2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
「人を動かす技術」
ヒトラーに信長…独裁者の「人を動かす技術」を暴く
『独裁者たちの人を動かす技術』
「独裁者」という言葉から、どのような印象を受けるだろうか。民衆を虐げ、敵対するものがいれば躊躇なく排除し、恐怖で人々を支配する――そんな冷血で残虐な人間を思い浮かべるかもしれない。
しかし本書『独裁者たちの人を動かす技術』の著者によれば、独裁者たちは人々を自発的に動かすために「まっとうなリーダーシップ」を発揮していたというのだ。
独裁者たちは民衆や臣下から熱烈な支持を集めるだけでなく、誤った方向へ舵を切っているときですら誰にも止められないほどの推進力を生み出す。彼らはいかにして生まれ、支持を得るのか。本書では、古今東西の独裁者たちの言動を詳述し、彼らの「人を動かす技術」を暴いていく。
もちろん、独裁者たちの行った虐殺や暴力支配を肯定することはできない。しかし、自分の思うように事を運ぶために彼らが採った緻密な戦略の数々は驚きに値する。本書を読めば、人を従わせるために必要なのは恐怖だけではないということがよくわかるだろう。著者が「人間の魅力は日々の言動の積み重ねだと気づかされた」と言うほど、独裁者たちが実現してきた熱狂の裏にはたゆまぬ努力があったのだ。
心をつかむ技術 弱者に寄り添う
独裁者たちが用いたテクニックは一朝一夕に取り入れられるものばかりではないが、リーダーシップを発揮したいビジネスパーソンに良いヒントを与えてくれることだろう。
(1)独裁者たちは、恐怖で民衆を支配するだけではなかった。頼りがいのあるリーダーを演出し、大衆の支持を得られるように戦略的に動いていた。
(2)配下の承認欲求を満たすには、優秀な人材を集めて気に入ったものを抜擢し、自分にもチャンスがあると思わせて全体の士気を高めること、ポジションを与えることができないものに対しても別の報酬を与えることが有効だ。
(3)人の心を動かすために、独裁者たちは自分の見た目にこだわっていた。とくに重要なのは、ハツラツとした若々しさである。
◇弱者に寄り添う
独裁者は、必ずしも弱者の敵だというわけではない。多くの独裁者が“弱者救済”のための政策に取り組んでいる。
アドルフ・ヒトラーが政権を握ったとき、ドイツの失業率は40%に達していた。しかしヒトラーが抜本的な対策を講じた結果、わずか4年でほぼ完全雇用を達成することとなる。ドイツはそのころ、第一次世界大戦に敗北し、多額の賠償金を払わざるをえなかった。そんな状況下、ドイツ国民はますます熱狂的にヒトラーを支持するようになっていったのだ。
日本の独裁者、織田信長にもまた、弱者に寄り添う心があった。彼は比叡山の焼き討ちや長島一向一揆での火攻めなど、激しい宗教弾圧を行った人物である。しかし信長は、物乞いをする身体障害者を不憫に思い、町の人たちに彼の世話をするよう頼んだこともあった。木綿20反を渡したうえで、それを売った費用の半額を使って助けてやってほしいという具合に指示を出したという。
これらは、弱者に寄り添うことで頼りがいを演出し、信頼を獲得するという独裁者たちの戦略のひとつだ。
奮い立たせる技術 抜擢する
ワンフレーズを繰り返す
民衆は理解力に乏しく、忘れっぽい。だから独裁者たちは、印象的なワンフレーズをしつこいほど繰り返すという手法を採る。
独裁者ではないが、日本でもこの手法を使った政治家がいる。小泉純一郎だ。彼は「私が自民党をぶっ壊す!」と強いメッセージを発信していた。バラク・オバマが繰り返した「Yes We Can」にも同様のねらいがあったのだろう。
ヒトラーが使ったのは「すべての労働者に職とパンを!」というフレーズだ。彼は大衆の理解力を全く信用していなかった。小難しく述べるよりも、わかりやすいフレーズをひたすら繰り返すことが重要だと冷酷に分析していたのだ。
老若男女に思いを伝え、彼ら彼女らから支持されるためには、要点を絞り、短くわかりやすいフレーズを何度も繰り返す必要があるといえよう。
