあとは、いまこの瞬間を清浄に生きることです。
清浄と正常は、同じ音です。
清浄であることが正常です。
一日24時間は、15秒だけ「ズレ」があります。
その15秒が4年積もると、うるう年になって、2月が一日増えます。
ほんのわずかな違いが、長い歳月の間に、大きな違いとなるのです。
瞬間瞬間を清浄に生きるように勤めた人生と、瞬間瞬間を他人の悪口や憎しみや恨みや愚痴で過ごした人生では、それが5年たち、10年たち、20年、40年、80年と積み重なったとき、大きな違いになるのはあたりまえです。
これから起きる感染症対策による中共経済の崩壊は、単に疫病問題にとどまらず、間違いなく世界の経済に大きな影響を与えます。
そのショックは、リーマンショックや、かつての世界大恐慌に匹敵するか、あるいはそれ以上のものとなると思います。
もしかすると世界の経済は崩壊するかもしれないし、人類社会の国際関係図も大きく変容を遂げていることになるかもしれません。
そうしたなかにあって、いま日本がすべきことは、日本が本来「天皇の知らす国」であることを、できるだけ短期間の内に拡散していくこと。日本人の常識にしていくことにあると思います。
ねずさん