「中国人の教育ママと子ども」

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中国人の教育ママと子どもたちが日本の小学生を見て驚き、感動したこと

日本の小学校の掃除や給食の光景は、中国人にはとても衝撃的に見えるようです

中国でも日本でも子どもの教育に熱心な親は多い。しかし、競争が激しい中国の教育ママぶりは、日本に比べるとそのレベルはあまりにも違う。子どもに対する教育や人生のあり方に関する認識の違いも大きい。具体的にどう違うのか。

幼児から英才教育を徹底的に行う
中国の教育ママたち

「わが子は、スタートラインで負けてはいけない」――。

これは、中国の幼児園児~中学生を持つ「教育ママ」が皆一様に歯を食いしばって考えることである。
 
現在の中国では、このような教育ママの多くは、アラフォーで「一人っ子」第1世代であり、働き盛りのキャリアウーマンでもある。彼女たち自身は大学や大学院で勉強し、社会人になってからもキャリアを積み、厳しい競争を勝ち抜いた。いわば成功者だ。高学歴なほど教育に熱心という統計結果もある。なので、自分の子どもにも人一倍の努力をし、同じ成功の道を歩むことを望む。
 
妊娠中から、すでにこれから生まれてくる子の人生を設計しているのだ。

子どもの成績が悪いと親はSNSで恥をかく

会話ができるくらいにまで成長すると、早々に幼児教育の教室に通わせる。その後の小中学校の期間中も、学校の勉強以外に、英語、各種楽器、水泳、絵画などのほか、場合によって乗馬も習わせる。家庭教師を雇う人も少なくない。
 
英才教育のためにはお金も手間も惜しくないのだ。
 
上海に住む筆者の知人の女性は、中国語と英語の同時通訳の達人で、息子がよちよち歩きだした時から、幼児教育学校に毎週末連れていった。そこでは、遊びながら脳や身体を刺激して、考えることや運動に良い影響を与えるという英才教育が行われる。
 
中国の小・中・高校の宿題の量が多いことは、世界的にも有名だ。
 
宿題に追われて就寝時間が夜中の11~12時になることが普通である。「2019年中国児童・青少年睡眠指数白書」では、7万人の6歳~17歳の学生に調査を行った結果、6割は睡眠時間が8時間未満。そのうち36%の人が肥満症で、40%は神経衰弱やうつ症状があるとのデータもある。
 
そして現在、中国の多くの小学校では、学校でもらった当日の宿題が終わったら、親のサインが必要という仕組みになっている。このため、親は間違いがないかをチェックしなければならない。
 
もし間違いがあれば、直すように促す。家庭は「第二の学校」となり、親たちは教師の役目をも果たしているのだ。
子どもの成績が悪いと
親がSNSでさらされてしまう
 
近年ITが進み、ウィーチャットなどのSNSは、学校と親との連絡に重要な役割を果たしている。クラスごとに親のグループを作り、当日の宿題の内容と連絡事項などの情報を共有する。自分の子どもの成績が悪かったり、宿題がきちんとできていなかったりすれば、たちまち学校から指摘されてしまう。
 
つまり、皆の前でさらされてしまうこととなり、親のプレッシャーも大きいのだ。
 
小学校低学年の場合、まだ遊びたい気持ちが強く、集中力に欠けている年齢でもある。このため、大量の宿題が進まない子どもには、親が「命がけ」で付き合うことになる。なかなか机に向かわない子どもには、宿題をするように何度も促し、「アメとムチ」を交互に使って説得する。
 
それでも子どもが言うことを聞いてくれなかったら、だんだんと平静を保てなくなる。それは多くの日本の母親も中国の母親と同じだろう。ついつい大きな声を出して怒りだすという結果となる。

小学校の給食でエビの殻を剥けない子どもたち

私の知人のある母親は、「怒る時は血圧が急に上がり、心臓がバクバクする」と語った。「宿題との戦いというよりも、子どもとの戦いだ」と母親たちは口をそろえる。
 
以前に、ある親が子どもの勉強の面倒を見ているうちに、心筋梗塞で倒れて病院に搬送されたというニュースが流れ、大きな話題となった。SNS上では火をつけたかのように、親たちが一斉に愚痴をこぼし始めたという事態があった。

