「日本製リュックが全アジアで大ヒット」

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日本製リュックが全アジアで大ヒット、偶然と必然とこだわりが生んだお化け商品

ワインボトル2本がクロスする黒いロゴに小さく「anello(アネロ)」と刻まれたリュック――。これを背負って歩く人が急増している。色も柄もさまざまだが、上部の開口部に沿って口金が入っており、ファスナーを開けると大きく全開できるデザインは皆同じ。若い女性のみならず、男性にも、さらに日本のみならずアジアでも、爆発的にこの光景は広がっている。

人気の理由は圧倒的なコストパフォーマンスの良さだ。メーカー希望小売価格で4500円台という安値なのに、丈夫で荷物がたくさん入り、大きなポケットが付いていて収納しやすい。本体の重量は500ミリリットルのペットボトル1本より軽く、肩ひもや背当てにはしっかりしたパッドが入っており、肩に食い込まない。

5000円以下のカジュアルバッグは年間1万個売れれば大ヒットとされる。ところがこのアネロの口金リュックは2014年11月の発売以来、累計で600万個以上を売った“お化け商品”だ。

この謎のブランドは、大阪に本社を持つキャロットカンパニーが世に送り出したもの。もともと服飾雑貨卸が本業の会社で、生みの親である竹本寛自身も、元はイラストレーター志望の、洋服や雑貨好きの若者にすぎなかった。

研究に研究を重ね打ち込んだ
新ブランド立ち上げで失敗
 
イラストとデザインの専門学校に通いながら、古着ショップや婦人服販売員、無印良品のインテリア担当などの仕事を転々とした。無印良品ではアルバイトながら商品の発注やディスプレー作りを任されたこともある。

学校は卒業したものの「絵では食べられない」とイラストレーターの夢は諦め、キャロットカンパニーに03年に就職した。当時は卸専業に近く、事務所も畑の中の倉庫併設のプレハブの建物にあった。デザイナーとして入社した竹本だが、午前中は卸の出荷業務で肉体労働をし、へとへとになった体で午後からデザインをする生活だった。全社員で20人程度という規模だったため、竹本も生産委託先の工場での生産指示から、倉庫での検品作業、値札にバーコードを貼る作業まで、会社の仕事のほとんど全部を経験した。

ちなみに、05年に生まれた「アネロ」ブランドの名付け親も竹本だ。卸業以外にオリジナルブランド商品のラインアップを広げるため「これから成長する意味合いの名前を」という社長の吉田剛からの指示で、年を経るごとに層が増える「年輪」を意味するイタリア語を選んだのだ。

苦い挫折もあった。09年にいままで出したことのない定価1万円前後の高価格帯のブランドを一人で立ち上げた。ありとあらゆるレディースバッグを観察してそのディテールを頭にたたき込み、さまざまな製品を開発した。しかし2年間精根尽き果てるまで取り組んだ仕事は結実することなく、会社はこのブランドから撤退。竹本はアネロの仕事を再度手掛けることになる。

転機が訪れたのは14年だ。

女性用バッグの流行には一定の周期がある。リュック、トートバッグ、ショルダーバッグなどのはやりが定期的にやって来るのだ。ちょうどリュックの流行期に差し掛かるころで、竹本は何か新たな切り口のデザインを探していた。

ふと目に留まったのが、がまぐち状のワイヤが開口部にはめられたポーチ。ドクターバッグやツールボックスなどの、いわゆるプロ職業人向けのかばんに使われる素材ではあったが、カジュアルバッグで使用例はなかったという。

生地にはアウトドア用品でよく使われるポリエステルキャンバスを選び、男女兼用で使えるきれいな色の生地に、ゴールドのファスナーや革の引き手を合わせた。以前失敗したブランド開発で培った「機能性に徹底的にこだわる」という思想を基にデザインを描いた。サンプルが上がってくると、「これはいける」と確信した。

海外と日本で同時ヒット
全ての経験が生かされた
 
結果は、期待をはるかに超えていた。出荷数量分があっという間に完売してしまったのだ。増産がかかるたびに、その数量の桁が増えていく状態だった。

期待を超えた出来事はもう一つある。日本に旅行に来たときにアネロのバッグを買った香港の有名ブロガーが、「開口部が大きく開くので、赤ん坊の荷物などをたくさん詰め込めるマザーズバッグとして便利」とブログで拡散したのだ。

ちょうどインバウンド観光客による爆買いが盛り上がり始めた時期でもあり、日本と同時に台湾、タイ、マレーシア、フィリピンなどに口コミで人気が広がった。

アネロの日本での販路は、卸売りとECサイトが中心だが、海外ではタイに60店、フィリピンに27店ものオフィシャルストアを持つ。大阪・心斎橋に基幹店をオープンしたのは海外出店よりも後となる17年12月だ。

バッグのヒットを機に、アネロのブランドサイトや、スタイルブックなど、ファッション誌のようなスタイリッシュな宣伝媒体も自社で作った。この価格帯のカジュアルバッグでは、あまり見掛けない念入りなマーケティングである。

また、店舗での陳列の様子を取引先がイメージしやすいよう、店舗を模したショールームも竹本自ら造った。イラストレーターを目指したときに学んだデザインの知識や、無印良品で担当していたショーウインドー作りの経験が、十数年後生きることになった。

ここまでの成功は夢にも想像していなかったという竹本だが、これは必然である。これまで学んだこと、成功したこと、失敗したこと全てが結実したのだ。「一過性の流行ブランドではなく、定番として長く愛されるブランドになってほしい」という竹本。全アジアで支持を得るアネロは、確実にその地位を築きつつある。

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