「天網恢々疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」

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老子の履歴について論じられた最も古い言及は、歴史家・司馬遷(紀元前145年 - 紀元前86年)が紀元前100年頃に著した『史記』「老子韓非列伝[7][8]」中にある、三つの話をまとめた箇所に見出される。

「天網恢々疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」とは、老子の言葉だと言われています。第73章で言われています。
中国人が言う「聖人」とは、政治のことです。それに気をつけなければいけません。日本人が聖人というのは、キリストやお釈迦様や日蓮大聖人さまなどの哲学的な人のことを言います。
 
中国の場合はそうではありません。韓非子にしても、孔子にしても「聖人」といいます。韓非子の教えはひどい教えです。韓非子の教えで有名な教えがあります。「君主たるものは必ず二丙(にへい)を持たなければいけない」というのです。
 
その二丙を絶対に離してはいけません。臣下がよいことをやれば、君主は褒美を与えるのです。悪いことをすると、罰を与えるのです。それで、天下を動かしていくのです。そのほかの屁理屈はいりません。これを二丙(にへい)といいます。これは有名な韓非子の言葉です。
 
「それ以外の教えを説く人は偽物であるから、孔子の教えは全くいらない。埋めてしまえ!」と言って、始皇帝は儒学者を生き埋めにしてしまったのです。韓非子でも「聖人」というのです。
 
中国人の言う「聖人」とは、政治哲学なのです。「どのようにして人間が生きたらよいのか?」という話は一切ありません。「どのようにして生きるのか、ということは関係ない。政治がうまくいけばよいのだ。政治学について教えてやろう」ということです。老子もそうです。
 
中国の孔子・老子・孟子は有名です。老子の「天網恢々疎にして漏らさず」というのも、中国人の政治哲学です。「悪いことをしてもよいぞ。やってみろ!」ということです。天の神様は人間が作っている社会の上にあるのです。そこから見ているからすべてわかるのです。
 
天の神様は直接、手出しはしないけれども、「そこに馬鹿な人間がいる。必ずあいつは滅びるぞ」と見ているのです。古来から、そうなっているのです。織田信長もそうです。独裁者は滅びてしまうのです。
 
武田信玄もそうです。結構良いこともやっているのですが、行いが過ぎると、天の神は許さないのです。少しぐらい良いことをしたからといって、天の神様は認めてくれません。
 
これを言ってみると因果応報と言うのです。仏法で言うと、因果倶時(いんがぐじ)ということです。やったことは、すべて自分に帰るのです。神様は天から見て、人間の社会を網の目のように見張っているのです。
 
人間は、「天の神はいないだろう」と考えるから悪いことをするのです。共産主義者は「神はいない」と思っています。だから簡単に人殺しができるのです。本当は、天の神はいるのです。だからすべて罰が自分に帰るのです。悪人は悪人として、天の神に処罰されるのです。
 
児玉誉士夫は「悪いことをしすぎたな。だから、こんなことになって死ぬのか」と言ったのです。みんなそうなのです。田中角栄もロッキード事件の後に両足を斬って、癌になって死んだのです。田中角栄が日中国交回復をやったおかげで、中国は経済的に豊かになり、原爆は400発も日本に向いているのです。悪いことはできないものです。
 
これがわかっている人は、悪いことをしません。すべて自分に返ってくるのです。日本に原爆を落としたエノラ・ゲイの搭乗員の連中は、50万回も殺されることになるのです。
 
自分のやったことによって未来が定まってしまうのです。エノラ・ゲイの搭乗員は日本に原爆を落とした罪により、50万回殺されるのです。天の神様は見ているので罰を受けるのです。
 
金正恩も大変です。人を殺さなければよいものを、面白いように人を殺してしまっています。人の命を紙くずのように殺してしまうのです。「おいお前、どこを向いているのだ? こっちを向いていろ」「お前今笑ったな。よし消せ」これで人間が消えてしまうのです。
 
「笑った」とか、「目つきが悪い」とか、それだけで「なんだその態度は、殺せ!」と言われて殺されてしまうのです。そうなると、人の命が羽毛のごとく軽いものに思えてしまうのです。
 
ちょっと指を動かせば、一人の命が消えてしまうのです。ヤクザの世界もそうです。「あいつを殺せ」という場合はそんな命令は下しません。証拠が残ってしまいます。鉛筆で名前を書くだけでよいのです。
 