「先日、わが子がうろうろして集中しないので、腹が立って机をたたいたら、指の骨にひびが入った」

「夫が私の怒る声に耐えられなくなって、代わりにやると言った。ところが私よりもっと大声を出した」

「夫婦関係は、子どもの勉強がかかわらなければ円満である。(勉強への)かかわりが始まった途端、険悪となり、夫婦げんかとなる…」
などなど…。

中には、
「自慢ではないが、先日教員免許をとれた。わが子のおかげだ!」
という発言まであり、子どもの勉強の面倒を見ているうちに、教員免許まで取得してしまう母親もいる。

小学校の給食で
エビの殻をむけない子どもたち
 
一方、子どもはたとえ勉強はできていても、「生活」の能力や常識に欠けていることがしばしば話題となる。
こんなことがあった。
 
ある小学校が新入生を迎える日。その日の給食には、大きなエビが出された。ところが、半分以上の子どもはエビの殻を剥くことができず、どう食べていいのか困っていた。その理由は「家では、祖父母か、両親がやってくれた…」からだ。
 
その1年生らは、エビの殻をむくことができない。だが、幼稚園から英語教育を受けており、皆、英語はペラペラなのである。

日本の小学校の掃除や給食に衝撃

それに対して教育専門家は、「われわれの子どもは英語はできるが、ご飯の食べ方がわからない。これからの人生においてどちらが大事なのか、答えは明白である。これは大きな社会問題だ」と指摘した。
 
なぜ、このような社会問題にまで発展したのか、その背景には「厳しい学歴社会、他人と自分を比較しながら生きる中国のメンツ文化、一人っ子への過大な期待」などがある。
 
ゆえに「スタートラインで負けてはいけない」という発想が生まれる。

日中の親と子の交流イベントで
日本の小学校の掃除や給食に衝撃
 
ここで、筆者の体験を話そう。今年の夏の出来事である。
 
中国の教育熱心な母親たち(いわゆる、教育ママ)数人が、日中の青少年交流イベントに参加するために、親子で来日した。
 
参加した子どもたちは十数人で、小学校2年生から中学校1年生だった。その中の何組かの親子はこれまで観光で何回も来日していたが、このようなイベントに参加するのは初めてだった。今回は学校訪問や日中青少年の共同イベント、社会見学などが計画されており、この中国人親子の一行に筆者も同行した。
 
まず、訪問した小学校では児童の「1日の過ごし方」を見学体験した。そこで、中国人の親子らが一番驚いたのが、掃除と給食だった。
 
一般的に中国では、掃除は専門の清掃員がやるものである。
 
学校にもよるが、掃除を学生にノルマのように課す場合もある。気持ちだけ掃除する学生もいれば、代わりに親が代行することも許される。
 
ところが日本では、教育の一環として行われており、班ごとに教室や廊下など掃除のポイントを分担して行う。
 
机を後ろにいったん集めて、その後、ほうきで掃く→濡れ雑巾で拭く→空拭き→机を元の位置に戻す、という順番で進める。みんなが手分けして要領よくこなしている。
 
給食では、当番の児童がご飯やおかずをお皿に盛る、食べ終わったら素早く片付ける。そして、食べる前に、先生がその日の給食を説明して、食材を作る人、料理を作る人に対して、感謝の気持ちを込めて「いただきます!」と発声する。

