「役人の不正は徹底的に叩く。」

画像の説明

役人の不正は徹底的に叩く。大統領も選挙で決める韓国市民の潔さ

クールコリア(デモ文化)

乞うご期待などと書いた前々回(「『玉ねぎ男』は絶対に許さない。韓国市民のクールなデモの繋ぎ方」)だった。約束は守る。

今回は韓国のデモ文化についてである。韓国のこのデモ文化。これはクールだ。なぜデモがクールなのか。市民が全員で力を合わせて国の姿をちょっとでもよくしようと団結するのがデモだから。日本にはほぼ見られないクールな姿だ。

デモの話を書くには、その源流というものをあげないといけない。源流は、たぶん、朝鮮時代(あるいはその前から)の「コドゥオ ジュシ オプソソ」に辿り着くんだと思う。
筆者の第一エッセイ集『おしょうしな韓国』にも書いたことなんだけど、この「コドゥオ ジュシ オプソソ」。意味は「とりさげてください」という義。

王様がある方針を出す。それは民衆にはあまりにも厳しくかつ民衆に受け入れがたいものだとしよう。このようなときに、王をとりまく国の官僚(ヤンバン)たちが、王のいる建物の前の広場に列を作って座り込み、一晩中「コドゥオ ジュシ オプソソ」「コドゥオ ジュシ オプソソ」といいながら、王のその政策をやめさせようとする。

すると、王は、一人自分の部屋で彼らの声を遠くに聞きながら考える。これほどまでにやつらは「やめよ」というのか。そんなにこの政策がだめなのか。しかし王とて、自分なりに考え抜いて出した方針だけにそう簡単には「取りやめる」とは言えない。朝方、それでもヤンバンたちの王のやり方をたしなめようとする声がやまず続いている。おもむろに王は出てきて、「わかった」という。

そんな時代劇がこれまでに韓国のテレビの中に何度も出てきている。王に逆らう意見を部下が言うのである。

日本ならどうか。天皇の意見に逆らえるだろうか。あるいはサムライ時代に、徳川家康の方針に部下が反対意見を述べることができたろうか。たぶん、否だ。

日本は受け入れる文化。韓国は王にでも逆らう文化(それが理に叶わぬときは)。そしてこの伝統が今に受け継がれているのが、きょう日、毎日テレビを賑わしている100万単位のデモ隊なんだと筆者は考えている。日本の人口の半分にも満たないこちらの国民が、100万単位でデモをするのである。

主張はそれぞれいろいろあるけれど、主張がなんであれ、このデモのエナジーはただ見ているだけでも爽快であり、あっぱれである。
この100万単位のデモがきょう日急に発生したのではなく、これも源流がある。古くは上述のように「コドゥオ ジュシ オプソソ」であるが、現在に直で関係するのは、大統領選挙などに関して繰り広げられた一連の流れがある。大統領選に関する内容がメインとなるので、まずは大統領の系譜について書いてみる。

1~3代:イ・スンマン(李承晩)*在任期間:1948~1960年
選出方法:1代:制憲国会議員による間接選挙で選出。2~3代:直接選挙で選出

4代:ユン・ボソン(尹?善)*在任期間:1960~1962年
選出方法:国会にて間接選挙で選出

5~9代:バク・ジョンヒ(朴正煕)*在任期間:1963~1979年
選出方法:5~7代:直接選挙で選出。 8~9代:統一主体国民会議にて間接選挙で選出

10代:チェ・ギュハ(崔圭夏)*在任期間:1979~1980年
選出方法:統一主体国民会議にて間接選挙で選出

11~12代:ジョン・ドゥファン(全斗煥)*在任期間:1980~1988年
選出方法:11~12代 : 統一主体国民会議にて間接選挙で選出。

13代:ノ・テウ(盧泰愚)*在任期間:1988~1993年
選出方法:直接選挙で選出

14代:キム・ヨンサム(金泳三)*在任期間:1993~1998年
選出方法 直接選挙で選出

15代:キム・デジュン(金大中)*在任期間:1998~2003年
選出方法:直接選挙で選出

16代:ノ・ムヒョン(盧武鉉)*在任期間:2003~2008年
選出方法:直接選挙で選出

17代:イ・ミョンバク(李明博)*在任期間:2008~2013年
選出方法:直接選挙で選出

18代:バク・クネ(朴槿惠)*在任期間:2013~2017年
選出方法:直接選挙で選出

19代:ムン・ジェイン(文在寅)*在任期間:2017~2022年(現在)
選出方法:直接選挙で選出

以上、大統領の在任期間や選挙の方法などについてあげてみた。ちなみに筆者の書くものに韓国の大統領のことが出てくる可能性はかなりある。読者の方々にも韓国の歴史として、大統領のリストを一度見ておくこともある意味、勉強にもなろうかと思う次第だ。

