2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「欠陥だらけの憲法を大事に戴いていいのか」
仮に、天皇陛下が国会の開院式に臨まれて、「日本国憲法の規定に従って、国会を解散する」と仰言せられたとしたら、読者諸賢はどう思われることだろうか?
もちろん、陛下がこのようなお言葉を述べられることは、ありえない。
憲法第7条【天皇の国事行為】は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と述べ、「一、憲法改正、法律、法令及び条約を公布すること」から、「十、儀式を行ふこと」まで10項を規定している。
天皇陛下がご自分の意志によって、政治に関与されることはあってはならない。
読者諸賢は国会を解散できないし、衆議院は解散できるが、参議院を解散することができないことを、承知されていよう。
ところが、憲法第7条は「四、国会議員の総選挙の施行を公示すること」と、規定している。
中学生でも、「総選挙」が衆議院議員選挙についてのみ、行われることを知っていよう。
したがって憲法第7条4項は、大きく間違っている。
恥しいことに、現行の日本国憲法は欠陥だらけだ。第7条はその一例にしかすぎない。
いうまでもなく、憲法は国の最高法規である。その憲法に明白な間違いがあるのを放置して、よいのだろうか。
私たちはこのようなトンチンカンな憲法を73年にもわたって、後生大事に戴いてきた。
トンチンカンは漢字で「頓珍漢」と書くが、鍛冶屋が交互に相槌(あいづち)を打つべきところ、へまで、かみあわないことから、とんまな物ごとをいう。
まさか、憲法についてトンチンカンといえないはずだが、現行憲法はトンマだ。
だが、どうして日本国民は今日にいたるまでこれらの明らかな誤りを正すことなく、70年以上にわたって、無為に過ごしてきたのだろうか?なぜ、憲法を大切にしないのか。
もし、日本国憲法が日本人の手によって起草され、公布されたのだったとしたら、憲法の前文、第9条などは、当然のことに、改められていたことだろう。
このような憲法を戴いていては、日本の安全と独立を守ることが、とうていできない。
それなのに、全国から欠陥憲法を改正しようという声が、ごうごうと起ることがない。
“護憲派”の人々は、憲法を大切にしているどころか、憲法を粗末にしているから、憲法に見過ごしてはならない欠陥があっても、護ろうと叫んでいるのだ。憲法はどうでもよいというから、無責任だ。
現行の日本国憲法は、日本の歴史的な伝統はおろか、日本語の読み書きもできない、占領軍のメンバーによって書かれ、日本政府に強要されたものだった。きっと外(と)つ国(くに)の神々によって降(くだ)されたものだから、国民が身近に感じることがなかったのだろう。
政府は中東情勢が緊迫したために、海上自衛隊の護衛艦1隻と、哨戒機を急遽派遣した。
野党が憲法が制約しているからといって、「自衛隊を危険なところに送るな」と、反対した。
それならば、まず日本の民間のタンカーを危険な中東に送ってはならないといって、反対するべきではないか。
加瀬英明