「熊沢元事務次官の殺人」

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熊沢元事務次官の殺人

まず、最初におかしなことがあります。この熊沢元事務次官が息子を殺害した事件は、「殺人未遂」と出ています。未遂ではなく、これは殺人です。もう息子は死んでしまっているのです。

やった時にはまだ生きていたのかもしれませんが、死んでしまったのだから殺人事件です。政府高官に対しては、警察も遠慮するところがあります。へんてこりんな理屈をつけて、「社会の公平のために殺したのだ」という屁理屈をつけているのです。

すると罪がグッと軽くなります。「狂人で危険な人物だから、こいつを放っておくと殺人を犯すかもしれない。だから私が殺した」と言えば随分罪が軽くなります。「憎しみのために殺したのではなく、社会正義のために処理した」など、そのようなことも書かれています。

そうかもしれませんが、政府高官だと警察も遠慮するところがあります。この間、池袋で2人殺してしまったタクシーの運転手も元事務次官です。定年退職して暇だからタクシーの運転手になったのです。それでやった結果が、親子を殺してしまったのです。それも警察は忖度したことを言っています。そのように上ほど甘いのです。

5月27日、警察庁の坂口正芳長官が全国の警察に対して、北朝鮮の有事に備えるように指示を出したらしいのです。各県の省庁はみなシェルターをもっています。首相官邸も地下10階くらいまであるので、シェルターをもっているのです。皇居にもシェルターがあるのです。

シェルターがないのは、庶民だけです。庶民には、シェルターがどこにあるのかも知らされず、有事の時は逃げ惑うしかないのです。庶民はいつも見殺しです。

これが政府の実態です。原発を52基もつくって、1基爆発しただけで放射能は垂れ流しになり、人は住めなくなってしまうのです。何故、そんなものをつくるのでしょうか? 一体、何を考えているのでしょうか? 狂気の沙汰です。

52基の原発が爆発して放射能が漏れれば日本列島に人が住めなくなってしまうのです。九州など誰も住めなくなってしまいます。腹立たしいことです。政策はそのようなことではダメなのです。

「大丈夫ですから」と言っても、飛行機は落ちるものです。大丈夫などというものは、世の中に一つもありません。何らかの事故を起こすのです。

新幹線もそうです。「まだ事故を起こしていない」というだけで、事故は必ず起きるのです。シェルターもそうです。戦争はもうないと思いますが、世の中にはキチガイがいるのです。

金正恩はエスカレートして、興奮して側近を殺しています。このような人物は何をやるかわからないので危ないのです。側近を殺してしまうのです。怖い話です。共産主義の連中は、これの何処かよいのでしょうか? どこが地上の楽園なのでしょうか?

北朝鮮が暴発することを恐れているのです。

暴発とは、何処から生まれるのかといと疑心暗鬼から生まれるのです。「北朝鮮の金赫哲(キムヒョクチョル)が処刑された」という報道があります。「アメリカとの会談の準備を怠った」という報道がありましたが、そうではありません。

スパイ容疑です。アメリカとの会談が上手くいかなかったのです。トランプ大統領は北朝鮮の核施設を全て掌握していたのです。それを聞いて金正恩は真っ青になってしまったのです。「何故、わかったのだろう」と金正恩は、疑心暗鬼になってしまったのです。

アメリカは、それはわかっています。北朝鮮にスパイを入れているのです。スパイと言っても二重、三重のスパイです。CIAが金を出して、韓国人に渡します。韓国人が工作をするのです。いきなりアメリカ人が工作などしません。

「金赫哲(キムヒョクチョル)は処刑された」と言っていますが、「処刑されていない」という説もあります。「こいつを放っておくと俺がやられる」と思うから、「処刑だ!」と言うのです。どんどんそれが早くなっていくのです。

スターリンは自国民を6千万人も殺したというのです。「側近の目つきが気に食わない」と言って処刑です。みんな処刑です。みんなが自分の命を狙っているように見えてしまうのです。だから疑心暗鬼になるのです。

息子を殺した熊沢さんは、東大法学部出身の超エリートです。何故、こんなエリートがこんな犯罪を犯すのでしょうか? これも普通ならば、信じられません。ハッキリ言うと、それだけエリートは馬鹿だということです。

