「人間のための仕事は」

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人間がつくる全てのものは、本当は人間のためのものでなければなりません。ところがいつの頃からか、人間とシステムが分離されて違うものになってしまったのです。効率よく仕事をするシステムです。
 
人間のための仕事は、効率はよくないかもしれません。一番非効率なのは手作りです。昔は桶もキセルも機械など使わないで全て手作りです。今、生産されているものは全て機械作りです。全て機械のオートメーション化されているので、人間の手が入る余地はありません。
 
車も何秒に1台出来てくるのです。全て機械です。人間の手が入る余地はもうないのです。これが今の世の中です。全てのものは人間に始まって人間に返るのです。経営などは特にそうです。人間無しの経営などあり得るのでしょうか?
 
「もうお前は定年だから会社を辞めろ」とか、「60歳だから定年だ」とか、「70歳で定年だ」とか言われて、自分はまだ会社にいたいのに辞めなければならなくなります。そんな社会はおかしいのです。
 
人間は死ぬまで仕事をするのです。一生涯、仕事です。それが当たり前です。お百姓さんに休みがあるのでしょうか? お休みなどありません。「もう年を取ったから定年だ」などと言ったら飯が食えなくなってしまいます。そんなことはあり得ないのです。
 
今の社会はシステム化されているのです。「何歳になったら辞める」など、アホではないでしょうか? 僕はそんな仕事は絶対にしたくありません。人間は生きているのです。
そのようなことを特に経営者は考えてもらいたいのです。会社の発展といえども、それは人間のためにあるのです。では、その人間とは誰でしょうか? 
 
京都に行って二条城や大覚寺など見て御覧なさい。全て手作りです。全てハンドメイドです。ハンドメイドでも素晴らしい作品が出来るのです。ハンドメイドで物を作っている側も楽しいのです。
 
自分が働けるだけ働いて、素晴らしい芸術作品を残して、後世に良いものを残そうとして書を書いたり、絵を描いたり、物を作ったりするのですから気合が違います。物を作るということは、楽しいのです。
 
オートメーションで物がパカパカ出来てしまうと消費と生産が別れてしまうのです。使う側と創る側の2つに別れてしまいます。本当は一体です。人間が作ったものを見て楽しむのです。或は人間が使って楽しむのですから、「人間が作って人間が楽しむ」というのは、一体化したものなのです。そこに人間は生き甲斐を感じるのです。オートメーションで同じ物が出来てきたら面白くありません。

経営者は、人間を創らなければいけません。経営者は効率の良いシステムを作ることばかり考えているのです。そうではなく、人間をつくりなさい。僕がいいたいことはそれです。
 
経営者は人間をつくるという大事な仕事があります。システムだけをつくるのが経営者ではありません。日産の西川社長は人間の顔をしていません。無機質の冷たい血が通っていないような顔をしてつまらない人間だと思います。
 
もっと人間らしくやればよいのです。人間らしくやれば、失敗もします。上手くいかない場合もありますが、とてつもなく上手くいく場合もあります。そのようなものの中に人間は喜びを感じるのです。
 
仕切られた無機質の事務所の中にいて、冷暖房完備で窓も開かないような部屋にいて、何が面白いのでしょうか? 最近は、アウトドアの生活に憧れて、テントを張ったり、コテージに泊まる人が増えていますが、そのほうが楽しいのです。
 
ご飯も自分でつくるから楽しいのです。全て人が作った料理を食べていたらダメでしょう。作り手と食べる人が違うのです。本当は、作り手と食べる人が一緒のほうがよいのです。
 
ただし、今の社会は現実的にはそんなわけにはいきません。基本的な考え方はそうです。人間を見ていくのです。「この人は、まだ働けるな」という人は大勢います。何故、辞めろというのでしょうか? それはシステムがあるからです。
 
「60歳定年」「70歳定年」というシステムでクビにしてしまうのです。その人間はまだ働けるのですから、「頑張ってね」と言えばよいのです。それを言わないのです。そのような所で生きている人間の気がしれません。僕ならば、気が狂います。
 
エスカレーター式に後ろから押されて、ところてんのようにブーと出てきて、ここへ来るとお終いです。肩をポンと叩かれて「さよなら~」と言われて会社を去るのです。何とも哀れな人生です。
 
それは仕方ないにしても、もっと手作りの生活を生かしていくのです。まず、人間をつくるのです。西郷隆盛のような人間を創ってみなさい。凄く楽しいでしょう。西郷隆盛に使われたら、使われる人も楽しいのです。西郷隆盛は人間が出来ているのです。
 
使う人も大物、使われる人も楽しい、そのような人間を創るということを、今の人は忘れているのではないでしょうか?
 
