「盗賊王朝」

画像の説明

中国4000年の歴史に照らせば、共産党政権も「盗賊王朝」にすぎない
ゼロからわかる中国の本質

中国を知るための必読書

“中国とは何か”を考えるヒントになる新書を紹介したい。習近平なるものが巨大化していく風景の、そのおおもとを考えるきっかけになるとおもう。

ひとつは高島俊男『中国の大盗賊・完全版』である。
もう一冊は岡野友彦『源氏と日本国王』。
読むと、とても示唆的な中国観に触れられる。まずは『中国の大盗賊・完全版』について。


『中国の大盗賊・完全版』は、1989年の原本『中国の大盗賊』を2004年に書き換えて出された本である。

“盗賊”とあるので、ドロボーの話かとおもってしまうが、違う。
“盗”とは、中国では私的な武装集団のことを指し、仕事はおもに略奪、という乱暴な連中のことである。

いまどきの言い方をすれば「反政府武装勢力」もしくは「武装革命勢力」あたりになるかもしれない。

ただ最初から革命(政権の奪取)を狙っている政治的な集団ではなく、いわば生業として徒党を組んでいるだけで(そして良民の収穫を略奪している)、政権が取れそうなほど巨大になったら、だったらそこから天下を狙ってみる、というたぐいの集団である。

そこまで大きな盗賊というのは、日本にはあまりいない。おもいうかぶのは、たとえば平安時代の平将門などである。あの人はかなり「中国レベルの大盗賊」に近いとおもう。国内に別の国を建てようしたなら、それは「大盗賊」だといえる。

毛沢東=キワメツケの盗賊皇帝

乱世の中国には“盗賊”が跋扈する。

やがて“盗賊”をまとめた豪傑が、王朝を倒し、帝位につくことがある。これが“盗賊皇帝”である。だいたい英雄と呼ばれるが、この新書ではその正体を明確にするため「盗賊皇帝」と呼称する。
盗賊皇帝といえば、まず「漢の高祖」劉邦であり、「明の太祖」朱元璋である。そして、「中華人民共和国の建国者」毛沢東が、キワメツケの盗賊皇帝であると喝破する。読んでいてまことに痛快である。

この三人が成功した英雄で、惜しいところまでいってダメだった大盗賊として「明末の李自成」と「清末の洪秀全」を挙げている。
李自成は明王朝を実際に倒し“順”という王朝を樹てて帝位につくが、女真族の“清”に追われてわずか40日で逃げ出し、横死した。中国では大人気らしい。

洪秀全は“太平天国”という国を作り、南京を落として首都とし、自らは天王と称した。浙江省と江西省とその周辺を支配し、諸外国との外交も始めようとしていたから、独立国家的性格を持っていたのは確かである。ただ、李自成よりはスケールが小さい(洪秀全本人も他と比べるとおもしろみのない男であると、高島俊男の評価はかなり低い)。

失敗した連中も含め、劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全、毛沢東を“中国の大盗賊”として紹介している。

ただこの新書の主題はあきらかに「毛沢東」にある。

毛沢東は、中国の歴代の乱世の英雄=盗賊皇帝の系列にある、と指摘するのが目的の書である。

一般中国人には迷惑千万な話
毛沢東の桁外れの無茶苦茶さ

毛沢東の晩年、1970年代には、まだまだ日本にも共産主義が大好きで、共産主義を実現した中華人民共和国を崇拝している知識人がたくさんいた(特に朝日新聞やその周辺にたくさんいた)。

そういう人たちにとって、毛沢東は、マルクス・レーニン主義につながる「毛沢東思想」の実践者であり、社会主義革命の英雄であった。

いや、そうではない、かれは中国の「盗」にすぎない、というのが高島俊男の主張である。たいへんわかりやすい。

それを指摘した部分。

「毛沢東の伝記はおもしろい。まさに波瀾万丈である。

しかしそれは、史上あまたの盗賊首領や建国皇帝の伝記——王朝末の混乱期に生れあわせた一人の豪傑が、自分の集団を作り、あるいは既成集団を乗っ取って自分の私党とし、国内の政敵を実力で打倒して帝位につき、その後はまず自分に白い眼を向けるインテリや愛想よく尻尾を振らぬ官僚をやっつけ、つぎに建国の功臣たちを粛清し、ついに私党そのものを破壊して、天下を身内一族のものにしようとする……という伝記と、大筋においては少しもちがわぬのである。

