2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「災害に備えた江戸の街並み」
災害に遭うのはかなしいことです。
けれど、生き残りさえすれば、また復興することができる。
生命をつなぐことができる。
そういう文化をしっかり持っていたから、日本は上はお役所から、下は民衆に至るまで、木造建築物に住んだのです。
これらは私達が日本列島に住む以上、常に考えていかなければならない課題です。
上にある写真は、江戸時代の街並みの残る千葉県印旛郡栄町の写真です。
ご覧いただいて、どのようなことにお気づきいただけるでしょうか。
1 道路に面して家の屋根の向きが皆同じ
2 家屋が木造で二階建ての家しかない
3 道路が未舗装だけれどゴミがない
4 各家に土間がある
5 空が青空
6 道路が意外と広い・・・
等々、さまざまなお気づきがあるかと思いますが、大事なのは1と2です。(3もかな)
道路に面して切り妻の屋根の向きが皆同じで、しかも二階屋しかないということには、実は理由があります。
災害対策のためです。
木造住宅ですから火に弱くて、火災が発生すると町がそっくり焼けてしまうというリスクがあります。
ですから日頃から火事にはみんなで気をつけるし、万一火災が発生したときには、ボヤのうちに消し止めれるようにと、火の用心の防火桶などを辻ごとに設置したりもしました。
それでも火災が大火になることがあります。
そのときは、町火消しさんの出番で、町火消しさんたちは、延焼を防ぐために家を引き倒したのは、皆様ご存知の通りです。
このとき、道路側に引っ張って倒した家屋が、向かいの家を壊したらなんにもなりませんから、道路の幅は、家の高さに比例するように建てられました。
ですから基本的に家屋は二階屋までです。
三階建や四階建ての家屋をつくるだけの建築技術は、お城などに明らかなように、すでに大昔に確立していましたが、火災の延焼を防ぐために(家を引き倒すから)、家屋は二階屋までとされていたのです。
ですから、長屋のような平屋建ての住宅の場合は、道路幅は、上の写真のものよりもずっと狭くなります。
要するに、家屋の高さに応じて、道路幅が決められていたわけです。
戦後に半島系の人たちによって建てられたドヤ街と呼ばれる街並みは、道路が人ひとりが通るのがやっとといった狭いものであったりしますが、いまではそうした戦後のドヤ街がノルスタジックだなどといいだす人もありますけれど、それは災害の多い日本の文化ではありえないことです。
火災が起きたらどうするのか。
この点をまったく考えていないからです。
火災に際しては、家を引き倒しやすいように、花釘(はなくぎ)と呼ばれる木製の釘が各戸に取り付けられていました。
町火消の人は、はしごにのぼり、大鎚(おおづち)を使って、その花釘をコンコンと叩いて外します。
すると家は、簡単に手前に倒せるように設計されていました。
また、これらの家屋は、すべて鉄製の釘を一本も使わずに建てられました。
なぜそうしたかというと、火災の消化後、瓦礫の撤去には女子供も手伝いますが、釘があると、それを踏んでしまって怪我をします。
ですから釘を使わないで、家を建てたのです。
そんなに火事が心配なら、最初から石造りやレンガ造りの家にすればよいではないかと思う方もおいでかもしれません。
しかし日本の災害は、火災だけではありません。
地震もあれば、鉄砲水もある。
地震によって家屋が倒壊したとき、あるいは大水によって家が土砂に埋まったり、全半壊したとき、すみやかにこれを復旧するためには、石造りやレンガ造りでは、被災して瓦礫となった家屋の片付けや撤去ができにくい。
瓦礫の処分にも困ります。
木造であれば、なるほど家は跡形もなく残骸になってしまうかもしれませんが、簡単に瓦礫の撤去ができます。
太い柱であれば、表面の汚れを削り取れば、再生利用も可能です。
そして、またすぐに住めるようになります。
ちょっと考えれば誰にでもわかることです。
鉄筋コンクリート造りの街並みは、ひとたび瓦礫の山になれば、その瓦礫の撤去だけでも何年もかかります。
また住めるようになるまで、人々はどうやって生活したら良いのか。
ところが釘さえも使わない木造住宅であれば、たとえ焼け野原になっても、たちまち瓦礫を安全に処分でき、日頃から木材さえ確保しておけば、またたく間に町を復興できる。
日本は広大な国土があって、街が壊滅したら、また別な場所に街を造れば良いという国とは異なります。
どこまでもいまいる場所を大切にしていかなければならない。
そう考えると、高層ビルが乱立する日本の昨今の都会の街並みは、何も考えていない、いまだけ良ければあとのことは知らないといった、たいへんに無責任な街並みに思えてきます。
要するに銭金に明かした馬鹿者の街です。
もちろん、高層ビルなどがそれなりの耐震耐火構造物であることは認めます。
しかし想定内の地震、想定内の台風ばかりがやってくるわけではないのです。
災害に遭うのはかなしいことです。
けれど、生き残りさえすれば、また復興することができる。
生命をつなぐことができる。
そういう文化をしっかり持っていたから、日本は上はお役所から、下は民衆に至るまで、木造建築物に住んだのです。
これらは私達が日本列島に住む以上、常に考えていかなければならない課題です。
通りすがりの出稼ぎで、いま稼げれば良いというドヤ街を作った人たちとは違うのです。
ねずさん