「災害対策国家」

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日本は、古来、「災害対策国家」です。
いざというときのために、平時に全力で備えを完備していく。
それができない、わからない政治家は、日本には要らないのです。

台風15号による停電は、東電管内で約93万軒が停電し、11日になってもまだ46万件、12日の未明でも36万件が停電しており、いまだ全面復旧の見通しはたっていないそうです。

停電によって、この猛暑にエアコンも止まり、逃げ出そうにも電車は動かず、信号機も高速のゲートも動きません。
自動車で逃げるにもガソリンスタンドの機械が動かない。
被災地のみなさまのご無事を祈るばかりです。

原因は台風で、送電の本拠の鉄塔が倒れたからです。
電力の大元が切れたから停電したというわけです。

日本は天然の災害の多い国です。
当然そのような事故もあるでしょう。
けれど、だからこそ、いざというときのために、日頃からの備えを幾重にもしておく。

それが行政であり、政治というものです。
戦後の日本は、日本が災害が世界的に見て極端に多い国土を持つ国であることを忘れています。

わが国が、狩猟採集生活から稲作に変わったのも、災害対策への必要からです。

冷蔵庫のなかった時代において、木の実や干し肉は、備蓄食料としては、せいぜい保(も)って半年です。
けれど、米なら常温で3年の備蓄に耐えることができます。
だから米を中心の文化が広がったのです。

天然の災害は、地震、大水、日照り、干ばつ、大雪、火山の噴火、津波、竜巻、土砂災害など、さまざまなものがあります。
その災害の恐ろしさに加え、ひとたび災害が襲えば、古代ならば、そのあとに待っているのは間違いなく飢饉です。
そして飢饉になれば、必ず疫病が発生し、多くの人の命が奪われます。

そのような悲劇を繰り返さないために何が必要なのか。

災害は神々の御業です。

しかし被害を最小限に食い止めることと、被災地を迅速に復興すること、その間、人々が決して飢えることがないようにしていくことは、これは人にできることです。

そしてそのためには、いざというときのための人の和が必要です。
人の身分による上下関係など、自然災害の前には、もろくも崩れ去るのです。
そうであれば、人々が日頃から知恵と力を合わせて、災害に強い村つくり、町つくり、国つくりをしていかなければなりません。

そもそも関東大震災のときの死者は14万人です。
けれど、関東には、江戸時代に同規模の地震が再三襲ってきていますが、死者は1万人です。

人口は、江戸時代も大正時代も同じです。
しかも江戸時代の家屋は、すべてが木造です。
にもかかわらず、江戸時代の震災での死者数が14分の1でしかなかったのは、日頃からの人災を含めた災害対策が、きちんとできていた時代と、そうでない時代の違いなのです。

ねずさん

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