「憲法改正の常識」

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ネール初代インド首相:「もし諸君がこの憲法を抹殺したいというのであれば、憲法を本気に神聖で不可侵のものにすればよい」

■1.憲法改正の「きびしい条件」

東京書籍版中学公民教科書(東書)では日本国憲法の説明の導入として、「国民主権」「憲法改正」「『象徴』としての天皇」の3つの節を設けている。このうち「国民主権」と「天皇」は関連が強いので、本編ではまず「憲法改正」について見ていこう。この「憲法改正」の項は、以下のように手続きの説明が中心になっている。

憲法改正原案が国会に提出されると,衆議院と参議院で審議されます。それぞれ総議員の3分の2以上の賛成で可決されると,国会は国民に対して憲法改正の発議をします。その後,その改正案について,満20歳以上の国民による投票(国民投票)が行われ,有効投票の過半数の賛成を得ると,憲法が改正されます。

育鵬社版中学公民教科書(育鵬)は、同様の手続きを説明しつつも、その「きびしい条件」について、次のように指摘する。

その手続きは,衆議院・参議院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議(提案)したのち,国民投票にかけ,過半数の賛成を得なければならないというきびしい条件が課されています

この「きびしい条件」をどう捉えるのか、という点が、憲法改正問題のポイントの一つであろう。そのプラス、マイナスの両面について、育鵬は次のように説明している。

憲法を絶対不変のものと考えてしまうと,時代とともに変化する現実問題への有効な対応をさまたげることにもなりかねません。しかし,あまり安易にかつ頻繁に改正されれば憲法への信頼感がそこなわれてしまいます。

バランスのとれた厳しさが必要なのだが、現在の日本国憲法の改正条件は、果たしてバランスがとれているのだろうか?

■2.世界一厳しい憲法改正条件

なぜ「きびしい条件」になっているかに関して、東書の説明は以下の通りである。

憲法改正において国民投票が採られているのは, 憲法が国の政治権力を制限し,国民の人権を保障するという重要な法であるため, 国民主権の原理をより強く反映させるべきだと考えられているからです。

しかし、この説明が正しいなら、世界中の憲法で国民投票が改正条件となっていなければならないはずだが、事実はどうだろうか。この点で、育鵬は「主な国(二院制)の憲法改正要件の比較」で、次のような分かりやすい表を提示している。

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日本   議会の賛成: 両院(総議員)の3分の2
     その他の条件:国民投票で過半数
アメリカ 議会の賛成: 両院(定足数=過半数)の3分の2
     その他の条件:4分の3の州議会
ロシア  議会の賛成: 両院(総議員)の5分の3
     その他の条件:憲法制定会議の3分の2(または国民投票)
フランス 議会の賛成: 両院(定足数)の過半数
     国民投票で過半数(または両院合同会議の5分の3)
ドイツ  議会の賛成: 両院(定足数)の過半数
     その他の条件:なし
イタリア 議会の賛成: 両院(定足数)で2回の議決、2回目の議決は各議院の議員の絶対多数
     その他の条件:(ただし、50万人以上の有権者などの要求があれば国民投票)
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この比較で見れば、日本の「両院(総議員)の3分の2」および「国民投票で過半数」は両方とも、最も「きびしい条件」である事が分かる。世界各国の憲法比較を研究されている西修・駒澤大学名誉教授は次のように述べている。

どんな条項の改正もかならず両院の議決により国民投票を求めている国家は、オーストラリア、アイルランド、スイスおよび日本の4か国しかありません。しかし、日本を除くいずれも、国会での議決は過半数とされています。

すなわち、日本の改正条件は世界一厳しい、と言って良さそうだ。

■3.GHQが設定した世界一厳しい条件

なぜこんなにきびしい条件がつけられたのか。前回、論じたように[a]、日本国憲法の原案は占領中に連合軍総司令部(GHQ)のスタッフが1週間が作成したものだが、西教授はそのときのスタッフに当時の事情をインタビューしている。

それによると、当初の原案は、「制定後10年間は改正禁止、その後は、国会の4分の3以上の承認が無ければ改正は成立しない」というものだった。

「日本はまだ完全な民主主義の運用になれる用意がなく、憲法の自由で民主的な規定を逆行から守らなければならない」というのが、その趣旨だったようだ。それに対して、司令部内でも「次代の国民の意思を拘束してはならない」という反論があり、紆余曲折を経た結局、現在の条件に落ち着いたというのである。

マッカーサー自身は「どんなに良い憲法でも、日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしかもたないというのが自分の確信だ」[b]と語っているので、少なくとも占領中は憲法改正はさせない、というのが、その狙いだったようだ。

そういう特殊事情から、現在の世界一厳しい改正条件が残ってしまってるのである。

■4.70余年という無改正期間は世界最長の記録

この世界一厳しい改正条件は、それから70年以上も日本国憲法を「護り」続けている。育鵬は「各国の憲法改正回数」と題した表で、以下のデータを示している。

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国名     制定年 回数
ドイツ     1949 53
アメリカ    1787 18
フランス    1958 18
イタリア    1947 14
韓国      1948  9
中国      1982  4
オーストラリア 1900  3
日本      1946 無改正
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西教授の調査では、日本国憲法は制定年において世界の中で14番目に古く、しかも13番目以内で無改正の国はないから、70余年という無改正期間は世界最長の記録となっている。

東書は「憲法改正の手続き」を図解しているが、それもさることながら、以下の3点は日本国民の常識として説明しておくべきだろう。

第1に改正手続きが世界一と言って良いほど厳しいこと、第2にその理由が占領軍の日本の民主主義への不信にあったこと、第3にその結果、70余年も一度も改正されていない事は世界でも特異な現象である事。