ワンフレーズの力は、マネジメントにおいても注目を集めている。アメリカのスポーツ界で生まれた「ペップトーク」だ。これは、監督などが試合前の選手たちを鼓舞するために行う短いスピーチで、選手たちの士気が格段に上がることが報告されている。転じてビジネスの現場でも、上司が部下のモチベーションを上げるためにペップトークを実践するようになっているという。
◆奮い立たせる技術
◇抜擢する
独裁者たちが自らの野望を実現するためには、人の心をつかむだけでは足りない。配下には、野望の実現のためにバリバリ働いてもらわねばならないのだ。そのために必要なのは、彼らを奮い立たせることである。
人材育成に心を砕いたのが、織田信長だ。農民の出身でありながらも政治工作の才があるとして、豊臣秀吉を重用した。才能を認められた秀吉は、信長の期待に応えるかのごとく、主君亡き後に天下人となった。
信長は、人種すら気に留めなかった。信長の家臣であった「弥助」は、アフリカのモザンビーク出身であったという。出自よりも能力を重視する彼の様子を見た臣下たちは、「自分にもチャンスがある」と奮起したに違いない。
人材を登用したら、彼らのモチベーションを維持し、長く働いてもらわねばならない。そのために効果的だったのが、「抜擢」である。それぞれにふさわしいポジションを与えることでモチベーションを上げ、支配していたといえる。
自分を魅せる技術 見た目にこだわる
功績を称える
抜擢は効果的だが、すべての人間を出世させることはできない。かといって、人材を大切にしていないと、サボタージュされてしまう可能性がある。そこで重要になるのが、功績を称えることだ。
古代ローマの独裁者、カエサルの例を挙げよう。彼は、自らが執筆した『ガリア戦記』や元老院の報告書に部下の功績を明記していた。誰かを高く評価していることが周りの人間にも伝わるようにしていたのだ。
織田信長もまた、優秀な配下に褒美を与えていた。彼が贈っていたのは、茶器である。茶器の価値を浸透させるために茶会を開いたり、許可なく茶会を開くことを禁じたりもした。その結果、配下たちは、茶器を得るために活躍しようとしたのだ。
カエサルや信長がしていたことは、現代で言う「承認」だろう。独裁者たちは、ただ見返りを与えるだけではなくあらゆる手段で配下を「承認」し、彼らのモチベーションを上げていたのだ。
◆自分を魅せる技術
◇見た目にこだわる
ヒトラーは、演説によって民衆の支持を獲得していった。その演説の中には、労働者や中産階級、愛国者、インテリといったあらゆる人の心に響く内容が含まれていたという。
そんなヒトラーが演説の内容以上にこだわったのが、演説をしている自分の見た目だ。無名の頃から鏡に向かって演技の練習をしていたほどである。さらに、友人のカメラマンに依頼し、演説中の自分の姿を様々な角度から撮影させてもいた。身振り手振りを研究し、民衆にとって頼もしく見えるように工夫を重ねていたのだろう。
彼はまた、自分の好感度に関わる要素として、自分を護衛する私設警護部隊の見た目にもこだわったといわれている。外見と身長の基準を設け、その基準をクリアした者だけをそばにおいていた。
◇ギャップを見せる
話し方や見た目で自分のイメージを確立しても、大衆はやがてそれに慣れてしまう。彼らに刺激を与え、自分の人間性に深みを持たせるために効果的なのは、意外な一面を見せることだ。そうすれば、自分のイメージを壊すことができる。
人を操る技術 厳しい姿勢を見せる
ヒトラーはある村に立ち寄った際、ある少女と知り合った。その日は少女の誕生日だった。するとヒトラーは、自ら車を運転して他の村に行き、オモチャやケーキなどを買い込んできたという。
そのほかにも、秘書にプレゼントを欠かさなかったり、側近に気を遣ったりと、独裁者としての彼からは想像できないほどの優しさを見せていた。
人はギャップを見せられると、そちらが本質だと思い込んでしまうものだ。独裁者としてのイメージが強いぶん、こうした意外性が大きな効果を発揮していたのだろう。
◇若々しさを保つ
政治の世界においては、若々しさが功を奏すことがある。
第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディは、1960年の大統領選でリチャード・ニクソンに勝利した。テレビ討論会で見せた若々しさが勝利の決め手だったと言われている。
