「日本人」

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私たち日本人は、いまあらためて、ご皇室のありがたさへの感謝の心を呼び覚ますべきだと思います。それは戦いのためとか、右傾化とか、そのようなものとはまったく異なります。

人々が私有物や私有民とされない国、そういう国を、私たちの祖先は、守り、育み、育て、私たち後生の人に遺してくださっている。私たちは、そのたいせつな日本の姿を、やはり後生に遺す使命を担っていると思います。

水戸黄門様は、本名が徳川光圀(みつくに)で、徳川御三家のひとつである水戸藩の第二代藩主です。
水戸光圀で有名なのが「大日本史」の編纂の開始です。

水戸藩では、この事業が藩の事業となり、藩の思想を形成し、これがために水戸藩は幕末動乱の先駆けになりました。
なぜ、「大日本史」が幕末動乱の先駆けとなったかといえば、「大日本史」を形成する根本思想が「尊王思想」に基づいていたからです。

水戸光圀といえば、天下の副将軍さえも勤めた人であり、徳川幕府の開祖であり東照宮として神としてまで祀られている徳川家康の孫です。
まさに徳川家直系、将軍直下の人物です。
天下の副将軍であり、徳川御三家の一角をなす水戸徳川家の藩主でもあります。

そして彼が生きた時代は、まさに徳川全盛の世を築こうという時代です。

そのような時代に生きながら、なぜ光圀は、将軍ではなく、天皇の歴史を中核とした「大日本史」を編纂したのか。
さらには、どうして水戸に藩を持ったのか。

徳川幕府の威信は、単に徳川家の武力や財力によるものではないからです。
幕府というのは、朝廷の出先機関であり、将軍職も天皇から与えられるものです。
つまり将軍は天皇の部下です。
つまり幕府の将軍という地位と、その地位がもたらす権力は、天皇の権威によって授けられたものです。

そしてわが国は、天下万民も領土も、そのすべては天皇が所有者です。
これを天皇の大御宝(おほみたから)と言います。
幕府は、その大御宝を守る立場にあります。
すなわち「民こそ大事」です。

水戸徳川家が、「大日本史」の編纂を通じてこのことを明らかにしていくことは、徳川の治政を固め、定着させ、さらに国を富ませ、諸国を靖んじる最大かつ最良の道です。
「大日本史」が「儒学」に基づくという人がいます。残念ながら違います。
なるほど「大日本史」は、「儒学」の影響は受けていますが、上下関係の大切さや学問することの大切さを学ぶために儒学を借りているだけで、そこにある根本思想は「神道」にあります。

そしてそうした日本の歴史を明らかにしていくために、光圀が選んだ場所が水戸でした。

いまは茨城県になっています。
なぜ茨城なのか。
理由があります。

茨城県の日立が、当時は高天原のあった場所とされていたのです。

このことは、後になって、超長期の気象状況の変化から、高天原の所在地は時代とともに北に行ったり南に下ったりと、様々に位置を変えていることが明らかになるのですが、光圀が行きた時代には日立から水戸にかけての地域がかつての高天原であったとされたのです。

さて、こうした神道に基づく光圀のもとには、全国からいわゆる「高僧」がたくさん尋ねてきました。
神道に基づく「大日本史」の編纂は、ある意味、仏教界にとっては脅威でもあったからです。

光圀は、宗旨宗派に関わらず、諌言にやってくるいわゆる名僧、高僧と呼ばれる人たちに、毎回、必ず会い、教えを乞いました。
時間を割いて会い、彼らの説く道について、謙虚に教えを受けました。

ところが光圀は、高僧たちの話にはしっかりと耳を傾けるのだけれど、「大日本史」編纂事業は、まったく辞めよとしません。

徳川の政策が、それによって万一仏教排斥に向かったら一大事です。
なにせかつて権勢をふるった仏教界は、秀吉から家康の時代に、武力を奪われたばかりなのです。

危機感を覚えた仏教界からは、全国でも名だたる名僧たちが続々と光圀のもとに派遣されました。
こうして水戸の城下に天下の高僧たちが大集合したとき、光圀は高僧たちを全員、城内に招きました。

そして彼らとしばし歓談したのち、
「日頃より貴僧方より素晴らしいお話を伺わせていただいています。
今日はそのお返しに珍しいものをご覧にいれたいと思う」
と言って、庭に面した座敷の襖(ふすま)を部下に命じて開けさせました。

高僧たちが、何が出て来るのかと期待していると、そこには汚い身なりの男が地面に曳き出されていました。
隣には、刀を持ったお侍(さむらい)が立っています。

「これは先般、当藩で盗みを働いた男でござる。いまから打ち首にいたすところにござる」

そういうと光圀は、庭に降り、自ら刀を受け取ると、「覚悟は良いか」と囚人に声をかけ、大きく刀を振りかぶりました。
そして「エイッ」と、刀を囚人の首めがけて振り下ろしました。