特に政治家がそうです。安倍晋三は、何処にも人間性がありません。何故、人間性がないとわかるのでしょうか? 安倍さんは、日本の歴史の話は一切しません。「歴史で見ると」という話が演説の途中であってもよいのです。
 
「かつて、大事件がありました。我々はこのように乗り越えてきたのだ」というのが人間性です。安倍さんは、そんな話は絶対にしません。システムの話ばかりです。つまらないこと、この上ありません。
 
安倍さん、「日本男児というものは、」という話をしてみなさい! 会社の社長でも「日本男児というものは、」という話をしたら社員はうれしいのです。そのように日本の歴史を通して見るということが、人間性です。
 
何年何月何処で生まれて、彷徨って人間が生きているのではありません。「何年何月に生まれて、どのような歴史を生きているのか」というのが人間性です。浮浪者ならば家もない、家族もありません。浮浪者ならば、何も考えていません。
 
それでは、野良犬と同じです。「何処で生まれて、このような努力して社長になった」というから、人間性が磨かれていくのです。ところてん式の人間などできはしません。それは学校でいくら訓練しても人間性はできないのです。
 
やはり、世間というものを道場と考えて、その中に神様は優れた人間を押しだしていくのです。自慢ではないけれども、僕の人生は誰にもできません。これは僕だけのものであり、絶対に真似できません。
 
それを誇りに思わなければいけません。若い時は「何故、自分ばかりこんな目に遭うのか?」という考え方をするのです。そうではありません。ある程度まで到達すると、「神様が仕掛け装置をつくってくれて、この世に僕が生まれたのだな」とわかるのです。
 
「そうか、あの時があったから僕は今、こうなったのだな」とわかるのです。それは、人と比較するものではありません。自分が自分で考えていくことです。金持ちの家に生まれたら、「何故、金持ちの家に生まれたのだろうか?」と考えると、必ず理由があるのです。貧乏の家でもよいのです。「何故、私はこんな貧乏の家に生まれたのだろうか?」ということです。
 
いずれにしても神様が与えてくれた環境です。それを生かすのを「知恵ある者」と言うのです。環境を生かせない人を馬鹿というのです。智恵遅れです。そんな人間ばかりです。みんな人を恨むのです。特にそのような人は朝鮮人に多いのです。
 
「人を呪わば穴2つ」といいます。あまり日本の悪口ばかり言っていると、実は自分が腐ってしまっているのです。「人を呪い殺そう」などと考えている人は、自分が死んでいるのです。
 
今の人間は深みがない、厚みがない、つまらないのです。僕たちの若い頃は文学をよく読みました。サルトルやニーチェなど、高校時代できちんと理解していたのです。「文学とは、このような役割があるのだな」「哲学とは、こうだな」とか理解していて、友達に会うとそのような話ばかりです。
 
「唯仏論か、唯神論か、君はどう思うのだね?」と議論したものです。そこで身についた感性が人間性につながっていくのです。そのような話をしなかったら、システムばかりでつまらないのです。能率やシステムや効率化で考えていたらつまらないのです。
 
赤裸々な人間とは、そうではありません。涙もあり、失敗もして、馬鹿でどうしようもならない面もありますが、それでよいのです。そのように人を見ていけばよいのです。「この人を70歳で放りだしたらどうなるのかな?」と思うでしょう。どうしてそのように見てあげられないのでしょうか?
 
「まだ、働けるな。頑張れよ」とポンと肩を叩いてあげればよいのです。うちはそのようなシステムです。クビになどしません。そのようなものです。やれるまでやって御覧なさい。動けなくなったら、老人ホームにでも行けばよいのです。「それまでは面倒見ていく」という気持ちでやらないと人間はダメなのです。
 
そこで今日の教訓です。「システムを作る前に人間をつくれ」です。人は人から生まれて、人のためになることをやるのです。それが楽しい社会というものです。やりがいのある社会です。
 
競争社会で勝つことばかりが能ではありません。僕は競争社会に生きてきたことなど一度もありません。そんなことを考えていません。人を押しのけたり、競争して勝つなど、そんなことは全然関係ありません。
 
人と競争しても仕方ありません。自分なりのペースで行かなければいけません。自分のペースで楽しんで生きることができれば人生の名人です。足の骨を5回も折った人もいます。なんでこんなに5回も折ったのかと考えてみればよいのです。

必ず自分に原因があるのです。骨がもう柔らかくなっているのです。骨粗鬆です。骨粗鬆だと、ちょっと転んだだけで骨が折れてしまいます。何故、そのようになったのでしょうか? それにも原因があるのです。ちゃんと考えてみれば答えが出てくるのです。
 
システム社会だからこそ、人間社会を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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