「83円を手に日本へ」

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83円を手に日本へ、ガム皮切りに総資産115兆ウォンの企業を築いた「巨人」辛格浩

ロッテグループの辛格浩(シン・ギョクホ)名誉会長(日本名・重光武雄)は1942年、わずか83円の資金を持ち、日本に渡った。

そして、78年後の現在では資産115兆ウォン(約10兆9000億円)、売上高90兆ウォン、世界20カ国余りで従業員18万人を率いるグローバル企業「ロッテ」を創り上げた。特に1960年代以降は韓国の産業が重化学、電子、自動車など大規模な設備産業を中心に成長する中、国民の実生活と直結する流通、食品、観光などの分野を開拓して発展させた企業経営者として評価されている。

■日本で創業、韓国で開花
 
1942年、21歳の辛格浩氏は蔚山から下関に向かう船に一人乗った。21年10月、蔚山市蔚州郡三南面の平凡な農家で五男五女の長男として生まれ、「勉強をし、カネを稼いで、一族を興したい」と思い、日本行きを選んだ。韓国に最初の妻、盧順和(ノ・スンファ)氏(1951年死去)と出生間近でまだ腹の中にいる長女の辛英子(シン・ヨンジャ)元ロッテ奨学財団理事長を残して旅立った。

辛名誉会長は牛乳配達のアルバイトをしながら、早稲田大夜間部化学科に通った。本格的な事業開始は1948年に従業員10人と始めたガム工場だった。社名のロッテは幼い頃、文学研究者になることが夢だったことから、小説「若きウェルテルの悩み」のヒロイン、シャルロッテから取った。

1952年に日本の良家の娘、重光初子氏と再婚し、辛東主(シン・ドンジュ、日本名・重光宏之)、辛東彬(シン・ドンビン、日本名・重光昭夫)兄弟をもうけた。

韓国進出は辛格浩氏が日本で創業して以来の夢だった。韓国事業は1963年、国家再建最高会議議長だった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領と会ったことがきっかけだった。十分な産業施設と資本がなかった時代、朴大統領は成功した在日同胞実業家だった故人に韓国への投資を求めた。そうして、ソウル市永登浦区に設立されたロッテ製菓が韓国ロッテのルーツとなった。

故人はホテル事業に進出し、巨額の資金を投資した。1973年に朴元大統領は韓国観光公社と運営していたソウル・小公洞の半島ホテルが大規模赤字を出したことから、辛会長に支援を求めた。

38階建てのホテルを新築するためには巨額の資金が必要だった。日本では「ロッテが日本で稼いだカネを韓国に吸い上げている」という視線が浴びせられた。結局資金は複数の法人に分けて持ち込まなければならなかった。

外交行嚢に資金を隠して持ち込んだこともあった。財界関係者は「ロッテの出資構造が複雑なのことにはそうした理由が大きい」と指摘した。そして、6年間に京釜高速道路の建設費にも匹敵する1億5000万ドルを投資し、ロッテホテルが1979年に完成した。

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