つまり毛沢東の伝記のおもしろさは、共産党が人民を解放したの民衆が立ちあがったのというヨタを聞くのがおもしろいのではさらさらなくて、こいつの前では朱元璋も李自成もケチなコソ泥くらいに見えてくるという大盗賊が、中国をムチャクチャに引っかきまわすという、一般中国人にとっては迷惑千万の歴史がおもしろいのである」(p.259)

毛沢東の時代を知っていると、この一文がじつに痛快である。

革命樹立後も毛沢東の「大躍進政策」や「文化大革命」によって中国国内は「ムチャクチャに引っかきまわ」されたのだ。

それらの政策が進行中のころ、中国ではまた何かすごいこと(それもいいこと)が起こっているようだ、と日本の知識人が嬉しそうに見守っていたのをおもいだす。毛沢東は、革命樹立後、ただただ中国国内をただムチャクチャにしていただけだったのだ。

中国は中国でしかない
中国には中国のやり方しかない。

西洋思想を実践していたり、20世紀の世界潮流に乗っているように見えても、中国はただ中国でしかない、ということを本書は指摘している。
その主題を別の言い方をするとこうなる。

「中華人民共和国は中国の歴史上、漢、明につづく強力な盗賊王朝である。

もちろん、中華人民共和国を建てた中国共産党は、最初から政権奪取を目的とした集団であり、したがってその政権奪取前の活動も過去の盗賊とはことなる点が多々あり、また現に王朝とは称していないけれども、しかし共産党の革命は、これを中国歴史の中においてみるならば、朱元璋や李自成と同じように、一つの盗賊集団が漸次壮大になってついに政権を奪取する過程と見た方が理解しやすい。

そのほうが、プロレタリア階級の革命と見るよりもずっと話が合うのである」(pp.50-51)

それに続く部分。

「1927年に毛沢東が作った中国共産党の軍隊は、中国歴史上の、盗賊の流れの上に位置づけられるべきものなのである。それは、マルクス主義を信仰し、不平知識人が指導し、貧しい農民の味方を標榜する、一大盗賊集団であった」(p.51)

“マルクス主義を信仰して”というところは珍しいが、ほかの部分は、歴史上よく見かける、いつもどおりの“不平知識人が指導し、貧しい農民の味方を標榜する”盗賊集団だったのだ。

また、以下のようにも述べている。

「盗賊は、小さいのは村を荒らし、大きいのは都市を占領し、特大のは天下を取るが、別に歴史を発展させた形跡はない。同じようなことを二千年にわたってくりかえしてきただけである」(p.56)

毛沢東一派は、自分たちの革命によって、歴史は大きく発展したと主張していたので(マルクス主義としてはそう主張するしかないのだが)、そんなわけはないだろう、と説明している部分である。たしかにそのとおりだ。

三代皇帝としての鄧小平
鄧小平は三代皇帝

いまの中華人民共和国の初代皇帝が毛沢東だといっても、やはり「毛沢東の子供が帝位を継いでいない」というところで、あまり納得しない人もいるだろう。

隣の北朝鮮王朝のようだとわかりやすいのだが、中国共産党は集団指導体制を取っており、「皇帝」といわれてもイメージしにくいところがある。
毛沢東は、その長男を朝鮮戦争でなくしたため、継がせる有能な子供がなかった。もともと中国的な父系相続に嫌悪感を持っていたとも言われ、だから皇帝の地位を彼の子供が継承することはなかった。

毛沢東は晩年になり、林彪を後継者に指名したが(つまり皇太子に指名した)、公式指名から2年後、林彪は「毛沢東暗殺を企て失敗、国外逃亡途中に死亡」という不可解な事件を起こす。

そののち、死ぬ前の毛沢東が後継者として望んだのは妻の江青であったらしい。そのバックアップに篤実な華国鋒を選び、彼に帝位(党主席)を譲った。

江青グループは、もちろん“毛沢東政治の継続”をかかげていた。

文化大革命の継続であり、つまり社会破壊が続くはずだった。そんなことをされてはたまらない、と動いたのは実力者の鄧小平である。鄧小平はすぐさま江青一派を排除、やがて華国鋒も失脚させ、実権を握る。