ケネディは、テレビ用のメイクアップをほどこしてテレビ討論会に臨んだ。一方のニクソンは病み上がりで、顔色が悪かったにもかかわらず、メイクアップの申し出を断っている。
ニクソンがメイクアップを断ったのは、内容の方が重要だと考えていたからだろう。実際、ラジオで討論を聞いていた聴衆たちは「ニクソンが勝った」と思ったほど、討論ではニクソンのほうが優れていたそうだ。
しかし蓋を開けてみると、勝利したのはケネディだった。映像を観た視聴者にとっては、若々しくハツラツとしてケネディのほうが大統領にふさわしく見えたのだ。実力よりも見た目が勝敗を分けたといえよう。
◆人を操る技術
◇厳しい姿勢を見せる
独裁者たちは、ここぞというタイミングでは強硬手段も辞さない。人を従わせるために恐怖を利用することも多かった。
ソ連のヨセフ・スターリンは、集団農業体制により、農村から穀物を調達しようとしていた。しかし農民たちが反発し、調達が思うように進まない。スターリンは様々な緩和政策を講じたが、事態は好転しなかった。そこでスターリンは、食糧を盗んだ者は容赦なく投獄もしくは銃殺刑に処することにしたという。
裏切りを許す
ルーマニアのヴラド・ツェペシュは、もっと厳しかった。窃盗や虚言が露呈するとすぐさま死刑としたのだ。盗人を鍋で煮て殺し、仲間たちに食べさせるという刑に処すこともあった。
この厳しさは、対象が部下であっても同じく発揮された。命令を遂行できない部下は串刺しの刑にされてしまったそうだ。浮気をした人妻やみだらな振る舞いをした女性も、同じく串刺しの刑だった。その甲斐あってか、ワルキア国の治安は好転したそうだ。
織田信長もまた、冷酷な判断を下すことがあった。彼は父の代からの忠臣である佐久間信盛を本願寺攻めの最高責任者に選んだが、5年にわたって戦線が停滞すると、信盛を高野山へ追放してしまう。長らく仕えた重臣であっても追放されるという事実は、他の者の気を引き締めさせるのに十分だっただろう。
◇裏切りを許す
「罰を科すこと」と「裏切りを許すこと」。これらは矛盾するように見えるかもしれない。しかし実際には、独裁者たちの統治にとってアクセルとブレーキのような役割を果たしている。
魏王・曹操は、「徐州大虐殺」を行ったことで知られている。これは、徐州に逃れていた父が殺されたことをきっかけに怒りを爆発させ、徐州へ兵を向けて暴虐の限りを尽くしたというものだ。そんな彼は、意外にも裏切りに寛容な面を見せている。
最大のライバルである袁紹を撃破したとき、曹操の軍勢は相手方の10分の1程度であった。曹操の敗北を予想した人が大半であったが、袁紹軍の兵糧庫への奇襲作戦が功を奏し、曹操軍が奇跡的な勝利を遂げたのである。
これに驚いたのは曹操の家臣たちだ。彼らは曹操が敗れるものと思い、袁紹に書状を送っていた。袁紹軍本拠地が陥落すれば、書状も発見されてしまう。裏切った臣下たちは処刑を覚悟していたことだろう。
しかし曹操は、意外にも裏切りを許した。「私でさえ勝てると思っていなかったのだから仕方がない」と言い、臣下たちの手紙を焼いてしまったのだという。
怒りに任せて処罰する一面と、処罰を覚悟する人間を許す一面。自分が生殺与奪の権利を握っていることを臣下に理解させ、アメとムチを使って忠誠を誓わせるという戦略だったのだろう。
◇相手を油断させる
新聞記者は、予告なく早朝や深夜に訪問し、相手の不意を突くことがある。独裁者も同じように、相手が油断しているときを狙い、相手を思い通りに操るのだという。
独裁者に現代のビジネスパーソンにも学ぶところ
キューバの独裁者、フィディル・カストロは、早朝4時に会議を開くようにしていた。相手を不利な状況に追い込むため、人間の思考が働きにくい時間帯を意識していだのだろう。参加者たちは、何が何かもわからないうちに、カストロに丸め込まれてしまうというわけだ。
ヒトラーも同じような戦略を取っていた。彼が好んだのは、夕方の演説だ。人は夕方になると徐々に思考力が落ちていく。「夕方になれば、他人の支配的な力にも従順になりやすい」という理由で夕方を選んでいたという。
独裁者たちは、いつも力を使って屈服させているわけではない。相手をうまく操るための工夫を重ねていたのだ。