日本の子どもたちからのプレゼントに「感動の涙」

何よりも「食べ残す子どもがほとんどいない」ということに感動したようだ。
 
中国の学校では、給食は少しでも口に合わなかったら、食べ残すのが当たり前である。ましてや、給食の準備や後片付けもしない。食堂のスタッフがやるものだからだ。
 
そして、中国人の母親らは、小学校に図工の授業があること、そして1年か2年ごとに図工作品の展覧会を開催していることに驚いた。
 
中国では、英語や算数などの学力を向上させる勉強に比べ、図工のような教育は軽視されがちなのである。

日本の子どもたちからのプレゼントに
中国の親子らは感動の涙
 
訪問した別の小学校では、日中の子どもたちによるお土産交換のプログラムがあった。
 
中国の子どもたちが持ってきたのは、中国で買ってきた伝統的な置物や手芸品などだった。
 
一方、日本の子どもたちが差し出したプレゼントは、なんと全てが手作りしたものだった。ストラップ、バンド、エコバッグ、手描きのTシャツなど。
 
どれだけ心を込めて作られたものであるかは、一目瞭然だった。
 
これら手のぬくもりが感じられるプレゼントをもらった中国の子どもたちは感動し、中には泣きだす子もいた。その場にいた親たちも涙をこらえながら大きな拍手をした。
 
その時、周りの空気がなんとも温かくなって、筆者も胸が高まるのを感じた。とても感動的な一幕であった。
 
ちなみに、日中の外国語教育の違いを感じる場面もあった。
 
日中双方の子どもが1人ずつ自己紹介した時のことだ。
 
中国の児童たちが事前に一生懸命練習して覚えた日本語で話したり、英語でしゃべったりして、恥ずかしがらずに大きな声で最後までやり遂げたのに対して、日本の子どもたちは、はにかむばかりで、きちんと話をすることができない。それも日本語でしかできなかったのであった。

靴をそろえる日本の子どもを見て…

無理もない。普通の日本の小学生は、外国語でプレゼンテーションするという教育は受けていないし、その機会もないからだ。
「日本は中学校から英語教育が始まる」と聞いた時の中国人ママたちは驚きを隠せなかった。

日本の子どもが
靴をそろえるのを見て…
 
さらに、こんなシーンもあった。あるお寺を見学した時のことだ。
 
本堂に上がる時に靴を脱いだ後、日本の児童らは皆、靴を同じ方向へそろえた。一方、中国の児童らは靴をバラバラに脱ぎ散らかした。
 
ただし、中国の児童らはそれを見て、皆がまねしてやり直したのだ。以来、靴を脱ぐ時に、それをちゃんと守っていた。

お寺で靴をそろえる様子
 
その様子を見た中国人ママたちは「これは大きな進歩だ」と、驚きの表情で語った。
 
中国人の教育ママたちが日本を離れて中国に戻る日、筆者は聞いてみた。

「今回の日本の教育現場との交流はいかがでしたか?」
「感無量です!」とまず一言。
 
そして、「これまでは観光で来ていたが、今回はじっくり日本の教育と日本の児童を観察できた。わが中国は英才児を育成する、将来のエリートを期待するあまり、成績優秀な学生を大事にし、いろいろなチャンスを与える。
 
例えば、イベントで登壇するのはいつも成績の良い学生。一方、平凡で中間にいる多くの学生は無視しているのに等しい。彼らには自己表現のチャンスがなかなか回ってこない。テストの度に、クラス全員の点数ランキングを教室に貼り、下位の学生を刺激するのは効果があるかもしれないが、

『成績がすべてではない』ということを今回、日本で教わった。
 
中国は成功者に優しい。しかし、成功するプロセスはあまり重視しない。結果を見るだけだ。まさに『成王敗寇』(勝てば王、負ければ賊軍)の世界だ」と続けた。

「これまで知らなかった新しい観点を得た」

「想像力と創造力の育成、人に対しての思いやりと協調性、健全な人格の形成など、日本はわれわれより進んでいると感じた」
 
そして、「(英語を含めた勉強の)学力はこちらが上かもしれないが、今回日本の子どもたちを見て、明らかにわが子より『生活力と協調力』が優れていると実感した」。

「われわれ親にも大きな責任がある。いつも何もかもを代わりにやってあげ、過保護にしているからだ。それは反省しないといけない。ある意味では、この度、『私が教育されて、成長した』といえるのではないか」
 
最後に、「日中の教育はそれぞれ良い面も悪い面もある。だから今回のような交流は絶対必要だ」と締めくくった。
 
中国人の教育ママたちの表情には、「これまで知らなかった新しい観点を得た」という満足感にあふれた様子が見て取れた。
 
日中の教育熱心な親同士だからこそ、納得すれば強力な交流の担い手になると、強く感じた。

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