「新元号を寿ぐ」

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新元号を寿ぐ

昨日新元号が発表されました。
新しい元号は「令和(れいわ)」です。

桜の季節に新元号。
しかも「和(なごみ)」とは!!
素晴らしいと思います。

元号は、天皇の御名御璽をいただいた時点で、その時代を示す御神意となります。

元号が定められるのは、前の元号が終わるときですが、新たに生まれた元号の時代をあとから振り返ってみると、まさに元号はその時代を象徴するからです。

古事記を読むと、最高神であられる天照大御神のお言葉は、時空を超越したものであって、命令ではなく結果であるということがわかります。

同様に天皇のお言葉は、そうしたい、そうなりたい、というものではなくて、そのように表現されていたとしても、それは何年か、あるいは何十年後かに結果になっているものです。
元号も同じです。

明治は「知らすを明らかにする」で、日本は世界に向けて人種の平等を高らかに、明らかにしました。
大正は「大いなる正義」で、大正デモクラシーは、民衆の時代の幕開けを示しました。
昭和は「和を昭(あきら)かにする」で、日本は全力をあげて世界の植民地支配を終わらせました。

平成は「平らかと成る」で、いろいろなことはありましたけれど、振り返ってみれば、右肩上がりの成長ばかりが人々の幸せにはならないということを、日本は世界に示した31年間となりました。

では、新しい元号の「令和」は、どのような時代を示すことになるでしょうか。

令和は「和(なご)み令(せ)しむ」で、和を根幹にすることを御神意とすることを示した元号です。
対立や闘争ではなく、和こそが大事であるということを、これからの日本は世界に示すことになります。

西洋世界が国家同士の争いを繰り返しながら、世界を征服して植民地として支配し収奪していた17世紀〜19世紀、日本は江戸時代というきわめて民度の高い時代を構築していました。

そして西洋世界が、ようやく民衆の自由や平等を手に入れたのが18世紀後半のことです。

ところが日本は、それに先立つこと千年以上も昔に、民衆は国家最高権威である天皇の「おほみたから」であることを明確にしていました。
西洋社会が民主に目覚めた18世紀後半には、光格天皇があらためて、民をこそ宝とすることを教育する京都学習院を設立しています。

文化というものは、王侯貴族が贅を尽くした荘厳な宮殿や、美麗な衣服などの外観のことをいうものではありません。

民衆が互いに慈しみ合い、誰もが豊かに安心して安全に暮らせる社会の構築こそが、文化の香る社会です。
その意味では、日本は世界に先駆けること千年以上もの歴史を持っています。

その日本が、明治以降世界に示し続けてきたことは、人種の平等であり、人々の豊かで平穏な暮らしです。
そして「令和」という元号は、まさしくそのことが御神意であることを内外に宣言した元号となっています。

御神意というものは、ある意味おそろしいもので、それに逆らう者は、何らかのペナルティを受けることになります。
つまり「令和」の時代は、神々の御意思が「和(なご)むことを命ずる」というのですから、対立や闘争を煽るものは、右左関係なく排除されていくことになります。

これは、和のためになんでもかんでも相手の言いなりになるということとは意味が異なります。
互いの尊厳を認めあうところにこそ、和はあるからです。
相手の尊厳ばかりを認めて、自国を卑下することは、もちろん和ではありません。

あるいは逆に、自国の尊厳ばかりを言って、相手を攻撃することもまた、和とは異なるものです。

いつの時代にあっても、内外に問題は山積みです。
しかし問題が起こるということは、物事が動いていることの証(あかし)であって、実はとても良いことです。
何もしていなければ、問題さえも起こらないからです。

そしてそれらの問題の解決の方向として、このたび「令和」というお言葉が降ろされたわけです。

新しい時代の幕開けです。
身を引き締めて、日々是新たに進んでいきたいと思います。

ねずさん

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