国民が共に時を歩む「国民文化」

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元号は国民の理想を掲げ、国民の歩みを象徴する事によって、国民を結ぶ。

■1.「令和」に73.7%の国民が好感

新元号「令和」は多くの国民に歓迎されている。共同通信社の世論調査では、73.7%が「好感が持てる」と回答し、「好感が持てない」は15.7%だった。同時に内閣支持率も大幅に上昇して52.8%、不支持率は32.4%に急減した。「令和」に対する好感と、粛々と元号選定を進めた安倍政権の姿勢が評価されたのだろう。[1]

「令和」に込められた理想を、安倍首相は次のように説明した。

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これは、万葉集にある「初春の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

万葉集は、1200年あまり前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。[2]
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「防人や農民まで」の歌を収めた万葉集は、まさに「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という我が国独自の国柄の結実である。その国書から採られた元号として、「令和」は意味、音感、出典と、三拍子揃ったものと感じた。

特に筆者は、7割以上の国民が好感を持った、という点を嬉しく思った。というのは、元号は国民が喜びも悲しみも共にしながら、時を刻む「国民文化」だからだ。

■2.「令」は「礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人」

しかし、まだ15.7%の人々が「好感が持てない」と答えており、その中には「令和」に対する誤った批判に基づくものもあるので、誤解を糺(ただ)しておきたい。

まず、「令」が「命令、指令、令状」に使われている事から、「政権が国民に命令するものだ」という批判がある。「令」の字は『字通』では「礼冠をつけて、跪(ひざまづ)いて神意を聞く人の意」とある。「令」の上部の「人(ひとやね)」が「礼冠」を現し、その下の部分が「跪いた人」の形を表すという。

「神意を聞く」という語源から、神意に叶った形での「良い」「美しい」という意味が生じた。だから、「令月」も「神々しいほどに冴えた月」という光景を思い浮かべればよいだろう。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「令」を「auspicious」と訳した。「吉兆の、縁起のよい、幸先の良い」という意味で、「神意」につながった語感を持つ、見事な訳だと思う。

そして神意に従うという意味から「命令」という言葉も派生しているが、「令和」の出典はあくまで「令月」であって、その文脈を無視して単語を別の意味に解釈するのは「言いがかり」である。

海外紙のなかには、「令」を"order"(命令または秩序)などと訳して、「日本の右傾化」などと「言いがかり」をつけた新聞もあった。そして、それを「欧米メディアは『日本の右傾化』を懸念」などと鬼の首をとったように報ずる国内左翼メディアもあった。

こうした混乱のゆえか、外務省は"Beautiful Harmony"との訳を発表したが、グローバル時代なのだから、「令和」の公的な英訳を安倍首相の談話と同時に発表したら良かったと思う。それも英語を母語とする日本文学者、たとえば浩瀚な『日本文学史』を著されたドナルド・キーン氏[a]クラスの識者に委嘱して。キーン氏ご自身は、惜しくもこの2月に亡くなられたが。

■3.「零和」では「平和がゼロ」?

文脈を無視した「言いがかり」の極端な例が、中国からやってきた。「令」は「零」と音が同じなので、「零和」では「平和がゼロ」になる、やはり日本人は漢字を知らない、と嘲笑したそうな。音が同じなら、意味も同じになる、とはまさに漢字を知らない人間の言葉である。それなら、齢も鈴も冷もみな同じ意味か? 

漢字には意味を表す部分である形符と、音を現す声符とがある。『字通』では、「零」の「令」は声符とあり、「零」が「令」と音が同じなのは当然なのだ。「雨」が形符であり、「雨が降る」から「落ちぶれる」(零落)、「わずか」(零細)となって、「ゼロ」を意味するようになったようだ。

ちなみに中国紙の環球時報(電子版)は「中国の痕跡は消せない」の見出しで、引用元の「万葉集」も中国詩歌の影響を受けていると指摘したそうだが、当然のことで、言語文化とは先人の蓄積の上に少しづつ積み重なっていくものだ。わざわざ、こんな言わずもがなのことを言う背景には、すでに元号制度を失ってしまった中国人民の悔しさが潜んでいるように感ずる。

独自の元号制度を失った中華人民共和国は西暦を使っているが、西暦とはキリスト教暦である。「十字架を壊したり、聖書を焼却したり、信者を投獄したりしている」(ペンス米副大統領[b])とキリスト教徒を弾圧しながら、彼らの暦を使っている事に矛盾は感じないのか?