■5.現職閣僚が「改憲発言」すると首が飛ぶという異常事態

百道章(ももち・あきら)日本大学名誉教授は、無改正期間世界一とは、改正条件の厳しさだけでなく、他にも要因があったとして、憲法改正機運の推移を説明している。

そこでは中西輝政・京都大学名誉教授の指摘を紹介して、戦後しばらくは日本国憲法は占領下にやむなくとった仮の姿であり、いつかあるべき姿に戻さねばならないと考えられていたが、その後、戦後教育の影響が出始めた頃から、憲法改正の機運がしぼんでいった、と説明している。

実際に、池田首相以降、歴代総理は就任時に「自分の首相在任中は憲法改正を行わない」ことを公約するようになった。また昭和43(1968)年に倉石忠男農相が「現行憲法は他力本願であり、軍艦や大砲が必要」と発言して引責辞任して以来、現職閣僚が「改憲発言」すると、首が飛ぶという異常事態が20年以上続いた。

その理由として「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」から、改憲を言い出すこと自体が「違憲」であるという主張がなされた。これはとんでもない暴論で、憲法内に改正条項があるという自体から、憲法が改憲の議論を禁じてはいない事は明白である。

憲法のあるべき姿を議論して、その結果、憲法で示された改憲の条件とプロセスを護って、粛々と改憲を進めるべきことを憲法は認めているのである。逆に、改憲の議論を封じること自体は、憲法に示された改憲を許さないという反憲法的行為である。

百地教授は、その背景として、次のような指摘をしている。

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たとえば、日本国憲法は世界で唯一の平和憲法であり、第九条改正は戦争につながるなどといったデマが、戦後、マスコミや進歩的文化人らによってくり返されてきたなども、その原因の一つであろう。[4, p209]
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要は、こうした左翼勢力によって、自由な憲法論議が不当に封じられてきた事が、無改正期間世界一のもう一つの原因だった。。

■6.護憲論の数々

その外にも改憲を封じる議論はいくつかのパターンがある。西教授は次のように分類している。

(1)偽装的護憲論: たとえば、日本共産党は昭和21(1946)年に『日本人民共和国憲法(草案)』を発表し、「天皇制」の廃止、人民共和制の樹立を主張し、平成5(1993)年にも、この草案の歴史的意義を再確認している。

そもそも共産革命を狙う政党が、現行憲法の立憲君主制を支持する事は自己矛盾だろう。同党は一貫して「憲法改悪阻止」を謳っており、自分たちの改憲案による「改正」なら良い、というダブルスタンダードなのである。

(2)蟻の一穴的護憲論: 一度でも改憲を許せば、とめどもなく改憲が進み、「いつか来た道」に戻ってしまう、という、日本国民の理性、主体性をまったく信じていない議論である。

(3)省エネ型護憲論: 現行憲法の問題は認識しつつも、改憲には多大なエネルギーが必要となるので、法律の追加や憲法解釈の変更などで、乗り切っていこうという議論。ここから自衛隊は軍隊ではない、などという常識人には理解困難なアクロバット的な説明が生まれ、日本人の政治常識を混濁させている。

■7.「この憲法を抹殺したいなら」

こうした護憲論の一方、国民の間では憲法改正支持が広がっている。本年4月に行われた読売新聞社による世論調査では、「憲法を改正する方がよい」が51%、「しない方がよい」が46%だった。ただ、世論調査は新聞社により結果が異なり、また時期によって動向も変わる。そのためにも、国民の間で真剣な議論を深めていく必要がある。

中学公民で憲法を教えているのは、そのためだろうが、前節で紹介したような、偽装的、蟻の一穴、省エネ型の護憲論は、いずれも国民の真面目な憲法議論を封じてしまうものだ。ましてや改憲を議論すること自体が憲法違反だ、などという主張は言論封殺そのものである。

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憲法には、ある程度の柔軟性がなければならない。憲法を固定的で、永続的なものにしてしまえば、国家の成長と、活気のある、生き生きとした、そして有機体としての人びとの成長をも止めてしまうことになろう。もし諸君がこの憲法を抹殺したいというのであれば、憲法を本気に神聖で不可侵のものにすればよい。[3, p98]
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インドの初代首相ジャワハルラル・ネールの言葉である。国家も国民も、そして憲法も成長し、時代の変化に対応できなければならないのである。

■8.改憲を経験しなければ本物の立憲政治にはならない

考えて見れば、大日本帝国憲法にせよ、日本国憲法にせよ、日本国民は自らの手で改憲をしたことがない。産業界では現場のルールに関して「決める、守る、直す、守る」が正しいプロセスだと教える。まずは「決めて」、それをきちんと「守る」。その上で、より良いルールが見つかったら「直す」そして「守る」。

憲法を「決める、守る」だけでは、このプロセスの半分しか実行したことにならない。次の「直す、守る」を実施して、初めて立憲政治のプロセスが確立したことになる。ネールの言うとおり、憲法が国家国民とともに成長していってこそ、その憲法を活かす道である。

日本国民は、たとえ世界一厳しい改憲条件であっても、それを堂々と守ったまま乗り越えて、より良い憲法を目指さなければならない。まやかしの護憲論に縛られて憲法論議を封じられたままでは、憲法はやがて死んでしまう。そのためにも、公民教科書では単に改憲のプロセスを説明するだけでなく、改憲の重要性をきちんと説明しなければならない。

                                       

(文責 伊勢雅臣)

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