このあたりは『中国の大盗賊・完全版』にはこうある。

「中華人民共和国において、党と国家の路線(生存方法の根本)を市場経済の方向へと大転換する英断をくだした皇帝は鄧小平である。
この転換は、初代毛沢東の素志・遺命に反する。だから言ってみれば、鄧小平は明帝国の第三代成祖永楽帝にあたる。創業皇帝の遺志にそむくことによって成功し、国家を生きながらえさせた。
いまにつづきかつ繁栄する「鄧小平の中国」は、毛沢東の中国とは別の王朝である。永楽帝以降の明帝国が太祖光武帝(朱元璋)の明帝国とは別の王朝であるように」

「しかし、初代皇帝毛沢東の最大の願いが自分がうちたてた国家の安泰と存続とにあるならば(そうであるにちがいない)、三代皇帝鄧小平こそ創業皇帝の最大の忠臣である」(pp.317-318)

明帝国との類似におもいをはせ、最近の出来事をまた歴史の視点から見直している、というのが、この新書のすぐれたところである。

鄧小平によって、中国共産党の集団指導体制へと切り替えられたため、より、「盗賊皇帝による帝国」である姿はわかりにくくなった。
しかしその実態は、皇帝とその官僚による独裁支配の国であることにはちがいない。帝位が世襲されていないだけである。

そもそも中国は「国家」なのか

あまりにも空間が巨大すぎて…

もともと中国は、「人民と国家が一体」ということがない。
太古の昔からそうで、いまもそうである。

それはおそらく、太古の昔から中国エリアが巨大で、今も巨大だからだろう。ひとつの国家にまとめるべきような空間ではない。
だからどうもふわっとしている。

このエリアに住んでいる人たちの上に乗っかっているだけである。
古代の国家というのは、世界中でたぶんにそういう性格を持っていたが、中世を経て近代に入ることによって、人民が国家と関わることが多くなった(国民をみな兵士に徴用するのが流行ったからだとおもう)。

しかし中国とその周辺エリアは超然としたまま、国と人とが強く混じり合うことがない。

人民は国家と関係なく生き、国家システムの人が入れ替わろうと(元が明になり、明は清になり、清は中華民国となろうと)、変わりなく暮らしていく。国家が滅びると、人民も滅びる、などとあまり考えてないはずだ(1940年代の日本人はそう信じていたのとはずいぶんと違う)。
広大だから、すべて茫漠としている。

1940年代の毛沢東と、1640年代の李自成が、同じ視点から分析することができる。こういう指摘もある。明末の模様である。

「明末の形成を大観してみよう。

正統政権は明王朝である。これに対して、西からは国内の盗賊(あるいは「革命武装」)李自成が挑戦し、取ってかわろうとしている。東には異民族の満洲(清王朝)があって、虎視眈々と中原を狙っている。三者がそれぞれに存続することはあり得ない。最後にはどれか一つが勝って中国を支配する。あとの二つはほろびるさだめである。

結果は、まず、両正面作戦をとって奔命に疲れた明を李自成が倒した。その途端、満洲人が中国に突入して李自成を駆逐し、以後二百数十年にわたって中国を支配した。

そして20世紀——。

正統政権は国民党の中華民国である。西北の延安に拠る毛沢東の共産党がこれに挑戦し、取ってかわろうとしている。関外では日本が東北三省を制圧して「満洲帝国」を建て中国本土侵入の期をうかがっている。

明朝廷イコール国民党政権、李自成イコール毛沢東、満洲イコール日本、という同一図式になっているわけである。このばあいも勝ちのこるのは一つだけである。

もし歴史がそのままにくりかえすものならば、日本が勝ち残って長期にわたって中国を支配することになる。それはもとより中国人の望まぬところである」(pp.189-190)

