『語り継ごう 日本の思想』

画像の説明

■1.「日本人すごすぎ」

ロシア人女性ジャーナリストのKさんは、すでに15年ほど日本に住んでいた。彼女は平成24(2012)年にデジカメを失くし、その中には、二人の子供たちの生まれた時からの写真がたくさん入っていたので、非常に意気消沈した。

ところが2週間ほどすると、子供が通っていた幼稚園から連絡があり、ある博物館から「デジカメを見つけたので、ご連絡ください」と電話があった事を知らせてきた。Kさんは大喜びでその博物館に電話すると、落とし物係の職員につないでくれた。

その職員は、開口一番「あなたを探すために、個人的な写真を見てしまいました。申し訳ありません」と詫びたという。彼女は「気にしないでください」と言ったが、その職員は、電話を切るまで何度も謝り続けた。

彼は、どうやってデジカメの持ち主を見つけたのか、話してくれた。まず、たくさんの写真から、外国人の子供たちが写っているのを見つけた。外国の雪景色の写真もあり、「これはロシアではないか」と推測した。どうやら、デジカメの持ち主はロシア人の子供を持つ親らしい、と。

写真の中には、日本の幼稚園の看板が写っており、また小学校入学式の写真もあった。そこから「最近、幼稚園を卒業して、小学校に入った」子供らしいと分かった。看板からその幼稚園を探しだし、電話して以上の説明をすると、幼稚園の職員は「それはKさんに違いない」と分かり、彼女の家に電話してくれたのである。

まさにシャーロック・ホームズのようなストーリーだが、そこまでしてデジカメの持ち主をつきとめてくれた博物館の職員に、Kさんは非常に感動して、フェイスブックに投稿すると、ロシア人の友人から「日本人すごすぎ」というコメントがたくさん寄せられたという。

■2.第7の掟「言葉と行動によって日本の名声を高めよ」

弊誌ではおなじみの北野幸伯氏の最新刊『新日本人道 ロシア滞在28年で考えた日本復活への7つの指針』で紹介されているエピソードだ。前著『日本の生き筋──家族大切主義が日本を救う』では、国家政策の次元で日本を幸福な国にするための提言を行ったが[a]、今度は「政治家頼り」ではなく、個人ができることを書いた、という。

そこには『7つの掟』が説明されているが、上記のエピソードは「第7の掟 言葉と行動によって日本の名声を高めよ」の中で紹介されている事例である。なるほど、こういう行為なら個人でもできる。こういう親切によって「日本人すごすぎ」と思うロシア人を増やすことは、それだけ日本人にとって住みやすい国際社会を創ると共に、日本人にも誇りと自尊心を与え、幸せになれる。

多数の日本人が世界に出ていき、多くの外国人が日本を訪れる現代においては、この「第7の掟 言葉と行動によって日本の名声を高めよ」は、日本人を幸せにする、きわめて具体的かつ効果的な指針である。

■3.日本の「ロイヤル・ファン」を増やす戦略

私自身も、人から受けた意外な親切に感動した経験があるので、このロシア人女性の驚きがよく分かる。

数年前、アトランタ空港で、デルタ航空の飛行機を待っている間、私はラウンジでシステム手帳を広げていた。やがて時間が来て、飛行機に乗り込んだのだが、席で離陸を待っていると、背の高い黒人男性が最後に乗り込んできた。

それを見て驚いた。なんと、私のシステム手帳を胸の前で大事そうに抱えているではないか。男性は私の席までやってきて、「サー、お忘れ物です」と事務的に言って、手帳を渡してくれ、すぐに飛行機から出ていった。

とっさのことで、十分なお礼もできなかったが、後で考えた筋書きはこうだ。その男性はラウンジの従業員で、テーブルの上に私が置き忘れたシステム手帳を見つけた。そこには私の名刺が何枚も入っている。男性はおそらくその名刺に書かれた私の名前から、デルタ航空のコンピュータシステムで、乗り込む便名と座席を調べ、その便が離陸する前に急いで届けてくれたのだ。

その男性が、いかにも当たり前のことをしただけ、という表情だったことにも心動かされた。まさに「デルタすごすぎ」である。以来、アメリカ国内で飛行機便を選ぶ際には、デルタの便があれば、かならずそれに乗るようにしている。