もっとも「人民共和国」と言いながら皇帝の如き終身独裁の国家主席を戴き、共産主義を謳いながら昨年一年間だけで62万人の政治家・官僚が汚職で起訴された[3]という壮大な矛盾に比べれば、この程度の矛盾はご愛敬か。

■4.元号は「君主が時間を支配する」道具?

今回の改元では、以上のような「令和」に対する誤解・曲解に基づく言いがかりが中心で、元号制度そのものに対する批判はほとんどなかった。唯一、聞こえてきたのは、共産党・志位委員長の「君主が空間だけではなく時間をも支配するという思想に基づいたもの。ですから、日本国憲法の国民主権の原則にはなじまない」という批判だった。

思想的な次元で反対意見をきちんと述べた点は、評価したい。こういう反対意見との議論を通じて、元号の持つ意義が明らかになるからだ。「令」の文字に牽強付会の言いがかりをつけたり、さらには「安倍晋三首相がしゃしゃり出過ぎじゃないか」(辻元清美議員)と八つ当たりするよりも、はるかに建設的である。

「元号は君主が時間を支配するもの」という指摘は、歴史的には正しい。元号(年号)はシナ皇帝の中華世界支配の象徴だった。7世紀中葉、新羅の外交使節が唐へ行くと、太宗皇帝は「新羅はわが大唐帝国に臣下として使えている家来の分際で、勝手に独自の年号を使うのはけしからん」と怒った。

新羅の使節は、「今まで大唐帝国の正しい暦をお頒(わか)ちいただけなかったので、勝手な年号を使ってきたが、皇帝の思し召しによって、大唐帝国の年号を使わせていただきたい」と卑屈な言い訳をした。これ以降、李朝末期まで、千二百数十年間、朝鮮はシナの年号を忠実に使い続けた。その間、朝鮮人民はシナ皇帝に時間を支配されてきた、と言える。

ちょうどこの頃、わが国は独自の年号を使い出した。西暦645年の大化の改新の頃、おりしも太宗のもとで大唐帝国が非常な勢力を誇っていた時期だが、わが国は独立国として独自の年号を始めた。以来、独自の年号を1300年以上も使ってきたという事は、わが国が独立国として、シナ皇帝による時間支配を拒否してきた歴史の証(あかし)なのである。

■5.「日本でしか通用しないような元号は、、、」

しかし、現在の日本においては、「天皇が日本国民の時間を支配するもの」とは言えない。そもそも法理論的には、元号は合法的な選挙に基づいて成立した内閣が決めたもので、国民主権の原則に従っているからだ。

もし現在においても、暦の選択が「時間を支配する」ことなら、西暦の選択はキリスト教の神が日本国民の時間を支配することとなる。我が国のキリスト教徒は1%にも満たず、それ以外の99%の国民にキリスト教暦を強制することは、信教の自由を侵す。

それに比べれば、元号は特定の宗教や政治思想の産物ではなく、国民統合の象徴と憲法で規定された天皇に結びついているのだから、現憲法との整合性も高い。

西暦とはキリスト教暦である、という認識は、元号制度を考えるうえで、欠かせない視点である。暦には文化的側面と政治経済的な側面がある。

東南アジアなどの仏教国は釈迦が入滅した紀元前544年(ミャンマーやスリランカなど)、あるいはその翌年(タイ王国、カンボジア、ラオスなど)を起点とする仏暦を用いている。また多くのイスラム教国では、預言者ムハンマドのメッカからメディナへの移住があった年を紀元元年とするイスラム暦を用いている。

仏教国が仏教歴を使い、イスラム教国がイスラム暦を使い、キリスト教国がキリスト教暦を使うのが、国際社会の慣行だ。ただし国際的なやりとりが必要な分野では、効率のためにキリスト教暦を使う。ちょうどこれは世界の各民族は母語を使いながら、外交や国際ビジネスの世界では英語を使うのと同じである。

