「大嘗祭の儀式により天皇は神になった」

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大嘗祭の儀式により天皇は神になった

※天皇は大嘗祭で神様と二日間を過ごすのです。そのような儀式を行うのです。悠紀殿・主基殿で、二日間過ごされると、天皇の意識が変わってしまうのです。これで初めて天皇は「私は神になった」というご自覚ができるのです。

大嘗祭の儀式が14日・15日に行われます。この儀式が終わると、天皇の意識が変わります。大嘗祭の同勝共殿というのは、天皇が天照大神と二日一緒にお過ごしになるのです。
 
夜の暗い中で神様が来られて、一緒の布団で寝て、ご飯も一緒に食べるのです。天皇は神様と二日間を過ごすのです。そのような儀式を行うのです。悠紀殿・主基殿で、二日間過ごされると、天皇の意識が変わってしまうのです。
 
これで初めて天皇は「私は神になった」というご自覚ができるのです。天皇は神様と一緒にご飯を食べるのです。しかも、ロウソクの光を灯して、部屋の中は薄暗くして儀式を行うのです。
 
この儀式が終わると、今までの人間天皇から、神天皇にかわっていくのです。そのほかさまざまな天皇の行事がありますが、天皇は儀式を一回終えるごとに神の自覚になっていくのです。
 
天皇は最初から神というわけではありません。人間天皇が儀式を行うことによって、神になっていくのです。そんなことは絶対にほかの人はできません。「私は天照大神の神霊なのだ」と気がつくのです。それで天皇は立派な神様になるのです。
 
天皇は神になったのです。そこに日本の国の歴史があるのです。そのことが憲法に書いていないのはおかしな話しです。天皇はお飾りではありません。
 
この国は、天照大神が創られて、守られている国なのです。それを忘れるから災害が起きてくるのです。人間だから、修行しないと神にも仏にもなれません。天皇は儀式をとおして神になっていくのです。神になってしまうともう中身が全然違うのです。
 
「朕は天津日嗣の天皇である」というご自覚が出てくるのです。それによって日本の国は統御されているのです。憲法には、「なぜ天皇は象徴なのか?」ということが書かれていません。神になる儀式をずっとやってきているから、天皇陛下は普通の人間とは違うのです。これを憲法に書いていなければ意味がありません。
 
憲法は、「わが国は天照大神が創られた国なのです」から始まらなければいけません。126代の天皇を続けてきたのです。それが根本です。だから、天皇は神なのです。
 
国民全体として見たときには、天皇は象徴と言えるかもしれません。天皇は国民の象徴なのです。天皇は神の国の象徴なのです。日本の神を神格化していかなければ、憲法は意味がありません。それをいい加減にした憲法ではいけません。安倍さんが憲法改正をやるならば、これを本格的に直さなければいけません。
 
日本は神様がいる国なのです。だから日本は神国なのです。他の国には神様はいません。朝鮮人に神様はいません。金正恩のようなキチガイが神様の変わりをしているだけです。金正恩は、相当人を殺しているらしいのです。
 
何しろ金正恩は、6回も命を狙われたというのです。暗殺されそうになって、暗殺者を捕まえて死刑にしているのです。あんな奴は神でもなければ何でもありません。神は奥が深くないといけません。
 
日本は2800年の歴史があるのです。その深い歴史から天皇はずっと続いてきているのです。「今生きている」という横軸だけをブッた斬って論議などできません。そんなことをする奴は馬鹿なのです。他所の国はそれでもよいのです。40年か50年の歴史しかありませんから、その中でしか論議はできません。
 
日本は2800年の昔からずっと伝わってきている歴史があるのです。天皇の後ろには2800年の歴史があるのです。金正恩の後ろには何もありません。
 
中国の習近平も同じです。後ろには何もありません。習近平の後ろには毛沢東がいるだけです。その後ろには、殺戮が待っているだけです。毛沢東は8千万人も自国民を殺したのです。それによって、中国共産党の権威はつくられているのです。まだ70年しか経っていません。そんなものはひっくり返るのにきまっています。
 
日本のような2800年の歴史のある国は、他所の国にはできません。もちろん日本の歴史の中には天皇を倒そうと思った奴もいるのです。天皇は、それなりにご苦労があったのです。
 
歴代の天皇は、みんな勇気があるのです。天皇は怒るのです。「何故、怒るのか?」というと、「私は天照大神の子孫である。この国は私が治める国である」と、思っているからです。それを奪いに来る奴を天皇は敏感に感じるのです。
 