馬鹿と言っても、その子供はアスペルガー症候群です。アスペルガーは、一つのことしか興味がありません。普通の人は様々なことに興味を持ちますが、興味が一つしかありません。だから、興味がない話はできないのです。

興味がある話でないと、話もしないのです。アスペルガーで成功しているのは、ビル・ゲイツです。アスペルガーだと言われています。アインシュタインも一種のアスペルガーです。奥さんともうまくいかないのです。だから、子供をあまり責められないのです。

熊沢元事務次官の息子は、高校を卒業して大学へ行かないでアニメーションの学校に通ったのです。そのアニメーションの仕事でちょっとは収入があったそうです。アスペルガーですから、それしかできないのです。

このような事件の本質は、僕にはわかります。まず、一つはエディプスコンプレックスです。父親が優秀だと、子供はどうあがいても勝てません。東大法学部なのですから、最高の頭脳です。役人でも勝てないのに、まして大臣の次の事務次官になった人です。絶対に勝てません。そうなると子供はエディプスコンプレックスになるのです。

エディプスコンプレックスは、「父親が憎い」と思うようになるのです。最初は尊敬していても、「何をやっても父親に敵わない」と思うと、だんだん父親が憎くなってくるのです。その原因がわからず、反抗する子供を幽閉してしまう親もいるのです。そんな事件が起きてくるのです。これがエディプスコンプレックスです。

もう一つの原因は、母親が馬鹿だからこそ、アスペルガーになってしまうのです。父親が優秀で子供は馬鹿です。すると子供は母親を恨むのです。「お前が馬鹿だから、俺が馬鹿になってしまったのだよ」と怒るのです。

これは、よくあることです。熊沢さんは、事務次官としては、優秀だったのだろうけれども、子供の教育は全くダメだったのです。まあ、仕事が忙しいから子供の教育などに構っていられないのです。だから、母親にやらせるのです。ところが、母親が全くわかっていなくて、女中のような女だったのでしょう。それも何かの因縁で結婚して、このような事件が起きてしまうのです。

昨日、深層ニュースで、宮台真司と、筑波大学准教授の落合陽一と対談していましたが、宮台さんは何が言いたいのかよくわかりません。宮台真司と宮崎哲弥は、「小室直樹先生の弟子だ」と言うのですが、弟子ではなくてあれは「小室先生の講義を受けた」ということです。

「小室ゼミを開催していて、その時にマックス・ヴェーバーの講義を3日で勉強した」などとくだらない話をしていましたが、その程度の話です。講義を受けただけなのです。「こんな本を読んだら何カ月もかかるものを、3日で講義をやってくれた」という話です。恐るべき速さだと思いますが、小室先生が何を言いたいのか全く理解していません。

宮台さんの言っていることは訳がわかりません。小室先生の言っていることは、スパッとよくわかります。だから、小室先生は凄いのです。宮台さんと全然違います。「ソ連は崩壊します」と小室直樹先生は言ったのですが、これは当たりました。誰も思っていなかったのです。今のアメリカ帝国のようなものです。それは見事に当たったのです。

今の社会問題はアノミーです。アノミーとは、無連帯ということです。人間同士の連帯がとれないのです。みんな個人があつまって、ひしめいている社会です。連帯性がないのです。このアノミーは恐ろしいものです。

そのように様々な事件を解説して、「これもアノミーだ」「あれもアノミーだ」と言うのです。熊沢元事務次官の殺人事件も一種のアノミーです。親と子供の断絶です。小室直樹先生の場合は、実に見事にスパッと切っていくので、聞いている側もよくわかるのです。

宮台さんの話はよくわかりません。宮台さんは社会学者です。「全ての人間の個人的な問題は、社会に原因がある」と考えた人です。社会にこのような原因があるから、その社会はこのような人間的な問題を生んでくるのです。

だから宮台さんは新宿のホステスを取材して、「今の人間は何を考えているのか?」ということを考えているのです。それを社会に一旦戻すのです。「社会がこうだから、こうなのだ」と考えるのです。社会のシステム、社会がもっている問題点と考えるから話がつまらないのです。みんな社会にもっていってしまうのです。

社会にもっていくと人間の責任はないのでしょうか? あるでしょう。人間というのは、社会的動物であるのと同時に個人的な存在です。これは同時進行形です。「社会だけに責任がある」というのは、共産主義の考え方です。「個人だけに責任がある」というのは、個人的な問題です。そうではありません。

