「変貌したリベラル派」

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国境の壁やブレクジット支持の裏にある「変貌したリベラル派」への失望

トランプ大統領

アメリカの政治は、トランプ大統領の登場によってカオス化しつつある。

「自国第一」の保護貿易政策をはじめ、最近でも、不法移民に対する「国境の壁」建設予算を巡る議会との対立から政府機関の一部閉鎖が長期化。1月25日、2月中旬までの暫定予算を成立させ、閉鎖を解除することで議会と合意したものの、壁建設の費用を巡っては協議が続く。

イギリスも、国民投票でEU離脱が決まったものの、その具体的な出口が見えずに混乱している。

フランスでは、生活困窮や格差拡大に不満を持つ都市郊外の住民らによる「黄色いベスト運動」が巻き起こり、マクロン政権を窮地に陥れている。その他のヨーロッパ諸国でも、「極右」と呼ばれる政党が勢いを増している。

こうした一連の混乱をもたらしている新興の政治勢力について、いわゆるエリートたち、とりわけリベラル派の政治家や知識人は、一くくりに「ポピュリズム」と呼んで眉をひそめている。

だが混乱の一端は、リベラル派自身が犯した「罪」と関係がある。

労働者らはリベラル派を支持せず

“ポピュリズム”の台頭は
グローバリゼーションへの反動
 
確かに、トランプ支持者、イギリスのEU離脱派、「黄色いベスト運動」の参加者、ヨーロッパ各地で移民排斥を支持する人々の中には、リベラルとはいえない価値観の持ち主も少なくない。

フェイクニュースを信じ込み、過激な主張や行動に至る者がいるのも事実である。

だが、目の前の現象を見て嘆くだけでは、問題の解決にはならない。

こうした「非リベラルなポピュリズム」の台頭という政治現象を引き起こした原因は何か。それを防ぐことができなかったのはなぜか。

もっと率直に言えば、リベラリズムを嫌う人々が、なぜこれほどまでに増えてしまったのか。

まずは、こうした問いに答えなければなるまい。

もっとも、「非リベラルなポピュリズム」がその勢力を拡大した原因については、今となっては多言を要しない。

その原因とは、グローバリゼーションの進展である。

グローバリゼーションは、格差の拡大、失業、賃金の抑制といった現象をもたらした。その結果、特に不利益を被ったのが、先進諸国の労働者階級や中低所得者層だ。

この先進諸国の労働者階級や中低所得者階級が、ついにグローバリゼーションに対して反発し、そして、グローバリズムを否定するナショナリズムを掲げる政治勢力を支持するようになったのである。

今、我々が目の当たりにしている「非リベラルなポピュリズム」の台頭とは、行き過ぎたグローバリゼーションに対する反動である。

このことは、もはや誰の目にも明らかなように思われる。

労働者や低所得者は
リベラル派を支持せず
 
むしろ問うべきは、「『非リベラルなポピュリズム』がこれほど蔓延する前に、どうして、その原因であるグローバリゼーションの行き過ぎを抑制できなかったのか」ということである。

中でも、問題なのは、「グローバリゼーションが行き過ぎる中で、リベラル派は、いったい、何をやっていたのか」ということだ。

というのも、グローバリゼーションの行き過ぎによって被害を受けるのは、労働者階級や中低所得者層である。

そして、リベラル派が伝統的に関心を寄せてきたのは、まさに労働者階級や低所得者層など、いわゆる社会的弱者を保護するということのはずだからだ。

「連帯」「平等」より「多様性」

したがって、本来であれば、リベラル派が反グローバリゼーションの側に回ってもおかしくはない。

そして、もしリベラル派がそうしていたら、労働者階級や低所得者層はリベラル派を支持していただろう。これは、いわば「リベラルなポピュリズム」である。

ポピュリズムの語源は「人民(ポプルス)」だが、その人民に寄り添うことこそが、リベラル派の本来の使命だったはずだ。つまり、もとをただせば、リベラル派こそが、ポピュリストだったのだ。

ところが、実際に、労働者階級や低所得者層が支持したのは、「非リベラルなポピュリズム」だった。彼らはリベラル派を支持しなかったのである。

リベラル派の関心は個人に
「連帯」「平等」より「多様性」

なぜ、こうなったのか。

その理由は、リベラル派の変質にある。

もともと、1960年代後半までのリベラル派は、経済社会を「資本家階級対労働者階級」という階級闘争の図式で考えるマルクス主義の影響を強く受けつつ、経済社会の変革を求めていた。

この頃のリベラル派は、確かに労働者階級の味方だった。

しかし、1968年以降、フランスや日本などで学生運動が過激化して失敗に終わり、同時に、ソ連や中国など社会主義国における抑圧的な体制の現実が明らかになっていくと、リベラル派の社会変革のビジョンは急速に色あせていった。

こうして、リベラル派の知識人たちの多くは、経済社会を階級闘争とみなすマルクス主義から離れていった。それだけではなく、次第に、資本主義体制そのものの構造的な問題に真正面から取り組むことすら、やめてしまったのである。

こうしたリベラル派が「階級」の代わりに関心を寄せたのは、「アイデンティティ」(女性、エスニック・マイノリティー、LGBTなど)だった。

冷戦が終了し、社会主義体制が崩壊した後の1990年代以降は、リベラル派の「アイデンティティー」重視は、ますます決定的になった。

こうした流れに伴って、リベラル派の関心は、社会・階級・団体のような「集団」から、「個人」のアイデンティティーへと移った。

リベラル派が好むスローガンも、従来の「連帯」「平等」から、「多様性」「差異」「解放」「エンパワーメント」へと変わっていったのだ。

変質を象徴した2016年の米大統領選

原点回帰の動きも
サンダース氏らの登場
 
結論を言えば、「非リベラルなポピュリズムの台頭」を招いた責任の一端は、変質したリベラル派にあるということだ。

リベラル派は、非リベラルなポピュリズムを見下したり、嘆いたりする前に、グローバリゼーションに苦しむ人々の受け皿となり得なかったことを反省すべきだろう。

そして、労働者階級のために戦っていた頃の原点に回帰すべきなのだ。

もっとも、リベラル派の原点回帰の動きはすでに出てきている。

例えば、2016年の米大統領選では、民主党のバーニー・サンダース候補は、グローバリゼーションに批判的な立場をとり、健闘した。

「民主社会主義者」を自称するサンダース氏は、原点回帰のリベラル派なのだ。

同様に、イギリスの労働党のジェレミー・コービン党首や、2017年の仏大統領選に出馬したジャン・リュック・メランション候補もまた、原点回帰のリベラル派といえるだろう。

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