あわや首が刎(は)ねられるとみた瞬間、光圀は、その刀を囚人の首筋一重のところで停めました。
狙いがうまく定まらなかったのでしょうか。

再び刀を振りかぶると、囚人の首をめがけて、裂帛(れっぱく)の気合いとともに、振り下ろしました。
けれど光圀は、また刀を首筋のところで停めてしまいます。

三度目、またあらためて、刀を振りかぶり、振り降ろしました。
けれど今度も首筋一枚のところで刀を停めてしまいます。

どうしたのでしょうか。

光圀は、刀を隣にいる武士に預けると、静かに
「この者を釈放してやれ」と命じました。
そして厳しい顔をして座敷にもどってきました。

光圀は言いました。
「貴僧らは日頃、人の命は重いと解きながら、なぜいま黙って
見ておいでだった?」

そしてさらに強い口調で続けました。

「盗みを働いたくらいで、人の命を奪おうとする私を、なぜ貴僧らは停めようとされなかったのか!」

部屋にいた高僧たちは、ただ黙ってうなだれるより他なく、そのまま退散する他ありませんでした。
首を刎(は)ねられそうになった囚人は、死の恐怖を味わい、そして二度と盗みを働かないと約束して放免されました。

「人の命は重い」・・それは大切な教えです。
けれどその教えを、身を以て実践していくのが、まさに実学であり、現実の政治というものです。
そして古来我が国では、天皇に政治権力者を与えられた者たちが、いかに民を靖(やす)んじるかという明確な目的をもって、様々な取組みをしてきました。

それは机上の学問ではなく、また、口先や頭の中だけの理論ではありません。
現実の利害の衝突や、現実の治安、現実の対立がある中で、天皇からの預かりものである民衆をいかに靖んじるかという、現実のご政道です。

仏を大事にする。
目に見えないものを大切にする。
それはもちろん大切なことです。
水戸光圀も、仏教を排斥するどころか、たいへんにこれを保護しました。
徳川家を興隆させたのも、天海僧正という立派な仏教の高僧がいたからです。

けれど、それらはいずれも、たとえ権力者の前であっても、どこまでも民を大切にするという根幹の大御心に直結しなければ、何の意味もないのです。
光圀はそのことを身を以て示したのが、上にご紹介した逸話です。
これは実話だと言われています。

テレビドラマの水戸黄門は、フィクションです。
水戸光圀は、なるほど諸国を旅していますが、助さん角さんと越後の縮緬問屋のご隠居さんを装っての旅はしていません。

けれど、江戸時代の数多くの演劇、あるいは戦前戦後の映画やドラマなどで、広く黄門様が愛された、それがなぜ水戸のご老公様だったのかといえば、水戸のご老公が、徳川御三家の一角をなす立場にあってなお、我が国本来の国のカタチである「天皇とおおみたから」をどこまでも大切にし、そのことを藩の学問にまで昇華し、さらにはそれを徳川の治政の根幹にしようとしたことによります。

世界中、どこの国でも、民衆は特定の豪族や権力者の私有民です。
私有民ということは、私物です。
私物ですから殺そうが、奪おうが、それは豪族や権力者の勝手です。

けれど、そうではなくて、民衆こそ国の宝だということを、身を以て実現していく。

それはある意味、血みどろの戦いです。
なぜなら世の中には常に、「権力を持てば、人を私物化できる」と勘違いする者が必ず出るからです。

こうした光圀哲学は、水戸藩の歴史となり、伝統となり、血肉となりました。
幕末近くに生きた藤田東湖(ふじたとうご)は、その「回天詩」の中で、次のように謳い上げました。

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苟明大義正人心
(いみじくも大義を明らかにし人心を正せば)
皇道奚患不興起
(皇道なんぞ興起(こうき)せざるを憂えん)
斯心奮発誓神明
(この心奮発して神明(しんめい)に 誓う)
古人云斃而後已
(古人いう、斃(たお)れて後にやむと)
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意訳すれば、
「大義を明らかにし、人心を正し、皇道を打ち立てなければ、我が国は滅んでしまう。ならば自分は、自分の心を奮い起こして八百万の神々に、我が身命を惜しまずと誓う。昔の人は『斃(たお)れて後(のち)やむ』と言った。自分も斃れるまで皇道を打ち立て、守り抜こう」
といった意味になります。

どこまでも皇道を打ち立て護りぬく。
それが日本の、日本人の根源的な生き様なのであろうと思います。
水戸光圀の精神は、こうして水戸藩に息づき、そして幕末動乱期の精神的支柱となっていったのです。

私たち日本人は、いまあらためて、ご皇室のありがたさへの感謝の心を呼び覚ますべきだと思います。
それは戦いのためとか、右傾化とか、そのようなものとはまったく異なります。
人々が私有物や私有民とされない国、そういう国を、私たちの祖先は、守り、育み、育て、私たち後生の人に遺してくださっている。

私たちは、そのたいせつな日本の姿を、やはり後生に遺す使命を担っていると思います。

ねずさん

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