経営学の世界では、このような忠誠心ある顧客を「ロイヤル・カスタマー」と呼ぶ。顧客のために一生懸命、誠意をもって尽くす企業は、顧客も信頼して、末永くその企業の製品やサービスを愛用してくれる。これが企業の永続的な繁栄をもたらす。「第7の掟 言葉と行動によって日本の名声を高めよ」は、日本の「ロイヤル・ファン」を増やす戦略である。

■4.ロシア人女性通訳をただ働きさせた日本企業

北野氏は、この逆の事例も反面教師として紹介している。ある日本企業は、ロシア人の女性通訳に対して「これは長期のプロジェクトだ。今はお金を払えないが、プロジェクトが立ち上がったら、君をパートナーにしよう。そうすれば、たっぷり報酬を支払える」と説明した。

この話を聞いた私は、すぐに「永遠に金を払ってくれないから、いますぐやめたほうがいい」とアドバイスしました。しかし、彼女は「日本企業はそんなことはしない」と聞く耳を持たず、無料で働き続けていました。
 
その企業の人が来ると、無料で通訳をし、アテンドしていた。日本からちょくちょく書類が送られてきて、ロシア語への翻訳をさせられました。
 
結局一年近く働き、彼女の生活が苦しくなったので、なんの報酬も得ることがないまま、やめることにしました。

彼女は、この経験を多くの友人に話すだろう。それによって「日本企業はそんなことはしない」という信頼は崩れていく。この日本企業はロシア人をただ働きさせて得をしたつもりかも知れないが、その陰で多くの日本企業が今まで地道に積み上げてきた「日本企業はそんなことはしない」という信用を壊して国家的損失を招いているのである。

もっとも、こういう企業はおそらく日本国内でも同様の「不義理」をしていて、顧客や関係先の不信を招いている可能性が高い。我が国は世界最高水準の「信頼を尊ぶ社会」なのだから、これは致命傷である。いや、逆に「信頼を尊ぶ社会」を護るためには、こういう企業をつまはじきにしていかねばならないのである。

日本の伝統的な経営は企業の信頼を大切にしてきた。「暖簾(のれん)を守る」ということは、代々の先人が築いてきた店の信用を守り、子孫に引継ぐことだ。信用が先祖から子孫に代々受け継がれるべき継承財産であることを、我々の先祖はよく知っていた。

■5.「信用」は一国民の共有財産

一つの国民が国際社会で受ける信頼は、その国民の共有財産である。「日本人すごすぎ」という評価が広まれば、日本人というだけで信頼し、尊敬される。

その最高の金字塔が、ブラジルでの「ジャポネーゼ・ガランティード(日本人は保証付き)」という言葉だろう。ブラジルに移住した日系人たちは財産もない少数民族移民としてスタートした。その過程で、自分が何か悪いことをしたら、「日本人全体の名折れだ」という気持ちで、誠実に働いてきた。その苦労を100年以上も積み重ねてきたお陰で、今日の信用がある。

私などもブラジル社会には何の貢献もしていないが、日本人というだけで、見ず知らずの人からも信頼して貰える。いわば日系人たちが築いた共有財産の「お陰」である。

逆にロシア人女性をただ働きさせたような日本企業がロシアで増えれば、「日本企業は信用できない」という見方が広まり、良心的な日本企業も、その共有「負債」のハンディを背負い込まなければならなくなる。

■6."Made in China"という共同負債

共有負債として、代表的なのが"Made in China"であろう。粗悪品や偽物で顧客を騙しても自分さえ儲かれば良いという中国企業が多いために、世界中に悪評がばらまかれた。真面目にやっている中国企業もあるが、"Made in China"という共有負債のハンディの下でビジネスをしなければならない。

北野氏の奥さんは、ある日本企業でロシア語通訳のアルバイトをしていた。その会社は中国から造花を仕入れ、モスクワで販売していた。奥さんは、ある日驚くべき光景を目撃した。その会社の社員たちが、"Made in China"という表示をはがし、"Made in Japan"という表示に替えていたのである。

「日本製のほうが中国製よりも質がいい」というイメージですから、何倍も高く売れる。それを狙って、本当は中国製の商品を、日本製と偽って販売していたのです。妻は、「日本企業がこんなことをするなんて!」と衝撃を受けたそうです。
 
