「文明の衝突 ①」

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文明の衝突 ①

サミュエル・ハンチントンという人か『文明の衝突』という本を書きました。この本は一世を風靡したことがありました。サミュエル・ハンチントンは、「東の文明」と「西の文明」という分け方をしていました。「人類はなぜ衝突するのか」という根源のことを考えたのです。

その答えは、文明が違うものは衝突するのです。民族同士の衝突、貧しい者と富める者の衝突など、衝突の定義にはいろいろとあります。主義主張が違うから衝突するというのです。しかし本当の衝突は違うのです。「文明の衝突」ということから考えなければいけません。

人類が文明を作ります。文明というものは自然にできるものではありません。アフリカの地域、アジアの地域などで文明が生まれて文明がのし上がってきます。すると同じ文明ができあがってくるはずなのです。

ところがすべて違うものが出来てくるのです。エジプト文明、ヨーロッパの文明、アメリカの文明、ロシアの文明もすべて違います。自然に文明ができあがってくるのですが、文明の根本になるものはやはり精神なのです。

精神が違うから出来上がった文明は形がすべて違います。「精神が違う」ということは、「価値観が違う」ということです。ある人は「山に価値観がある」と言い、ある人は「海に価値観がある」といい、すべて価値観は違います。

そこから上がってきた文明というものは山の文明であったり、あるいは海の文明であったりするのです。自分の作り上げた社会ですから、それは他の文明と衝突するのです。利益で衝突するということよりも、やはり文明が違うと衝突するのです。

例えば、人間を小さく分けてみて「あそこに変な外人がいる」と思うとやはり近づきたくありません。外人は日本人とものの考え方や文化と文明が違うのです。

文明の衝突とは一言で言うと「なぜ人間は殺し合うのか?」ということです。「人の土地が欲しくて殺しあったりする」とみな思っています。サミュエル・ハンチントンは、それを「文明の衝突だ」と言っているのです。それは文明が衝突するということです。

エジプト文明も、黄河文明も、メソポタミア文明も、インダス文明も、みんな文明です。文明は古来から川のそばに生まれたのです。川がないところに文明は生まれません。水のあるところに文明は生まれたのです。

おきてきた文明は一つではありません。人間ならばどこで生まれてもよいのです。シナの川の畔で生まれようと、インドの川の畔で生まれようと、「それは文明ですから同じものができてくるのではないか?」と我々は考えるのです。

ところが違うのです。同じものは一つもありません。すべて違うのです。中国人の考え方、インド人の考え方、エジプト人の考え方、すべて違います。人間が文明を造るのですが、人間の精神が違うからすべて違う文明が出来てくるのです。

一人で作ったのならば文明とは言いません。一人では何事もできません。それが組織されて何万人、何十万人、何百万人と組織されて、そこに王様がいて、王様のために文明ができてくるのです。一人で働いていたならば、ピラミッドは永久にできません。そこに何百万人という人間がいないと文明はできません。

では、どうして文明ができてきたのかというと、まず人が集まってきて、豊かな農作物ができる川があります。人間が生きるために川は絶対に必要です。川の畔に人々が集まってきてきたのです。

それだけでは文明はできません。そこに王がいないと文明はできません。「王とは何か?」というと、その地域の精神の塊です。王様が「城を造れ」と言うと城ができてしまうのです。

そのような精神の塊があちこちにあって世界文明ができてきたのです。人類は一カ所で生まれたわけではありません。あちこちで発生したのです。そこで生まれた文明はすべて違うのです。

この文明の大きな違いを分けてみると、「西の文明」と「東の文明」になるとです。分けると2大文明になってしまうのです。それをさらに分けると古代の4大文明になってしまうのです。ナイル川の流域、チグリス・ユーフラテス川の流域、黄河の流域、インダス川の流域です。そこに文明が育ってくるのです。

ところが人は、他の文明が憎いのです。その人の中に育った文明観というものがあり、「これが文明だ」というものを造ってきたので、他の文明を見ると「物が欲しい」というよりも、他の文明が気に入らないのです。

「なんだ、お前の船の作り方は気に入らないな」「お前たちは豚を飼っているのか。気に入らないな。俺達は豚など食わないぞ」ということです。豚を食べない人から見ると豚を食べる人間は気持ち悪いのです。

そのように文明は衝突していくのです。「私たちの先祖は代々豚は食わないのだよ」「馬鹿野郎、俺たちは昔から豚を食っているのだ。お前は気にくわない野郎だな」となるのです。

「なんだ、その髪型は。気持ち悪いな。髪はきちんとまとめるのだよ」「女がデベソを出して歩くだと? 気持ち悪い民族だな」となってしまい、自然に文明と文明は衝突して仲良くできないのです。

常に文明は一つだといってよいのです。「文明は4つある」といっても、本当は一つなのではないでしょうか? エジプト時代は、やはりエジプトが文明の中心です。黄河で生まれた文明は、黄河文明が中心です。ガンジス川で生まれた人間はインド人独特の考え方をします。

どうしても仲良くできないのです。中国人は「文明の中心は我々なのだ」と思っているのです。「いや、文明の中心はエジプトだ」「いやいや、メソポタミア文明が中心です」。このように考えているから仲良くできないのです。それが定期的にガチャンとぶつかって戦争になるのです。

そのような見方をすると、「現代の文明はどのような文明なのか?」というと、イランやイラクは、メソポタミア文明がルーツです。それと西洋のキリスト教がぶつかっているのです。それがイラン問題です。

アメリカ人はイラン人の造った石像などに価値をおいていません。「そんなものはぶっ壊してしまうぞ、覚悟しておけ」ということです。「そこまではやらない」と言い直したのですが、本心はそのように思っているのです。アメリカは、「お前達の先祖は気持ち悪いのだからぶっ壊すぞ」と思っているのです。

イランも「お前達の文明はなんだ。女は顔を丸出しにして、肌の露出をして、おまけに刺青までしている。そんなものは受け入れられない」と思っているのです。どこまで行ってもイラン人はイスラム教徒です。女は黒い頭巾で顔を隠すのです。

イスラム教のコーランに則り生活をしているのです。「イスラム教徒は豚を食わないのだ。アメリカ人は豚を食うだろう」と思っているのです。

イラン人とアメリカ人はもともと相容れないのです。イラン人は豚を食っているような奴とは、お付き合いをしたくないのです。「アメリカの女どもは真っ赤に口紅を塗ってまるで娼婦ではないか。そんな娼婦がウロウロする国家を我々は認められない」と思っているのです。

イラン人は、「我々は昔からの風習を重んじる」と思っているのです。価値観が違う民族がお互いに出会えば必ず衝突するのです。デモクラシーや民主主義はすべて西洋の考え方です。イラン人にはそんな考えはありません。

徒然日記

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