「日本の中古農業機械が世界で大人気になった理由」

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日本の中古農業機械が世界で大人気になった理由

古い農業機械を買い取り世界中へ輸出
日本農家を救う新ビジネス

古い農業機械を買い取り世界中へ輸出、日本農家を救う新ビジネス
小型で高性能、使い勝手がよい日本の中古農業機械が、今世界中で大人気だ。この中古農業機械の世界流通という新たな市場を創出し、苦境の日本農家を救っている会社がある
 
田畑の面積が小さい日本で、農業機械は独自の進化を遂げてきた。トラクター、穀物収穫用のコンバイン、田植機、耕耘機など、小型で高性能、使い勝手もいいという日本の中古農業機械が、実はいま世界で大人気だ。

中古農業機械の世界流通というこれまでなかった市場を開拓したのが、鳥取県鳥取市に本社を置く旺方トレーディングである。

本社ビルの建つ敷地には、海外への出荷を待つトラクターが所狭しと置かれている。現在、海外へは平均で月200台ほど輸出されている。トラクターが中心だ。取引先は世界88ヵ国。ヨーロッパが最も多く70%を占める。次いでアジアが25%だ。この他、中東、中南米、アフリカにも渡っている。国別で最も多いのがオランダだ。

同社を創業した社長の幸田伸一(38歳)はこう語る。

「離農する農家は年々増えており、大事に使ってきた農業機械もこれまでは誰かに譲るか廃車するしかありませんでした。それを我々が買い取り、海外で役立てることができるので、農家の皆さんも喜んでいます。

世界にはまだ、牛や馬を使って畑を耕している国もあります。新車のトラクターには手が出ないが、中古ならば何とか手が届く。日本で必要がなくなった機械がまた働いてくれるのだから、当社は日本と世界の農家をサポートしているのです」

買い取り価格は機種、年式、使用年数、状態などで、もちろん変わってくる。新品価格15~20馬力のトラクターで150万~200万円ほど。新品では「馬力×10万円」で価格が決まると言われている。中古になると価格は少なくとも、この3分1だ。

海外で生産されているトラクターは100~200馬力という大型が中心で、実は日本製のように小型で使い勝手のいい中古トラクターの潜在ニーズがあった。例えば、国土の狭いオランダなどはいい例だろう。しかし、これまで単発的な輸出はあったものの、本格的なビジネス化を図った企業はなかった。

国内初の農機具レンタルで農家を支援

「ドイツの農業機械も100~200馬力が主流です。10~20馬力と言えば、せいぜい個人用の芝刈り機程度です。ドイツ製のトラクターも使ってみましたが、やはり日本製の方が使いやすい。車も乗ってみないと乗り心地がわからないように、トラクターも使ってみないとそのよさはわからない。

だから、我々が中古を輸出して日本製のよさを知ってもらうことは、農機具メーカーにとってもいいことなのです。知ってもらえばもらうほど、新品も売りやすくなりますからね」

幸田は大手農機具メーカーともウイン-ウインの関係にあり、海外の農機具メーカーとも住み分けているので、ぶつかることがないという。

国内初の農機具レンタル開始
農家を支援するサービス
 
旺方トレーディングは現在、農機具の買い取り、海外輸出と共に、国内では農機具レンタル、農機具取り扱い会社への卸売りの4事業を行っている。

海外売上高比率は現在7割だ。農機具の年式や状態により、売り先は異なる。中低品質商材は主に海外向け、高品質商材は国内向けに販売している。

買い取りは、離農したり、農機具を買い換えたりする農家が中心だが、圧倒的に離農の場合が多い。査定は型式によって上限額が決まっており、使用年数や状態などで変わってくる。集荷拠点は西日本が鳥取の本社、東日本は栃木県小山市の営業所だ。

集荷した農機具は洗浄し、簡単な修理を行い、動かなくなっている農機具でも、そのまま海外に送る。各国には契約した販売代理店があり、必要な修理を行い販売する。旺方トレーディングと取引を始めてから、事業を拡大した販売店も少なくないという。

「代理店はもともと自動車や建設機械の輸入を行っていた業者が多く、新しい商材として農機具に注目したようです。今は仕入れれば仕入れるだけ売れる状況です」

国内でも代理店を通して販売している。平均的に月50台程度だ。現在、代理店数は約450社となった。中には農機具販売会社もあるので、買い取りと卸売り両方がビジネスになる。

エジプト人留学生がきっかけで輸出がスタート

農機具レンタルも同社が開発した事業と言える。高価な農業機械も、実際に使用するのは田植えや収穫など年間で限られた日数だ。それ以外は納屋でほこりを被っている。

そこで、必要なときだけ、必要な機械を借りるというビジネスは農家にとっては合理的だ。現在リピーターが増え、引き合いもあるが、限定的に営業している。

というのも、当然ながらレンタルしたい時期は重なるため、利用が集中して在庫での対応が難しいためだ。同じ田植機でも苗を扱える量の違いによって注文はバラバラで、「この週末に使いたい」といった緊急の依頼も少なくない。不特定多数の多様な注文に応えるのは難しいのが現状だ。

「今後、自社のみで対応するのは難しいので、連携できるパートナーを探したい」と幸田は語る。農家にとってはメリットの大きいビジネスなので、日本の農業振興のためにもぜひ普及させてもらいたいものだ。