ちなみに、その会社は、ほどなく倒産しました。苦しかったから不正をしたのか、それとも、不正をしたから苦しくなったのか、因果関係は不明です。

この程度のあからさまな不正をすること自体、会社の精神的、知能的レベルの低さの現れであるから、潰れるのも当然だろう。

不信社会の最先進国・中国の企業なら、もっとスマートな手を使う。"Made in China"のかわりに"Made in PRC"とラベルをつけるのである。"PRC"とは、"People's Repubric of China"、すなわち「中華人民共和国」。だから嘘ではない。ただ消費者に"Made in China"ではない、という誤解は与えることはできる。天才的な手口だ。

しかし、こういう手口がまかり通っている間は、中国製品は決して、日本市場での信用を勝ち得ないだろう。国際社会でも、我が国ほど「嘘偽り」に厳しい国はない。「嘘」は他者の犠牲の上に、自己の利益を得ようという利己心から出てくる。その利己心が「和」を破壊する。我が国は「和」を理想とするからこそ、「嘘」を厳しく断罪するのである。

■7.「あなたの国が好きだ!」

もう一つ、北野氏の説く幸せな国を創るための掟を紹介しておこう。第6の掟「日本を愛し、他国・他民族への尊敬の念を忘れるな」である。

具体的には、どうすればいいのでしょうか? 
 
簡単なことで、外国について、「あなたの国が好きだ!」というのです。すると、その外国は、日本のことを好きになってくれます。これ、逆のことを考えてみればわかります。
 
たとえばアメリカの俳優リチャード・ギアさんは、「日本が一番好きな国」と発言しています。『ハチ公物語』のアメリカ版『HACHI 約束の犬』は、感動的でした。

もともと俳優としてのリチャード・ギアを好きな日本人も、彼が「日本が一番好きな国」と発言しているのを知れば、もっと好きになるだろう。同様に日本人も特定の好きな国があったら、どしどし公言する。それによって、その国の人も日本を好きになってくれる。

この第6の掟「日本を愛し、他国・他民族への尊敬の念を忘れるな」も、前述の第7の掟「言葉と行動によって日本の名声を高めよ」とともに、日本と他国との良い関係を作るための指針である。我が国の名誉を傷つけたり、領土を侵略しようとする国は別だが、その他のほとんどの国との良い関係は、日本を安全にするとともに、日本人自身を幸福にする。

■8.人間の真の幸福と健康は、ひとえに良き人間関係から

人間の真の幸福と健康は、名声や財産ではなく、ひとえに良き人間関係から来る、という興味深い研究がある。アメリカのマサチューセッツ総合病院で、76年にも亘(わた)って742人のアメリカ人の人生を追跡した調査研究である。このプロジェクトの4代目の研究責任者ロバート・ワルディンガーは、調査から判明した事を次のようにまとめている。[2]

1. 家族や友人、共同体と結ばれた人々は、そうでない人々よりもより幸福、健康、長寿である。孤独は命を縮める。

2. 家族や友人がいても喧嘩ばかりしているのでは、健康に良くない。大切なのは、暖かい繋がりである。

3. 良い繋がりは身体的健康のみならず、脳にも良い。頼れる人が側にいると、記憶力の減退も少ない。

すなわち、他者との信頼しうる暖かい繋がりこそが、人間を幸福にし健康にする、というのである。

「天地四方、八紘(八方)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」という神武天皇の建国宣言[c]は、まさにこの現代的研究に一致する理想である。「和の国」とは国内においては、家族的な暖かいつながりを理想とし、外国とも同様の親しい関係を理想とする。対外的には聖徳太子の外交について論じた次の一文が、我が国の理想を述べている。

太子が隋におくった国書に、「日出づる処の天子書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」とあった事について自分もその一人であるが一般に誤解してきたようである。太子は威ばってこういったのではない。天日を同じくするものとしての親しみのあいさつにほかならなかったのである。

聖徳太子や親鸞など日本精神史研究に従事された桑原暁一氏の「和の国」の伝統を語る一文である。北野氏の新著は、こういう伝統的な精神が「日本復活」にもつながると指摘している点で意義深い。

                                       

(文責 伊勢雅臣)

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