勝ち取った、大統領の直接選挙制

ここで、13代のノ・テウ(盧泰愚 在任期間:1988~1993年)から、全部、選出方法は直接選挙で選出となっている点に注目していただきたい。韓国は今も勿論大統領は直接選挙で選んでいるのだけれど、それは、昔からずっとそうなのではなかったのだ。

1代目のイ・スンマンのとき、彼は1代、2代、3代の大統領になるわけだが、2代目と3代目のとき、かたち上は一応直接選挙となっているけれど、このときの不正選挙が目に余るものがあった。田舎の部落にイ・スンマンの参謀が入り、お年寄りたちに金を渡して「イ・スンマン」と書かせたり、開票の場で、わざと停電にして、そのどさくさにまぎれて票を「イ・スンマン」と入れ替えたり、考えられるありとあらゆる方法で不正がなされた。これに国民が爆発する。

テグの高校生がその火蓋を切ってデモをはじめると、たちまち全国に広がっていく(高校生ってのがすごい!)。時の権力者に真正面から立ち向かう市民の戦いは、このときが近代になってからは最初である。1代から3代目までやりながらも、さらに第4代目の大統領にまでなろうとしたイ・スンマンであったが、結局、市民代表5人との面談で下野することを決心する。

そのときの5人のうちの一人のインタビューを見たことがあるが、大統領は部下からの意見は聞かなくなっていたため(部下も大統領には何も言えない雰囲気になっていた。いつの時代もどこの国でも同じ)、市民5人で編成した決死隊みたいな感じのグループが、直でイ・スンマンと向き合ったのである。

5人を前にしてもはじめは一言もなかったイ・スンマンであったが、数時間の後、「国民がみな、自分にやめろといっているのか」と5人に聞くと、5人ははじめから申し合わせてでもいたかのように同時に「はい、おりてください」と言ったという。

このときのデモによる大統領下野を「4.19革命」(サ・イルグ・ヒョンミョン)と呼んでいる。1960年4月19日の出来事である。このときの市民の犠牲者は統計があるだけでも186人にものぼった。とてつもない市民行動だったわけだ。このときの伝統がその後もずっと韓国には生き続けている。

その後は1980年5月18日の「5.18(オ・イル・パル)」=「光州事態(クァンジュ事態)」でのデモと軍の発砲による市民の犠牲(民主化というものを、このときの市民のデモおよび犠牲によって勝ち得たのである)。

そして1987年6月29日の「6.29(ユク・イ・グ)宣言」。これは時の権力者、民主正義党代表の盧泰愚(ノ・テウ)が直接選挙制の改憲要求を受け入れて発表した特別宣言である。

このとき以来、韓国は大統領選は必ず「直接選挙」の形態となった。これらはすべて市民のデモ行動によって勝ち得られたものであり、その伝統は今も連綿と行き続けている。

2002年のワールドカップのときの「テーハンミングク、チャチャン・チャ・チャンチャン」というあのリズムも懐かしいけど、あのときのロードビューで市民100万人が街に繰り出し応援していたわけだけど、あれはあのとき急に出来心ではじまったわけではなくて、そういう伝統が韓国には通奏低音のように脈々と生き続けていたということなのである。

これがクールでなくしてなんであろうぞ。

話を大統領にもどすと、大統領を国民が直接選挙で選べる爽快さはどういった感じなのであろう。韓国で暮らしながら、ハスに見ているだけだけれど、そのダイナミックさ・爽快感・清涼感・躍動感は、はためにもよくわかる(ちなみに、外国人には大統領の選挙権がない。妻の選挙に同行するのが関の山なのではあるけれども)。

わが日本はどうか。選挙で選べるのは党であり(もちろん個人もあるけど)、いちばん多く票をとった党の党首が首相になる仕組みだ。国の長(おさ)を直接選べない歯がゆさは、いかなることばをもってしても表現しきれるものではない。

いつか日本も国の長を国民が直で選べる時代がくるんだろうか。そのためには、国民の意識レベルがあと10段階くらいあがらないとだめなのかもしれない。

日本には日本のやり方があるんだと言う向きもあろうけれど、今の日本のやり方だって昔、だれかそこらの人間が決めたものにすぎず、いつだって代えられるシロモノだ。

コメント


認証コード1647

コメントは管理者の承認後に表示されます。