「水の力と美しさに神々を見たご先祖様たち」

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水の恵みを神々に感謝し、水の力、美しさに賛嘆するご先祖様の感性が、豊かな国土を創り上げてきた。

本著は日本の国柄を「和の国」ととらえ、それがどのような「根っこ」から生じ、成長していったのか、をたどった本です。

この「根っこ」をさらに太く深くすることが、現在の我が国の危機克服とさらなる発展につながと考えております。

■令和日本が根ざすべき「和の国」の「根っこ」はこうして生まれ、育った

・1万年以上も続いた、戦争も環境破壊もない縄文時代
・「和の国」実現のための三大原則を示した三種の神器
・「和の国」を作ろうと呼びかけた神武天皇の即位宣言
・全国で16万基もの古墳を造築した「和」のパワー
・天皇から少年兵士まで真心を通わせる和歌
・心を開いて語り合えば道理が通って「和」に達すると説いた聖徳太子の十七条憲法
・西洋人たちに感銘を与えた幕末の「和の国」の民の幸福
・「衆議公論」による和の民主主義を目指した五箇条の御誓文
・まずは家庭内の「和」から始める事を説いた教育勅語
・皇室の無私の祈りが「和」の心で国民を統合する

■1.「恐ろしくも、有り難い水」

東日本大震災の津波で「水がこんなに恐ろしいとは」と語っていた被災者が、たちどころに水に困り、給水を受けて「水がこんなにありがたいと思ったことはなかった」と話していた。水は時に恐ろしく、時に有り難い存在である。この水の両面を陛下は皇太子時代の平成27(2015)年にニューヨークで行われた「第二回国連水と災害に関する特別会合」の基調講演でこう語られていた。

山から流れ出る水は飲み水として、あるいは農業のために私たちに多くの恵みをもたらします。しかし、水は時に不足したり多すぎたりし、人々に大きなダメージを与えます。

「恐ろしくも、有り難い水」を我々のご先祖様は神様の賜としてお祀りしていた。その水を司る神様を祀るのが、京都の北部、鞍馬山と貴船山に挟まれた谷間に鎮座する貴船神社である。貴船神社という名前の神社は全国に5百社以上、ご祭神を同じくする神社は2千社以上あるという。それらの総本宮である。

貴船神社の高井宮司は、平成15(2003)年の第3回世界水フォーラムが日本で開かれると決まった時、「これは貴船神社の出番ではないか」と考え、氏子の青年たちや京都の大学生に呼びかけて様々なイベントを行い、京都への誘致に成功した。本番のオープニング・セレモニーでは建築家の安藤忠雄氏と一緒に基調講演を行った。

それ以来、高井宮司は水に関する講演などを行うようになり、それらをまとめて『水と森とお米の国』[1]と題した著書を刊行された。実はこの第3回世界水フォーラムでは今上陛下も名誉総裁として記念講演をされている。

陛下はこの後も水問題に関する国際会議で何度も講演されてきたのだが、その内容は日本人が水問題に取り組んだ歴史に基づいたものが多い。その一部は、高井宮司の本でも紹介されており、宮司の神道からの解説と合わせ読むと、日本人がどういう心持ちで水に取り組んできたのかが、よく分かる。

■2.たくさんの水の神様たち

高井宮司は「一口に水の神様といっても、じつはたくさんいらっしゃいます」と言う。

水そのものの神様は○象女神(みずはのめがみ、○は網の右側のつくり)、水の流れ出す口の所に静まる神様は水速日神(みずはやびのかみ)、山の上で降った雨をあっちの谷こっちの谷に分配される神様を天之水分神(あめのみくまりのかみ)、麓から平地へと流れる水を分配する国之水分神(くにのみくまりのかみ)、流れの速い川の瀬にいらっしゃる瀬織津姫(せおりつひめ)の神、
ほかにも、川には河野神様、水の瀬にいらっしゃる神様、河口にいらっしゃる神様、それから海には海の神様がいらっしゃいます。

貴船神社が祀るのは水の供給を司る神様で、雨の下に口を三つ横に並べ、その下に龍と書く、その一字で「おかみ」と読む。口はお祀りに使う器を表し、龍の神様をお祀りして雨を祈っている様を表している。

我々のご先祖様は、雨が山に降って、それがそこここの谷川に集まり、平野に出て、やがて海に注ぐという水の流れを精密に観察し、その自然の驚異に神様の存在を感じとっていたのである。陛下が平成29(2017)年の歌会始で披露された次の御歌は、ご先祖様たちの思いに通じている。

岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく

■3.水の持つ力と美しさ

ご先祖様たちは水には様々な力がある事を感じとってきた。神社で参拝前に口をすすぎ、手を清めるのは「手水(ちょうず)」。庭先や玄関先を掃除した後に撒く水は「打ち水」。単にほこりが立たないようにするだけでなく、心が洗われる感じをもたらす。

水の中に入って、「身をそぐ」ように穢(けが)れを祓うのが「みそぎ」である。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻って「我は穢(きたな)き国に行った、体を清めよう」と水に入られたのが「みそぎ」の始まりだが、そこから天照大神、月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのをのみこと)が誕生した。

穢れを祓い、清めることによって貴いものが生まれてくる、とご先祖様はえられ、そこに水の清めの霊力を見てとった。

穢れの語源は「気枯れ」で、体内の水分がなくなると体が弱り、また体が汚れて不快になる。水を飲み、体を洗い清めることで、元気を回復する。相撲で取り組みの前に口に含む水を「力水」と言う。水には身体に力を与える霊力が籠もっていると見たのである。

世界保健機構などの調査によると、世界では約7億4800万人の人々が安全な水を飲めず、毎日千人規模の子供が下痢で死んでいる、という。水の霊力に恵まれない人々の不幸である。

また、清らかな水は美しい。そこから我々の祖先は「みずみずしい」という言葉を使うようになった。漢字では「瑞々しい」と書くが、「瑞」とは中国語では宝石の美しさを表す。中国人が宝石に見た美しさを、日本人は水に見た。

我々のご先祖様たちも、日照りで水が無くなった時の苦しみはよくご存じだったろう。だからこそ、清らかな水の持つ力と美しさに賛嘆の念を込めて、「力水」「手水」「みずみずしい」などの言葉を生み出したのである。

■4.棚田は水のダム

水の力を賛嘆していたご先祖様たちは、清らかな水の恵みを安定的に広範囲にいただけるよう、太古の昔からいろいろな工夫を凝らしてきた。その一つが水田、特に斜面に造成された棚田である。陛下は言われる。

良好に管理された棚田は、作物の豊かな稔りをもららすだけでなく、大雨の際にはため池としての役割を果たし、下流に広がる平野の洪水を軽減してくれることにもなるのです。また、田に引かれた水の一部は地下に浸透し、地下水となって下流部を潤します。
小さいながらも、人々の手によって新たな水循環がつくられることになるのです。(第1回アジア・太平洋サミット開会式、平成19(2007)年、

山の傾斜地を何段もの棚田にすることは、いかにも山国らしい工夫であり、苦労である。美しい景観をなす棚田は稲の稔りをもたらすだけでなく、ダムとして水の恵みを安定していただけるよう役割を果たしている。

日本書紀には、天照大神が稲を得られた際に、「其の稲種を以ちて、始めて天狭田(あまのさだ)と長田(ながた)とに殖(う)う」とある。狭い田、細長い田とは、まさに山間の田を思い起こさせる。

■5.21万のため池、16万の古墳

陛下のお言葉に出てくる「ため池」も古来から、ご先祖様たちが水の恵みを安定的にいただけるよう苦心して作ってきたものである。高井宮司の本では、古代の天皇方が各地でため池や灌漑水路を造られてきた様を引用している。

崇神天皇(第10代、3世紀?)
「農は天下のものである。民の生きていく命綱である。今、河内の狭山の田には水が少ない。よって、この地域では十分に農ができないでいる。池溝を多く掘って民のなりわい(生業)を広めよ。」
「よさみの池、かりさか池、さすりの池を造る」

以下、垂仁天皇(第11代)景行天皇(第12代)、応神天皇(第15代)と同様の記述が続き、仁徳天皇(第16代)の4件の記述のうち、最後のものはこうある。

河内のこむくに大溝を掘る。よって、石河の水が引けるようになり、多くの田ができて、この地の百姓は豊かににぎわうようになり、凶作の憂いはなくなった。

先頃、世界遺産に認定された仁徳天皇陵は全国にある16万基もの古墳のうち最大である。当時は気候の寒冷化に伴い、大阪平野が広がりつつあった。そこで田を広げるべく多くのため池や灌漑水路が造られた。そこから得られた膨大な土で古墳が造られた、という説を『世界が称賛する 日本人が知らない日本2 「和の国」という"根っこ"』[a]で紹介した。

こうして造られたため池が、現在では全国で約21万もあるという。ご先祖様が2千年にわたって営々と造られてきたのである。

■6.「耕地面積とともに全国の人口は大きく伸び」

平成27(2015)年、ニューヨークで開かれた「第2回国連水と災害に関する特別会合」では、陛下は紀伊国(現在の和歌山県北部)のある地域が、12世紀後半から17世紀までの間に、田地をほぼ倍増させたことをご紹介され、なぜそこまで拡張できたのか、その背景を歴史的に説明された。

