「和」と「ほどく」

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私達日本人は、どこまでも「和」を大切にします。
和とは結ぶことです。
ですから和の反対は「ほどく」ことです。
ちいさく「っ」を入れたら「ほっとく」になります。
つまり、無関心は日本的精神ではないということです。

聖徳太子の十七条憲法は、みなさんご存知のことと思います。
その第一条は「和をもって貴しと為す」で、まさにわが国のカタチそのものをここで明確にお示しになられたものであり、これこそわが国が世界に誇る文化遺産といえるのではなかろうかと思います。

さて、この「和をもって貴しとなす」以下の十七条憲法は、日本書紀に書かれているものです。
日本書紀には次のように書かれています。

「以和為貴」

一見すると漢文で書かれているようです。
だから日本書紀は「外国人向けに書かれた史書」だと言われています。

なぜ「史書」なのかというと、Chinaの歴代王朝には史書があり、その史書はそれぞれの王朝の正統性を示すものだから、我が国もそれを模倣したのだ、と説かれています。

本当にそうでしょうか。

Chinaの場合、王朝の皇帝は世襲ですが、その王には姓があります。
が交代すると、明王朝なら「朱」、清王朝なら愛新覚羅(満州語ではアイシンギョロ)です。

王朝が交代するのは、天命が別の姓を持つ一族に革(あらた)まり、皇帝の姓が易(か)わるので、これを易姓革命(えきせいかくめい)と言います。

別な一族が皇帝になるのですから、そこに王朝を受け継ぐ正統性が必要になります。
そのために書かれるのが、各王朝の史書です。

ところが我が国の天皇には姓がありません。
姓がないのですから、易姓のやりようもありません。
しかも王朝の交代がありません。

神々の時代から万世一系の天皇がシラス国が日本です。
ということは、天皇の正統性を示さなければならない理由が、そもそもありません。

「外国人向けに書かれた」と言いますが、ここでいう外国人というのは、当時の東亜社会においてはChinaを意味するかと思われますが、残念ながら日本書紀は漢字漢文体で書かれてはいますが、Chineseにその漢文は読めません。

たとえば「以和為貴」は、日本人なら「和をもって貴しとなす」と簡単に読めますし、そこでいう「和」とは「人の和」を意味すると、簡単にわかります。

ところがChineseで「和」というのは、「貴方と私」、「君とボク」というときの接続詞の「と」にあたる文字です。
また「貴」は、値段が高いことを意味する文字として使用される字です。

ですからChineseに「以和為貴」という四文字熟語を見せても、「値段が高い接続詞の《と》を用いる」という意味にしか受け止めることができず、まったく意味不明の語句になります。

つまり日本書紀は、漢字で書いた日本語文なのであって、China語で書いた王朝的史書ではない、ということです。
日本の歴史をローマ字で書いて、アメリカ人に意味をわかれと言ったところで無茶な話ですが、これと同じです。

さて「和をもって貴しと為す」の「和」は、「結び」を意味します。
結びの反対は「ほどく」です。
「対立」は、その「ほどけた」状態を言います。

私達日本人は、どこまでも「和」を大切にします。
和とは結ぶことです。
ですから和の反対は「ほどく」ことです。
ちいさく「っ」を入れたら「ほっとく」になります。
つまり、無関心は日本的精神ではないということです。

いろいろなことに関心を持つこと。
そして自分が影響できることに集中すること。
そのために和を結ぶこと。
明るくて元気が良いこと。
それが日本的精神です。

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