社会的な問題と個人の問題があやなして人間をつくっていくのが人間の歴史ですから、それだけではおさまりません。宮台さんは、それをどうしても社会現象としてとらえようとしているから無理があるのです。だから宮台さんの話はつまらないのです。

小室先生は人間性に力を入れていたのです。社会現象ではなく、人間に力を与えたのです。だから面白いのです。社会現象などという話はつまらないのです。一つの問題に対して、いろんな分析があるのです。「この熊沢さんの事件は社会問題だ」と言えば、確かにそうです。

でも、社会問題ではありません。個人の問題です。何でも社会問題にするのではありません。社会問題もあるけれども、このような事件は個人の問題です。教育の問題もからんでくるのです。お父さんは事務次官までやった偉い人です。

「どのような教育観念をもつのか? 人間に対してどのような観念をもっていたのか?」という親の考え方の集大成が子供に出るのです。頭もよくないのに東大法学部の考えでガッとやられたら、子供はたまりません。壊れてしまいます。

そのように難しいのです。芸能界に行きたい子供、大工になりたい子供、すし屋になりたい子供もいるのです。それはそれで伸ばしていけばよいのです。全ての親族が東大法学部卒などというわけにはいきません。

それがわかっていないのです。そのような問題から言うと社会問題です。事務次官が子供を殺すなどありえません。事務次官という立場と、東大法学部という独特なものの考え方があるから、そのような目で見ると社会問題にもなりえるのです。それにアスペルガーの子供、母親が馬鹿なのだということ、様々な問題が集まって起きた事件なのだと思います。

熊沢元事務次官は、短刀を4本くらいもっていたらしいのです。包丁だけではありません。子供を殺すつもりで護身用の短刀を沢山もっていたのです。実は包丁でやったという話ですから、随分覚悟をしてやった事件です。地獄です。

このような事件を起こすということは、あまり良いことをやってきていないのです。自分で必ず果を受けるのです。事務次官は最高の身分です。天皇陛下にも会えるような身分が事務次官ですから偉いのです。大臣の次が次官です。官僚で一番偉い人です。その上が大臣です。大臣は政治家です。そのような偉い人が起こした不思議な事件だと思って僕は注意深く見ていました。

まず、最初におかしなことがあります。この熊沢元事務次官が息子を殺害した事件は、「殺人未遂」と出ています。未遂ではなく、これは殺人です。もう息子は死んでしまっているのです。

やった時にはまだ生きていたのかもしれませんが、死んでしまったのだから殺人事件です。政府高官に対しては、警察も遠慮するところがあります。へんてこりんな理屈をつけて、「社会の公平のために殺したのだ」という屁理屈をつけているのです。

すると罪がグッと軽くなります。「狂人で危険な人物だから、こいつを放っておくと殺人を犯すかもしれない。だから私が殺した」と言えば随分罪が軽くなります。「憎しみのために殺したのではなく、社会正義のために処理した」など、そのようなことも書かれています。

そうかもしれませんが、政府高官だと警察も遠慮するところがあります。この間、池袋で2人殺してしまったタクシーの運転手も元事務次官です。定年退職して暇だからタクシーの運転手になったのです。それでやった結果が、親子を殺してしまったのです。それも警察は忖度したことを言っています。そのように上ほど甘いのです。

5月27日、警察庁の坂口正芳長官が全国の警察に対して、北朝鮮の有事に備えるように指示を出したらしいのです。各県の省庁はみなシェルターをもっています。首相官邸も地下10階くらいまであるので、シェルターをもっているのです。皇居にもシェルターがあるのです。

シェルターがないのは、庶民だけです。庶民には、シェルターがどこにあるのかも知らされず、有事の時は逃げ惑うしかないのです。庶民はいつも見殺しです。

これが政府の実態です。原発を52基もつくって、1基爆発しただけで放射能は垂れ流しになり、人は住めなくなってしまうのです。何故、そんなものをつくるのでしょうか? 一体、何を考えているのでしょうか? 狂気の沙汰です。

52基の原発が爆発して放射能が漏れれば日本列島に人が住めなくなってしまうのです。九州など誰も住めなくなってしまいます。腹立たしいことです。政策はそのようなことではダメなのです。
「大丈夫ですから」と言っても、飛行機は落ちるものです。大丈夫などというものは、世の中に一つもありません。何らかの事故を起こすのです。

新幹線もそうです。「まだ事故を起こしていない」というだけで、事故は必ず起きるのです。シェルターもそうです。戦争はもうないと思いますが、世の中にはキチガイがいるのです。

金正恩はエスカレートして、興奮して側近を殺しています。このような人物は何をやるかわからないので危ないのです。側近を殺してしまうのです。怖い話です。共産主義の連中は、これの何処かよいのでしょうか? どこが地上の楽園なのでしょうか?