日本に眠っていた中古農業機具を掘り起こし、新たな流通マーケットをつくり出した幸田だが、「いずれは買い取ることのできる中古も尽きるのではないか」と幸田に問うと、こう返事が返ってきた。

「農機具はトラクターだけでありません。コンバイン、田植え機、耕耘機、もみすり機、薬剤散布機など多くの種類があり、中古自動車産業を超えるほどです。まだまだ眠っている農機具は多い。これまで主にトラクターのマーケットをつくってきましたが、もっと商材を増やさないといけません。そうしないと、農家も海外ユーザもハッピーになれません」

エジプト人留学生がきっかけで
念願の輸出がスタート
 
幸田は1979年、鳥取の農家に生まれた。鳥取工業高校卒業後、地元の廃品回収会社に就職したが、給与が十分でなく、家族を養うために自分で商売ができないか、ビジネスのタネを探していた。

会社に勤めて、幸田は初めて古鉄や古紙、段ボール、ペットボトルなどがおカネに変わることを知った。中古自動車もガリバーインターナショナルがあり、ちょうどその頃、中古バイクを扱うバイク王&カンパニーも設立された。建設機械のリサイクル市場もある。「だが農機具には誰も手を着けていない」と幸田は気づいた。実家が農家なので、農機具は身近だった。

外国人を信じないと始まらないビジネス

2000年に独立、21歳で会社を立ち上げた。何とか資金をかき集め、中古農機具を仕入れるのだが、マーケットがないので売り先が見つからず、在庫だけが貯まっていった。海外に輸出する商社に細々と売っていた。

そんな中で鳥取大学に8年間留学していた1人のエジプト人が訪ねてきた。2001年のことだ。

「大きな身体の外国人が突然やってきたので、恐かったですよ。留学生活が終わって、母国に帰るに当たり、日本の中古農業機械を輸入するビジネスをしたいというのです。しかし、いくらで売れるかわからないので、いくら支払えるかもわからない。ともかく、協力してほしいとメチャクチャな話でしたが、このビジネスの出口(売り先)は海外しかないと思っていたので、たとえ騙されても、輸出の仕方などは勉強になるからいいんじゃないかと、信用することにしました。信じずに断っていたら、今はなかったですね」

売り上げが100%海外の時期も
「外国人を信じないと始まらない」

幸田は、中古のトラクターを二十数台かき集めて、500万円分を2002年にエジプトに送り出した。1ヵ月経ち、そろそろエジプトに陸揚げされた頃なのに、エジプト人から連絡がない。携帯に電話しても返事が来ない。

「まんまとやられたかな」と思っていると、それから1週間後にやっと連絡が来た。

「全部売り切れですよ、コウダさん!」

だが、ともかく資金が必要な幸田は一緒に喜べなかった。

「ともかく、おカネを送ってくれって、それが先ですよ(笑)。たぶん、コンテナが港に着くタイミングでお客を集めて、そこで売ってしまったんだと思います。その後も、取引が拡大したのですが、残念ながら3年後に、彼は事故で亡くなってしまいました。でも、別の会社と取引が始まり、エジプトとの取引は順調に拡大しました」

エジプトで海外輸出の突破口は開けたが、それだけでは足りない。幸田はインドヤフィリピンなど東南アジアに単身乗り込んで、売り込みに飛び回った。

輸出においては大企業も中小企業も関係ない

「英語もろくにしゃべれなかったですが、全然怖くなかったですね。現地に着くと、タウンページのような電話帳で、農機具販売店を探して飛び込み営業です。農機具の写真と価格表を持って売り込む。全然売れなかったですね」

同時に英語など外国語のウエブサイトを開設すると、ネットを通じて注文が入るようになった。今では6ヵ国語のウエブサイトがあり、外国語に堪能なスタッフもいる。
 
もちろん、騙されたこともある。東南アジアの国から耕耘機の注文が入り、担当者が日本に来るというので、関西国際空港に迎えに行くと入国審査で引き留められた。不法滞在の危険があるというのだ。幸田が「お客様なのだから私が保証する」と引き取って会社に泊まらせたら、次の日、逃げ出してしまった。日本に入国するためのダシに使われたのだ。

「日本でも海外でも騙す人はいるが、信じないと始まらないですから」と幸田。

順調に海外輸出は増え、売り上げの100%は国外だったが、2008年のリーマンショックで大打撃を受けた。急激に円高が進み、売れば売るほど赤字になった。それでも出荷しなければならない。幸田は会社がもたないと焦り、仕入れ価格を下げてぎりぎりで黒字を守った。それから、国内向けの販売にも力を入れるようになった。

輸出においては大企業も
中小企業も関係ない

今後、10年ほどは日本の農機具の優位性はあり、メイド・イン・ジャパンのブランド力が活きるが、「韓国、中国、インドなどの農機具メーカーがだんだん力を付けてきているので、侮れない」と幸田は危機感を持っている。

それは取りも直さず、日本の農機具メーカーの危機感でもあるだろう。メーカーも国内ばかり見ていると、海外ユーザーに置いてけぼりを食らうかもしれない。

幸田は海外ビジネスについて「輸出に関しては大企業も中小企業も関係ない。日本の技術や商品を世界は待っているので、中小企業でも臆することなく世界に出て行くべきだ。かゆいところに手が届く製品は日本製しかない」と語る。

たった1人で始めた幸田の言葉には説得力がある。幸田に続く中小企業に期待したい。

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