郵政首脳陣の「日和見経営」

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ゆうちょとかんぽの信用を地に落とした郵政首脳陣の「日和見経営」

7月10日の記者会見では、日本郵便の横山邦男社長(左)の謝罪会見らしからぬ不遜な態度も話題になった

投資信託や生命保険で、高齢者を食い物にするような不適切な販売が横行していた、ゆうちょ銀行とかんぽ生命保険。信用を失墜させたその背景には、日本郵政の首脳陣による日和見主義が見え隠れしている。(ダイヤモンド編集部 中村正毅)
 
日本郵便とかんぽ生命保険が、保険料の二重払いなどによって、少なくとも9万件超の契約で顧客に不利益を与えていた問題で、7月10日の記者会見後も火の手は一向に収まらず、事態はついに8月までの新規保険営業の自粛と、契約の全件意向確認にまで発展した。
 
契約数が2900万件にも及び、両社にとって「寝た子を起こす」リスクさえある作業にあえて踏み切った背景を探ると、垣間見えるのは政府・自民党による強烈なプレッシャーだ。
 
折しも永田町は選挙一色の状態にある。全国郵便局長会(全特)が支援する現職議員が、参院選全国比例区で出馬する中で、自民党は40万票にも達する郵政組織の圧倒的な集票力に、並々ならぬ期待をかけているわけだ。
 
政治家がただでさえ神経をとがらせているこの時期に、集票に影響を及ぼしかねないような問題を顕在化させ、さらに記者会見での火消しに見事に失敗するその姿は、政府・自民党の不興を買うのに十分だった。
 
「ねじを巻かないといけないですかね」
 
首相官邸からため息が漏れ始め、郵政の首脳陣が頭を抱える中で、そうした状況を一番危惧し首筋に寒けを感じているのは、日本郵便の横山邦男社長だろう。
 
横山氏は1981(昭和56)年に住友銀行(現三井住友銀行)に入行。主に企画畑を歩み、さくら銀行との合併時には統合戦略室長を務めており、2006年には三井住友銀行元頭取の西川善文氏と共に、日本郵政の経営に参画した人物だ。
 
郵政に出向後も、なぜか三井住友グループの社宅をそのまま利用しながら、わずか2年余りで姿を消すことになったJPエクスプレスの設立やかんぽの宿の一括売却に携わり、その後騒動となるなど話題に事欠かなかったが、民主党への政権交代をきっかけにチーム西川が解散すると、志半ばで銀行に戻っている。
 
郵政で汗を流したその3年半の間に、親交を深めたのが当時の菅義偉総務相だった。
 
西川氏の下で実務部隊として駆けずり回り、「郵便局長からも好かれていた」(関係者)横山氏の姿を菅氏が見ていたからこそ、7年後の16年に今度は日本郵政の取締役兼日本郵便のトップとして、声が掛かったわけだ。
 
郵政への再登板を巡っては、親しかった森信親前金融庁長官の後押しもあったとされる。
 
一方で、7年のブランクは横山氏にとって想像以上に大きかったようだ。
 
日本郵政はすでに上場し、郵便事業においても市場に対して常に成長性をアピールする必要に迫られるなど、環境が激変していたからだ。

温存していた一昔前の営業推進策
 
かんぽの宿問題での蹉跌を引きずり、郵政が持つ不動産の利活用にこわだる中で、野村不動産ホールディングスの買収計画に飛び付いたものの、交渉は決裂。思い切った成長戦略を描けず焦りが募る状況で、次善の策としてゆうちょ銀行やかんぽ生命の営業推進による手数料収入の拡大で、ひとまず足元を固めるということに、次第に目を向けていったのは必然だったのかもしれない。
 
「組織マネジメントが旧態依然になっていた」
 
不適切販売を巡る謝罪会見で、横山氏はそう語ったが、低金利の環境が続き、かんぽ生命の主力となる養老や学資保険といった貯蓄性商品の販売が低迷する中で、厳しい営業ノルマを郵便局員に課せば、どこかに無理が生じることは、容易に見通せたはずだ。
 
「情報というのは自分から取りに行くんだよ」
 
横山氏はマネジメント論として、現場の若手社員らと積極的に意見交換することで、バッドニュースを含めたフィルターのかかっていない情報を得られると周囲に語っていたというが、トップとして郵便局員の営業実態を果たしてどれほど把握できていたのか。
 
2度にわたる登板で郵政グループの内情を理解していながら、日本郵便やかんぽ生命に、新契約至上主義という一昔前の評価体系や、「回転売買」で営業成績を化粧できるような仕組みを温存させ、改めなかったその責任は、かんぽ生命の植平光彦社長を含めて決して軽くない。
 
その横山氏と同じく、首筋が寒い人物がもう一人いる。ゆうちょ銀の池田憲人社長だ。
 
郵政グループのポストを巡る陣取り合戦を、金融庁と総務省が長年にわたって演じる中で、池田氏は金融庁側の「刺客」として送り込まれ、敵対していた地方銀行との関係改善を期待されていた。
 
池田氏が地銀の雄、横浜銀行の出身ということもあり、16年の社長就任以降は融和ムードがうっすらと広がったのは確かだ。
 
しかしながら、一昨年からゆうちょ銀の預金限度額の一段の引き上げが政治マターになり、地銀と再び敵対することが避けられない状況になっても、池田氏は特段あらがうこともなく、永田町や総務省側になびくかのように、だんまりを決め込んでしまった。
 
池田氏が潔く身を引くことを見越して、後任の人選に入っていた金融庁からは「ある意味、政治家なんでしょうね」という皮肉が漏れた。
 
6月、ゆうちょ銀は高齢者への投信の不適切販売で総務省から行政指導を受けたが、続投が決まった安心感に浸るかのように、根本原因を究明することもなく、「顧客本位の仕事をしていく」という、どこかで聞いた言葉を繰り返すだけだった。
 
そうして、常に永田町の住人の顔色をうかがいながら仕事をしてきた郵政の首脳陣は、今後どう立ち回っていくのか。
 
選挙が終わり一段落すると、よりどころのはずだった政府・自民党が、首脳陣と徐々に距離を取り始める様子が見えてくるかもしれない。

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