北朝鮮が暴発することを恐れているのです。暴発とは、何処から生まれるのかといと疑心暗鬼から生まれるのです。「北朝鮮の金赫哲(キムヒョクチョル)が処刑された」という報道があります。「アメリカとの会談の準備を怠った」という報道がありましたが、そうではありません。

スパイ容疑です。アメリカとの会談が上手くいかなかったのです。トランプ大統領は北朝鮮の核施設を全て掌握していたのです。それを聞いて金正恩は真っ青になってしまったのです。「何故、わかったのだろう」と金正恩は、疑心暗鬼になってしまったのです。

アメリカは、それはわかっています。北朝鮮にスパイを入れているのです。スパイと言っても二重、三重のスパイです。CIAが金を出して、韓国人に渡します。韓国人が工作をするのです。いきなりアメリカ人が工作などしません。

「金赫哲(キムヒョクチョル)は処刑された」と言っていますが、「処刑されていない」という説もあります。「こいつを放っておくと俺がやられる」と思うから、「処刑だ!」と言うのです。どんどんそれが早くなっていくのです。

スターリンは自国民を6千万人も殺したというのです。「側近の目つきが気に食わない」と言って処刑です。みんな処刑です。みんなが自分の命を狙っているように見えてしまうのです。だから疑心暗鬼になるのです。

息子を殺した熊沢さんは、東大法学部出身の超エリートです。何故、こんなエリートがこんな犯罪を犯すのでしょうか? これも普通ならば、信じられません。ハッキリ言うと、それだけエリートは馬鹿だということです。

馬鹿と言っても、その子供はアスペルガー症候群です。アスペルガーは、一つのことしか興味がありません。普通の人は様々なことに興味を持ちますが、興味が一つしかありません。だから、興味がない話はできないのです。

興味がある話でないと、話もしないのです。アスペルガーで成功しているのは、ビル・ゲイツです。アスペルガーだと言われています。アインシュタインも一種のアスペルガーです。奥さんともうまくいかないのです。だから、子供をあまり責められないのです。

熊沢元事務次官の息子は、高校を卒業して大学へ行かないでアニメーションの学校に通ったのです。そのアニメーションの仕事でちょっとは収入があったそうです。アスペルガーですから、それしかできないのです。

このような事件の本質は、僕にはわかります。まず、一つはエディプスコンプレックスです。父親が優秀だと、子供はどうあがいても勝てません。東大法学部なのですから、最高の頭脳です。役人でも勝てないのに、まして大臣の次の事務次官になった人です。絶対に勝てません。そうなると子供はエディプスコンプレックスになるのです。

エディプスコンプレックスは、「父親が憎い」と思うようになるのです。最初は尊敬していても、「何をやっても父親に敵わない」と思うと、だんだん父親が憎くなってくるのです。その原因がわからず、反抗する子供を幽閉してしまう親もいるのです。そんな事件が起きてくるのです。これがエディプスコンプレックスです。

もう一つの原因は、母親が馬鹿だからこそ、アスペルガーになってしまうのです。父親が優秀で子供は馬鹿です。すると子供は母親を恨むのです。「お前が馬鹿だから、俺が馬鹿になってしまったのだよ」と怒るのです。

これは、よくあることです。熊沢さんは、事務次官としては、優秀だったのだろうけれども、子供の教育は全くダメだったのです。まあ、仕事が忙しいから子供の教育などに構っていられないのです。だから、母親にやらせるのです。ところが、母親が全くわかっていなくて、女中のような女だったのでしょう。それも何かの因縁で結婚して、このような事件が起きてしまうのです。

昨日、深層ニュースで、宮台真司と、筑波大学准教授の落合陽一と対談していましたが、宮台さんは何が言いたいのかよくわかりません。宮台真司と宮崎哲弥は、「小室直樹先生の弟子だ」と言うのですが、弟子ではなくてあれは「小室先生の講義を受けた」ということです。