12世紀後半には山間部に散在する溜池から水をいただいていたが、やがて近くの川に大きな堰を設け、そこから用水路で水を引き、それを広範囲に分配するシステムを15世紀から16世紀までに構築していった。陛下は、この講演を次のように結ばれた。

耕地面積とともに全国の人口は大きく伸び、現在の日本社会の基礎を形作っていくことになります。このように時代を超え、地域を越えて、人々の水をめぐる知恵や技術が進歩し、引き継がれ、やがて国の姿を変えていったことに、深い感銘を覚えます。

ご先祖様たちは水を司る神々を拝みながら、その恐ろしさを最小限に食い止めつつ、その恵みを最大限にいただけるよう、知恵と努力を積み重ねてきたのである。その結果が今日、我々が生かされている国土である。

■7.清らかな水に感謝するこころ

先に「世界では約7億4800万人の人々が安全な水を飲めず」と述べたが、高井宮司は実際の光景を見聞した。平成4(1992)年に「アジアの最貧国」と言われていたバングラデシュの農村地帯を視察した時のことである。

その地域は灌漑がうまく行っていなくて、雨期になりますと毎年洪水に悩まされて、農家の暮らしは本当に貧しいものでした。
 
とにかく、どこへ行っても泥水ばかりです。溜池がたくさんあり、顔を洗うのも、髪の毛を洗うのも、鍋や食器を洗うのも、洗濯するのも、その溜池の泥水を使っていました。・・・

3日間そうした様子を見た後で今度は日本人が指導している農場に見学に行きました。そこでは井戸を掘ったことで、清らかな水が滾々(こんこん)と湧き出るようになったと聞きました。用水路には、その清らかな水が豊かに流れて来ていました。

じつを言えば、私はバングラデシュに行ってからずっと泥水ばかり見ていたせいか、なにか重苦しい気分が続いていました。ところが、その清らかな水を見た途端、そういう重苦しい気分がサーっと洗い流されるように、気分爽快になった。

泥水を飲み、泥水で顔を洗っていたら、それが当たり前になってしまう。そういう人々でも、井戸から流れ出る清らかな水を見れば美しいと気がつき、飲めばおいしさと思うだろう。

その思いの究極が、水は様々な神様の賜だと感謝し、水の力や美しさを「力水」「みずみずしい」などの言葉に籠めた日本人の感性である。その感謝と感性が原動力となって、何世紀にもわたって清らかな水の恵みを各地に広げるべく、溜池や水路を作りつづけたのであろう。

高井宮司は、神社にお参りにくる人々に「蛇口をひねるたびに、その向こう側に思いを寄せてください」と話す。現代に生きる我々は蛇口をひねれば、自動的に水が出るのは当たり前で、出てこなかったら「水道局は何をしているのか」と文句を言う。

しかし、蛇口の向こうには雨を受けとめる水源林があり、それを集めて流す溜池や水路がある。それらは我々のご先祖様が2千年ほどかけて、水の神々をお祀りしながら営々と築き上げたものである。

そういう幸福を持てないバングラデシュの人々に比べれば、何という豊かな恵みであろう。こう考えれば、我々も子孫に対して、ご先祖様から受けついた恵みをさらに大きくして遺していかなければならない、と思う。

■8.水問題で世界にご迷惑をおかけしている日本

そんな我々が現在、直面している課題を高井宮司は指摘する。たとえば、現在の我が国の食糧自給率は37%(平成30年)。1億2千万人以上の日本人が日々口にする食べ物の6割以上を輸入に頼っている。その食べ物の生産に、世界各地での水が使われている。

ハンバーガー1個作るのに、1000リットルの水が必要である。500mlのペットボトルで2千本分だ。我が国の輸入している食料を生産するのに海外で約800億立米、すなわち、日本国内で使われる水の年間使用量と同程度の水を使っている。その一方では我が国の水田面積の1/4は休耕田となり、そこに流れている水は無駄になっている。

水不足は人類の直面する最大の課題になりつつある。豊かな降雨量に恵まれた我が国が、さらにその倍も海外の水を使っている。それだけ我々は海外の人々から水を奪ってご迷惑をおかけしている事になる。これではご先祖様たちも、なんと不甲斐ない子孫かと草場の陰で嘆いているのではないか。

蛇口を捻る度に、その蛇口の向こうにいらっしゃる水を司る神々に感謝し、水の力、美しさを賛嘆する感性、そうした神ながらの感謝と感性が、我々が世界の水問題に取り組んでいく原動力となるだろう。そのお手本を今上陛下は示されているのである。

                                      

(文責 伊勢雅臣)

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