17世紀と20世紀の乱世の勢力図が酷似しているという指摘がすごい。また、日本軍(関東軍)が中国正史には「盗賊」として登場しうるという視点もまたすさまじい。

20世紀の動きもまた、歴史的な広い視野で見ると、違って見えてくる、ということである。

中国という場の権力奪取ゲーム

高島俊男『中国の大盗賊・完全版』が指摘しているのは、中国の政権は常に暴力的に取って変われれる可能性がある、ということである。
わが国は「日本」という国号のまま1000年を超えてやってきているが(日本になってからはだいたい1300年ちょっと)、中国大陸の王朝でそんなに長いのはなく、もって300年ほどだ。

秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清(ほかにも細かいのはある)と国の名前そのものが変わる。国号が変わるし、支配地域も微妙に変わる。変わるのがふつうである。中国共産党の帝国が、中国の到達する最終形態である、とは誰もおもっていない。当人たちだっておもっていないだろう。

いつか変わる。倒されて交代する。それが中国である。

広大なエリアであるかぎり、あそこには「国家」ができることはないだろう。権力奪取ゲームの“場所”でしかない。

いまの政権は命かけて取った地位なので、彼らはそれを独占して保持する権利がある。分けたり公開する必要はない。そう考えているはずだ。

中国の歴史的な理屈からすれば、それで正しい。権力は中国共産党のものであり、それに属してないものは権力と無関係で生きるしかない。それが中国システムだ。

新しい国を建てられたのは、敵対勢力を暴力によって追い払った(国民党と協力して日本軍を追い出し、そのあと国民党軍を追い出した)からである。武力による政権奪取だ。何も間違っていないし、いつものことである。

毛沢東一派は、そのときの中国ラウンドで一番強い集団だったから、支配権を取った。漢の劉邦と同じである。

このあと「毛沢東とその仲間の末裔の天下ではもうだめだ、おれが天下をとる」という盗賊が現れ、戦いに勝てば、毛沢東王朝は終わる。そして、その日はいつかやってくる(いつかはわからない。2049年かもしれないし2211年かもしれない)。

共産党政権が恐れているもの
中国共産党が心底、恐れているもの

中国共産党政権が心底、恐れているのは、アメリカでも日本でもない。
国内の「次の大盗賊」である。

過去の自分たちと同じ力を持ちうる集団だ。

国内の不満をまとめ、暴力集団となって、中華人民共和国王朝を倒しにくる連中が怖い。もちろんその盗賊をアメリカかロシアが支援するだろうが(23世紀の日本がしないという保証もない)、アメリカ国軍やロシア国軍が直接やってくる可能性はほとんどないから、やはり警戒すべきは国内の反政府勢力「盗賊」なのだ。

彼らの施策は、次の中国を狙うものたちを抑えることを中心に置かれているはずである。

民衆に不安を抱かさなければ、盗賊は生まれないから、だから人民が安心して生きられるよい政治を続けることにも腐心するだろう。

ただいっぽうで反政府勢力になる可能性のあるものは、どんな小さなものでも見逃さないにちがいない。見つけ次第に潰す。少しでも大きくなりそうなら潰す。小さくても潰す。実際、そうやっているようにおもう。
中国が怖いのは「次の新しい中国」でしかない。

中国の芯はそこにあるとおもって彼の国を見たほうがいい。

中国は誰の国なのか

もうひとつ、中国は誰の国なのか、という問題がある。

中国人の国と考えるだろうが、それは逆である。中国という国に住まう人たちをざっくりまとめて中国人と言っているだけである。中国が先にあって、そこにいる人を中国人と呼んでいるだけ、というのが実情だ。

中華帝国ははるか太古から多民族国家である。4000年以上も昔にそういう理念が抱かれ、いまに続く。

べつだん中国は漢民族だけのものではない。
国家が人民の上にふわっとのってるというのは、そのへんともかかわってくる。

東アジア世界の頂点にいるということは、東アジアすべてにふわっと乗っかっている皇帝である、という意識があるのだ。本当に束ねているかどうかはどうでもよくて、そういう意識を持っていることが重要なのだ。

毛沢東王朝6代皇帝の習近平には、その意識が少しあるように見える。
中国は誰の国なのか、という問題はまた、日本の国王は誰なのか、という問題とも関わってくる。

コメント


認証コード0223

コメントは管理者の承認後に表示されます。