そして、キリスト教暦が世界の外交や国際ビジネス用の共通の暦とされたのは、たまたま過去にキリスト教国が世界の外交や経済を牛耳ってきたからである。それは英語が、国際コミュニケーション言語となっているのと同じ現象である。

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日本でしか通用しないような元号は、年の数え方という観点からすると最底なものであります。だからこそ世界じゅうから消え去り、日本にだけ残つているのであります。[4]
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とは、元号法制化の議論でのある社会党議員の発言だが、暦の文化的側面と政治経済的側面の違いを弁(わきま)えず、なによりも仏暦やイスラム暦などが広く使われている国際世界の実情にも疎い議論である。

■7.元号は共同体の理想を宣明する

元号はわが国における文化的な暦であるが、その意義をもう一度、考えて見よう。

まず第一に、元号はその時代の国民の「かくありたい」という理想を明示する。我々の生活でも、新年に心新たに誓いを立てたり、進学や就職を機に新たな希望に胸を膨らませる。それを国民的規模で、新帝陛下の御即位とともに行うのが、元号の理想を宣明する役割である。

たとえば「昭和」は『書経』の「百姓昭明、協和万邦」から採られた。「百姓」(あらゆる人々)が「昭明」(心安らか)になり、「万邦」(あらゆる国々)と「協和」(協調和合)する、という理想である。[5, 2430]

「平成」は『史記』の「五帝本紀」の「内平らかに外成る」、『書経』の「地平らかに天成る」から採られた。「国の内外にも天地にも平和が達成される」という意味が込められている、と竹下総理大臣は談話で説明した。

「令和」には安倍首相の談話にあるように、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という理想が込められている。そこではさらに「一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」姿が描かれた。

■8.一つの時代の国民の歩みを象徴する

元号が持つもう一つの意義は、国民が共同体として過ごした一つの時代を思い出す象徴となる事である。たとえば、夫婦が新婚時代、子供が小学校に通っていた頃などと一緒に過ごした年月を、何らかの区分で区切って思い出す。人間の記憶は、決して1年1年を単調に繋がった形では思い起こしたりはしない。

共同体としての時間も、同様に元号によって区切られ、特徴づけられる。昭和の大戦と復興、大正デモクラシー、明治維新、安政の大獄、享保の改革、元禄文化、天明の飢饉、建武の中興、保元の乱、延喜・天暦の治、天平文化、白鳳文化、大化の改新と、多くの国民的経験が元号をつけて思い起こされる。この意味で、元号はその時代の象徴となっている。

ちなみに「平成」はどんな時代だったろうか? 平成の30年間、両陛下は、まさに「国の内外、天地の平和」を目指して超人的なご努力を続けられた。まず、度重なる天変地異に際しても、常に被災者に寄り添われ、自衛隊や警察などを励まし続けられた。

阪神・淡路大震災(平成7年)
なゐ(JOG注:地震)をのがれ戸外に過す人々に雨降るさまを見るは悲しき

東日本大震災の被災者を見舞ひて(平成23年)
大いなるまが(JOG注:禍)のいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる

同時に両陛下はオランダやイギリスなど、大戦中の体験から厳しい反日感情を持つ国民との和解を実現された。何度も沖縄に行幸啓されて、国内で唯一の戦場となった沖縄県民の心を慰められた。また硫黄島、サイパン、パラオ・ペリリュー島と慰霊の旅を続けられて、英霊と遺族の心を慰められた。

両陛下の30年は、まさに平成の理想である「内平かに外成る」「地平かに天成る」を目指した苦闘だった。「言葉も亦(また)紅葉のように自ら色づくもの」とは小林秀雄の言であるが、「平成」の元号も両陛下と国民が共に過ごした30年を通じて、見事に色づいた。

「令和」がこれからどのように色づいていくのか、それは国民が次代の両陛下とともに、そこに込められた理想の実現に向けて、追求していくべき課題である。

このように元号とは国民の理想を明らかにし、過ぎ去った時代の国民の歩みを象徴する。まさに国民を統合する働きを持つのである。

                                       

(文責 伊勢雅臣)

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