「それはまかりならん。朕が成敗いたす」ということで戦争になる場合もあるのです。国民は天皇のお心というものをよくわかっていなければいけません。「私は日本の国の主である」ということは、天皇しか思っていません。
 
豊臣秀吉も、徳川家康も「この国の主である」とは思っていません。この国の主から預かった征夷大将軍という位で仕事をしているのです。幕末には、天皇からお預かりした征夷大将軍の位がガタガタになってきて、「助けてください」といった時に天皇が出てきたのです。
 
徳川慶喜は天皇に大政奉還をしたのです。天皇に預かった国を返したのです。自分がお預かりしていたのですから、自分の国ではありません。「国をお返ししますから、天皇さま、どうかよろしくお願いします」ということです。
 
この関係をはっきり書いてあるのか、頼山陽の『日本外史』です。この国の主は将軍ではなく、天皇です。現代では『みことのり』という分厚い本があります。これは歴代の天皇の言葉をまとめた本です。
 
これを読めば、天皇が何を考えていたのかよくわかります。天皇は、「信長」「秀吉」「家康」と、天下人を呼び捨てです。この自覚がすごいのです。秀吉が関白といっても、天皇から見たらマンガみたいなものです。秀吉は、「カッポレカッポレ」と踊っていればよいのです。
 
国民は誰が日本の主なのか、わかっていればよいのです。天皇は「私が主だ」というご自覚があるのです。「私が神様との仲介役をやる。この国を繁栄させるからお前達、頑張りなさい」というお気持です。「この国を貸してあげましょう」というご自覚です。
 
武士の持っている土地もそうです。武士の所有地ではありません。日本国の土地は天皇が持っている土地です。何百万石という土地を天皇から借りて治めるのです。もらうというよりも管理するのです。その役割を武士が担ったのです。

「安房守」と言えば、それは「安房という土地を守る」と書くのです。神様の神は、「守るの守(かみ)」なのです。
「お前にこれだけの土地を貸し与えるから、その土地をしっかりと守りなさい」という意味です。土地の所有者は天皇です。誰も土地を持っていません。日本国のすべてが天皇のものなのです。このご自覚は、ものすごいものだと思います。
 
かつて、奈良時代につくられた古代のハイウエィ(高速道路)があります。これは、全長約4千キロあったのです。道路の幅は約12メートルです。古代のハイウエィが奈良の平城京から全国につながっていたのです。
 
平城京には貢ぎ物が全国から集まってきたのです。米や魚や海産物や絹織物などが平城京の広場に集められたのです。物資が全国から集まるので、大広場でなければいけなかったのです。天皇の下には毎日全国から物資が集まってきたのです。
 
ものすごい物資の量です。「お米が収穫できました。魚が取れました。野菜が取れました。天皇さまどうぞ召上ってください」ということです。
 
古代のハイウエィには、30キロごとに駅舎があったのです。馬を休ませて士官だけは部屋で寝ていたのです。おつきの者は土間のようなところでゴロ寝をしていたのです。
 
そこで休んでまた出発したのです。東北から物資を運ぶ場合、奈良の平城京まで届けに行くのです。九州からも平城京を目指してやってくるのです。奈良時代から古代のハイウエィがあったのです。それだけ見ても日本は大したものだとわかります。
 
唐などには負けていません。天皇はそのような立場です。毎日毎日物資が届くのです。物資を届ける荷車と、物資を届けて帰る車がすれ違う道幅がちゃんとあったのです。世界的に見ても古代にはこんな道路はありません。

ローマの場合は、「すべての道はローマに通じる」といって、その道はローマ軍隊に通じる道です。その道路があったから、ローマは他国を侵略できたのです。ローマの道は侵略のための道だったのです。
 
日本の古代のハイウエィはそんな血なまぐさい道ではありません。みんな喜んで天皇に物資を届けたのです。天皇は神そのものです。
しかし、天皇と言っても、人間として生まれてくるのです。人間の記憶もあるわけです。儀式を行うたびに、だんだん人間であった思い出がなくなっていくのです。そして、神であったことを思い出してくるのです。完璧に「私は日本の神そのものである」とご自覚された時が天皇の完成です。
 
このような神から生まれた古代から続く天皇が日本の主です。全国から貢ぎ物が届いた天皇は誰でも尊敬します。そのように思って天皇陛下の弥栄をお祈りしていきましょう。

徒然日記

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