「小室ゼミを開催していて、その時にマックス・ヴェーバーの講義を3日で勉強した」などとくだらない話をしていましたが、その程度の話です。講義を受けただけなのです。「こんな本を読んだら何カ月もかかるものを、3日で講義をやってくれた」という話です。恐るべき速さだと思いますが、小室先生が何を言いたいのか全く理解していません。

宮台さんの言っていることは訳がわかりません。小室先生の言っていることは、スパッとよくわかります。だから、小室先生は凄いのです。宮台さんと全然違います。「ソ連は崩壊します」と小室直樹先生は言ったのですが、これは当たりました。誰も思っていなかったのです。今のアメリカ帝国のようなものです。それは見事に当たったのです。

今の社会問題はアノミーです。アノミーとは、無連帯ということです。人間同士の連帯がとれないのです。みんな個人があつまって、ひしめいている社会です。連帯性がないのです。このアノミーは恐ろしいものです。

そのように様々な事件を解説して、「これもアノミーだ」「あれもアノミーだ」と言うのです。熊沢元事務次官の殺人事件も一種のアノミーです。親と子供の断絶です。小室直樹先生の場合は、実に見事にスパッと切っていくので、聞いている側もよくわかるのです。

宮台さんの話はよくわかりません。宮台さんは社会学者です。「全ての人間の個人的な問題は、社会に原因がある」と考えた人です。社会にこのような原因があるから、その社会はこのような人間的な問題を生んでくるのです。

だから宮台さんは新宿のホステスを取材して、「今の人間は何を考えているのか?」ということを考えているのです。それを社会に一旦戻すのです。「社会がこうだから、こうなのだ」と考えるのです。社会のシステム、社会がもっている問題点と考えるから話がつまらないのです。みんな社会にもっていってしまうのです。

社会にもっていくと人間の責任はないのでしょうか? あるでしょう。人間というのは、社会的動物であるのと同時に個人的な存在です。これは同時進行形です。「社会だけに責任がある」というのは、共産主義の考え方です。「個人だけに責任がある」というのは、個人的な問題です。そうではありません。

社会的な問題と個人の問題があやなして人間をつくっていくのが人間の歴史ですから、それだけではおさまりません。宮台さんは、それをどうしても社会現象としてとらえようとしているから無理があるのです。だから宮台さんの話はつまらないのです。

小室先生は人間性に力を入れていたのです。社会現象ではなく、人間に力を与えたのです。だから面白いのです。社会現象などという話はつまらないのです。一つの問題に対して、いろんな分析があるのです。「この熊沢さんの事件は社会問題だ」と言えば、確かにそうです。

でも、社会問題ではありません。個人の問題です。何でも社会問題にするのではありません。社会問題もあるけれども、このような事件は個人の問題です。教育の問題もからんでくるのです。お父さんは事務次官までやった偉い人です。

「どのような教育観念をもつのか? 人間に対してどのような観念をもっていたのか?」という親の考え方の集大成が子供に出るのです。頭もよくないのに東大法学部の考えでガッとやられたら、子供はたまりません。壊れてしまいます。

そのように難しいのです。芸能界に行きたい子供、大工になりたい子供、すし屋になりたい子供もいるのです。それはそれで伸ばしていけばよいのです。全ての親族が東大法学部卒などというわけにはいきません。

それがわかっていないのです。そのような問題から言うと社会問題です。事務次官が子供を殺すなどありえません。事務次官という立場と、東大法学部という独特なものの考え方があるから、そのような目で見ると社会問題にもなりえるのです。それにアスペルガーの子供、母親が馬鹿なのだということ、様々な問題が集まって起きた事件なのだと思います。

熊沢元事務次官は、短刀を4本くらいもっていたらしいのです。包丁だけではありません。子供を殺すつもりで護身用の短刀を沢山もっていたのです。実は包丁でやったという話ですから、随分覚悟をしてやった事件です。地獄です。

このような事件を起こすということは、あまり良いことをやってきていないのです。自分で必ず果を受けるのです。事務次官は最高の身分です。天皇陛下にも会えるような身分が事務次官ですから偉いのです。大臣の次が次官です。官僚で一番偉い人です。その上が大臣です。大臣は政治家です。そのような偉い人が起こした不思議な事件だと思って僕は注意深く見ていました。

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