そうすれば翌日には死体であがっているのです。親分が何かを言ったわけでもありません。書いた紙はその場で燃してしまえばよいのです。子分が「わかりやした」と言えば、東京湾に死体が浮かぶのです。
 
親分は手を汚さないのです。手を汚さないから面白いように人殺しができるのです。「あいつ憎たらしいな」と言えばよいのです。人間は気に入らない奴は殺してしまうのです。
 
大阪の金貸しをやっている人間と知り合ったことがありますが、表面は商売人です。話を聞いているとちょっと変なのです。「趣味は何ですか?」と聞くと、「指を集めること」と言うのです。
 
それが趣味なのです。お金を貸して返せないと「指を持ってこい」というのです。お金を返せないといきなり代紋を出してくる奴もいるのです。

「俺はここのもんだけどよ!」とすごむらしいのです。
 
すると「ああそうですか。いいものを持っていますね」と言って、自分は金でできた代紋を押し出すのです。相手が出したらやり返すのです。何組みかは言わなかったけれども、多分、山口組同士です。
 
代紋をシルバーとか、金で分けているのです。金の代紋を出すと、相手は震えてしまうのです。「代紋をだしたなお前。では、指をいただくぞ」というのです。それが事務所の後ろにずらりと並んでいるのです。
 
それは余計な話ですが、人間は人殺しを軽く考えるようになってしまうのです。「わからなければよいのだろう」と、麻原彰晃のようになってしまうのです。死体を焼けば証拠はありません。
 
オウム真理教で焼却炉ができたときに、麻原彰晃が一番喜んだのです。焼却炉の名前を「勝利」と言ったのです。ビクトリーという意味です。死体を燃してしまえば、証拠はありません。何もなくなってしまうのです。
 
殺人事件というのは、証拠がなければ罪になりません。何でもそうです。「ここでこの刃物で殺しました。誰がやったのだ? お前がやったのか?」「やりました」と言って、証拠があって、死体がなければ罪になりません。
 
麻原彰晃は、「すべて燃してしまえばよい」と考えたのです。すると永久に死体は出ません。だから、「勝利だ」というのです。死体が出なければ絶対に捕まりません。ヒドイ野郎です。そのように考えたのです。
 
それと同じでだんだん偉くなって出世すると、まずお金で勝負をかけてきます。「相手にお金がたくさんあるぞ」と思うとなめられません。「お金がない? わかった。いじめてやろう」と思うのです。それで、悪いことをたくさんするのです。
 
今で言うと、女を売り飛ばしたり、覚醒剤を売りつけることです。覚醒剤はやればやるほど、やめられません。そのようなことをやっている奴は、昔からたくさんいたのです。
 
しかし、「天網恢々疎にして漏らさず」です。天の網は張られていて、どんな小さなことも、悪いことでも神はすべて見ているのです。必ず悪いことをした奴には、お灸をすえていくのです。
 
「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉を知っていれば、悪いことはしなくなるのです。すべて自分に返ってくるのだなとわかるのです。反対に良いことをした場合もそうです。
 
良いことをすれば良いことは自分に返ってくるのです。悪いことをすれば自分に帰るのが当たり前です。これを自慢していた「Y」という人がいます。口では「天網恢々疎にして漏らさず」といいながら、あっちで詐欺、こっちで詐欺、めちゃくちゃな奴がいたのです。そのような奴もいるのです。口先で誤魔化されないようにしなければいけません。
 
「こんなことを言っているからよい人だ」と思ったら、とんでもありません。また逆に裏を行く奴もいるのです。習近平もそうです。チベットの虐殺、ウイグル人の臓器狩り、あんな悪いことをやっていたら、もう天の神に見放されてしまいます。
 
「天網恢々疎にして漏らさず」です。どこにいても天の神様は見ているのです。

習近平はコロナウイルスの問題で、天皇陛下に会うことはできません。今、多くの中国人がコロナウイルスに感染しているのも、中国人全体がおかしな方向へ進んでいるからです。
 
天の神様は見ているのです。「お前、おかしなことをやっているのではないぞ。ウイグル人の人権はどうなったのだ? チベットの人権はどうなったのだ? そんなことをやっていると中国人が滅びるぞ!」とみているのです。
 
中国人が一番滅んでいるのは、やはり戦争です。その次に細菌です。疫病が流行って中国人は何度も滅んでいるのです。このようなことをよくわかっていかないと、いけません。

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