「ご縁を呼び込む“王道”」

画像の説明

人たらし渋沢栄一の「ご縁を呼び込む“王道”」

数々の修羅場をくぐり抜けてきた名経営者たち。自らの生き様を語った言葉から、これからの人生の指針を打ち立てるヒントを得る。

一人の楽しみは、必ず広く他に及ぶ

「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一。日本初の銀行など約500の会社と約600の教育福祉事業の設立にかかわった。しかし、一人ですべてをつくったわけではない。そこには多くの企業家や資本家の協力があった。

つまり、多くの人を惹きつける魅力を備えた、いい意味での「人たらし」だったのだ。そのことは主著『論語と算盤』をはじめ、残された数多くの言葉からも読み取れる。

「栄一は強運の男だった。そのいい運はいい人とのご縁から生じる。栄一はどのような立場であろうと、人との出会いとご縁を大切にしたのではないか」

こう語るのは、栄一の玄孫にあたる5代目で、コモンズ投信会長の渋澤健。栄一の残した言葉を独自の解釈でまとめた著書もある渋澤が、人を魅了するという観点で、一番心に刻み込んでいるのが次の言葉だという。

「ただこれを知ったばかりでは、興味がない。好むようになりさえすれば、道に向かって進む。もし、それ衷心より道を楽しむ者に至っては、いかなる困難に遭遇するも挫折せず、敢然として道に進む」(『論語講義(二)』)

物事をただ「知った」だけでは興味はわかない。しかし、「面白い」と思えれば、何か行動を起こす。さらに行動してみて心から「楽しい」と思えれば、どんな困難があってもくじけずに邁進できるという意味だ。

「成功した人たちは、どこかの段階で楽しむ心のスイッチが入った人なのではないかなと私は思っている」と渋澤は述べ、栄一の次の言葉につなげる。

「一人の楽しみは、決してその人限りに止まらず、必ず広く他に及ぶ」(『渋沢栄一訓言集』)

「自分が楽しそうにしていると、人が自然に集まってくる。この人と一緒にいると楽しいよねとか、何かやってくれそうだとか、魅力を感じる。世の中で成功している人たちは、個性的な人が多いが、自分の人生を楽しんでいる。そういう人に魅かれて人はついていく」

なるほど、大切なのは自分が心底楽しむこと。これこそが「ご縁」を呼び込む“王道”なのだ。

利己を否定せず利他につなげる
利己を否定せず利他につなげる
「ご縁」というと受け身の感じもするが、栄一は自ら積極的に縁を求めた人でもあった。
「老年となく青年となく、勉強の心を失ってしまえば、その人は到底進歩するものではない、いかに多数でも時間の許す限り、たいていは面会することにしている」(『論語と算盤』)
何歳になっても学ぶ心を失っては、人の進歩は止まる。そうならないためには、忙しくても時間の許す限り、訪れてくる人にはなるべく会うようにしている、という意味だ。そんな面会の機会を得た一人に、イオングループの創業者である岡田卓也の父親である岡田惣一郎がおり、当時15~16歳だった岡田少年は四日市から東京まで行商をしながら旅費を稼ぎ、栄一の自宅を訪ねたそうだ。
「栄一が強運の男だったヒントはここにある。運を持ってくるのは人。時間は有限ですし、面倒くさいかもしれない。けれどそこで人を門前払いするのか、いろんな人と会って意見交換するのか。栄一の家には毎朝、多くの人が陳情に来たが、出勤する前に時間の許す限り会っていた。そういう中で、自分の考えをまとめたり、気づきなどもあったのだろう」
そうしたご縁で出会った人と、どんな関係を築いていくのか。
それが最も大切な点だ。栄一はこうも語っている。
「他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、他人をも利して、ともにその利益を獲得するといずれを優れりとするや」(『渋沢栄一訓言集』)
人を押しのけて、その分まで自分の利益にする人と、人も自分も、どちらも利益が得られるようにする人、どちらが優れているかは明らかだ、という意味である。渋澤はこう解説する。
「利己と利他はよく別だといわれるが、必ずしもそうではなく、私は利己を否定してはいけないと思っている。ただ、利己とはいまのその瞬間だけのこと。ただ、テークだけで、ギブしないというのは、そのときはいいけれども、将来はどうか。いまギブすれば、将来、ギブンされるかもしれない。利己というのはそのときの瞬間のことで、そこに将来という時間軸を刺すと、それがやがて利他につながっていく。結局、栄一は『論語と算盤』で利己と利他のバランスを説いているのではないか」。
次ページ
信頼関係にあった岩崎弥太郎

コメント


認証コード8156

コメントは管理者の承認後に表示されます。