「新幹線」

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実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか?

丸っこい先頭部が特徴の0系電車。営業運転の最高速度が世界で初めて210km/hに到達した新幹線の初代車両ですが、技術的にはとくに目新しい部分がなく、「すごい車両」ではなかったといいます。なぜ「すごくない車両」が高速運転を実現できたのでしょうか。

すでにあった技術を活用
 
1964(昭和39)年10月1日、世界初といえる本格的な高速鉄道が開業しました。東京~新大阪間515.4km(実キロ)を結ぶ、日本の東海道新幹線です。このとき導入された初代の新幹線電車は、のちに「0系」と呼ばれるようになりました。

新幹線が開業する前、国鉄の在来線で最も速い鉄道車両だったのは、東海道本線の特急列車で使われていた151系電車など。営業運転での最高速度は110km/hでした。しかし、0系は一気に100km/hアップして210km/hに。世界的に見ても、210km/hで営業運転を行う車両は0系が初めてでした。

この話だけを聞けば、「国鉄の研究者たちは何か革新的な技術を開発し、それを0系に導入したに違いない。0系はすごい」と思いたくなります。しかし、実際は少し違います。0系はとくに目新しい技術を導入したわけでなく、すでにある技術を使って開発されたのです。

たとえば、速度を大幅に引き上げるためにモーターの出力が従来の電車より強化されてはいますが、基本的な構造は151系などで使われてきたモーターと同じです。また、トンネルに入ったときの気圧の変化で耳が痛くなる現象(耳ツン)を防ぐため、0系では「気密構造」と呼ばれる技術を採用しています。これも0系が開発される前からあった技術です。

信号システムはどうでしょうか。速度が200km/h以上ともなると、地上に設置した信号機のそばを一瞬で通り過ぎ、肉眼での確認は困難です。これでは安全に運転できません。そこで0系は運転室に信号装置(車内信号機)を設置。その表示方法も青、黄、赤の3色を使うものではなく、「この区間の速度は200km/hまで」というように速度の上限を表示しました。上限を超えた速度で走ろうとすると、自動的にブレーキがかかる仕組みです。

車内信号機を使って速度を自動的に調整するシステムは、自動列車制御装置(=Automatic Train Control=ATC)と呼ばれています。なかなか革新的な技術で、日本で車内信号機を導入したのも東海道新幹線が初めてでした。

ただ、ATCには車内信号機を使う「キャブシグナル式」だけでなく、従来通り線路脇に信号機を設置する「ウェイサイド式」もあります。ウェイサイド式のATCは、1961(昭和36)年に開業した営団地下鉄(現在の東京メトロ)日比谷線で実用化されていました。

すごいのは0系を含む「トータルシステム」

そもそも210km/hという速度自体、1903(明治36)年にドイツのメーカーが開発した試験電車の走行試験で記録されています。単に200km/h以上で走るというだけなら、東海道新幹線が開業する60年以上前に実現していたのです。

0系は新幹線という「トータルシステム」の一部を構成する車両。高速鉄道用として新たに建設された線路を走るために製造された

0系のすごいところは、車両だけでなく線路、信号なども含めた「高速鉄道システム」のひとつとして開発された点にあります。車両は車両として、設備は設備として個別に開発するのではなく、全ての分野を同時に、かつ総合的に開発した「トータルシステム」だったことが、一番重要なポイントだったといえます。

まず、新幹線の線路は2本のレール幅(軌間)を在来線より広くしました。軌間は基本的に広ければ広いほど車体が安定し、とくに高速で運転する場合に適しています。さらに、並行する在来線よりも急なカーブや勾配が少ないルートを採用して、速度を出しやすくしました。

また、鉄のレールと車輪を使う鉄道は摩擦力が小さく、ブレーキをかけてもすぐには止まれません。200km/hで走行中にブレーキをかけても、完全に停止するまでには2kmほど走ってしまいます。これでは踏切での無断侵入などに対応できず、大きな事故につながる恐れもあります。

そこで新幹線は踏切をいっさい設けず、道路との交差は全て立体化することになりました。それ以外の場所でも築堤や高架橋などを通るようにして、一般の人が線路に近づけないようにしています。

つまり、200km/h以上の速度で走るための新しい技術を開発したのではなく、60年以上前からある高速運転技術を活用できる線路を計画し、実際に建設したといった方がいいでしょう。

これに対して0系も、200km/h以上の高速運転に対応した線路を営業運転の列車として走るため、さまざまな工夫が凝らされました。気密構造やATCなども工夫の一部といえますが、とくに特徴的だったのが、16両(デビュー当初は12両)ある編成中の全ての車両にモーターを搭載したことです。

モーターが多いのは「速度」よりも「軽減」

東海道新幹線が開業する前に東京~大阪間を結んでいた在来線の特急電車は、モーターを搭載した重い車両とモーター無しの軽い車両が編成中に混在していました。車両によって重さが異なり、とくに高速運転では線路にかかる力が大きくなります。これでは、せっかく建設した高速運転用の線路もすぐに劣化してしまい、メンテナンスの費用がかさんでしまいます。

京都鉄道博物館で保存されている0系は先頭車を含む4両が連結した状態で展示。すべてモーターを搭載している。

0系は全車両にモーターを搭載したことで、車両ごとの重さの変動を小さくできました。線路にかかる力も抑えられ、メンテナンスにかかる費用を軽減したり、鉄橋など大きな構造物の建設費用を抑えたりすることが可能になったのです。また、モーターを増やしたことで、ひとつひとつのモーターを小さくすることが可能に。その分客室を広くして、サービスの向上を図ることもできました。

このように、新幹線の線路は0系が高速運転しやすい構造で建設され、逆に0系は高速運転用の線路に負担をかけない方式で開発されました。日本に鉄道が開通して以来蓄積されてきたノウハウを活用し、日常的に開発が続けられてきた技術をリファインして築き上げた結果として出来上がったのが、0系とそのシステムだったのです。

もちろん、高速で長距離を走る必要がある新幹線電車ですから、揺れや振動を限りなく少なくするためには、長い時間に及ぶ実験が必要でした。信号や地上の施設も、これまで以上の高い精度と安定性を得るために努力が重ねられています。そうした地道な努力の積み重ねこそが、0系の“すごいところ”だったといえるでしょう。

海外の鉄道関係者のあいだでは、「シンカンセン」が高速鉄道の一般名詞のように使われています。新幹線が世界初の本格的な高速鉄道だったというだけでなく、線路や信号も含めた総合的な鉄道システムとして高く評価されているためと思われます。

英国のヨークにある国立鉄道博物館は、「世界を代表する高速列車」としてJR西日本から0系の先頭車を譲り受け、2001(平成13)年から展示しています。これも「シンカンセン」が海外で高い評価を受けている、その証しのひとつといえるかもしれません。

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