躍進する「建機のベンツ」

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躍進する「建機のベンツ」竹内製作所
売上の97%は海外。欧米市場席捲する長野の企業

海外売上高比率97%超の知られざるグローバル企業。「メード・イン・長野」のミニショベルで欧米市場を席巻する。

品質や性能の高さから、欧米のユーザーが同社製品に名づけた愛称は「建機のベンツ」。2018年2月期推定の売上高は5年前の2倍超にあたる900億円。地方企業が海外顧客の心をつかんだ秘策とは。

米国法人の従業員と製品。背後ののぼり旗の言葉を訳すと「知る人ぞ知る」。プロ好みの質実剛健を示す

NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台になった長野県上田市に隣接する信州の山あいの町に、世界の建機業界で覇権を争うグローバル企業がある。東証1部上場企業なのに、日本での知名度はいまひとつ。それもそのはず、売上高の97%超を海外で稼いでいるのだ。
 
その企業の名は竹内製作所(長野県坂城町)。建築や土木作業の現場で使われるミニショベルを本社工場で生産し、世界に輸出する。2018年2月期推定の売上高は900億円、地域別では北米と欧州が420億円超ずつを占める。その実力は折り紙つきだ。重量6トン未満のミニショベルで、北米市場で5位、欧州では2位につける。

海外の経済成長とともに拡大基調

●竹内製作所の連結業績

注:決算期は2月期。18年は会社推定、19年は市場予想
海外比率が97%超
●地域別の売り上げ構成(18年2月期推定)

なぜ、日本で無名に近い建機メーカーが、欧米でこれほどまでに受け入れられているのか。クボタやコマツ、米国のキャタピラーやボブキャットなど強豪がひしめく中で、「二番煎じではなく、オリジナルの製品を追求してきた」(営業部の宮川修部長)ところに、竹内製作所の強さがある。

「こだわった自社ブランドでの展開」
同社の主力製品、ミニショベルがまさにオリジナル製品だ。コマツなど競合が手掛けるのは、主に数十トンクラス。そこに竹内製作所は2トンの「超軽量」のショベルカーを世に送り出し、市場を切り開いた。1971年のことだ。
 
きっかけは土木会社から舞い込んだ相談だったという。「大型ショベルが入れない狭い場所で使える小回りの利く便利な機械はないかね」。高度成長期で宅地造成や水道工事があちこちで進められていたが、現場の作業はスコップやツルハシを使っての人力頼み。機械化ニーズは高かった。
 
販売すると、飛ぶように売れた。「塗装が乾く前に出荷せざるを得ず、夕立にあって塗装をやり直したこともあった」。創業者で現在84歳の竹内明雄社長はそう懐かしむ。
 
大手が手掛けない領域に入り込み、新たな需要を生み出す。それは、中堅企業が生きる王道でもある。「資本力に勝る大手とウチが正面からぶつかっても勝てない」。竹内社長はそう割り切る。
 
同社が欧米市場で躍進できたのも、国内での大手企業との競争を避け、海外で「オリジナル商品」を送り出すことに活路を見いだしたからに他ならない。

こだわった自社ブランドでの展開
 
ミニショベルでは80年前後にもなると、国内の競合大手も続々と市場参入。競争は激しさを増していた。竹内社長は経営基盤を固めるべく、ヤンマーやIHI、神戸製鋼所などに向けミニショベルのOEM(相手先ブランドによる生産)も始めた。だがこれでは自社ブランドはいつまでも育たず、生産計画などの主導権も取引先に握られたまま。これでは成長はおぼつかない。
 
そこで進めたのが海外シフト。もちろん、すぐに成功を手にしたわけではない。しょっぱなから竹内製作所の建機は壁にぶち当たった。ミニショベルの平均的な稼働時間は海外では年に約2000時間。国内の2倍にのぼる。国内仕様の製品ではとてももたないのだ。竹内製作所は部材の板厚の見直しなど耐久性の強化に追われ、現地市場で受け入れられる製品作りを急いだ。

1989年、ベルリンの壁崩壊。実は約40台の竹内製作所製のショベルが取り壊しに活躍した
 
海外の競合製品と遜色ない耐久性を実現しても、実績も、ブランド力もない竹内製作所の建機が売れるわけではない。競合メーカーの製品とどこで「差」をつけるか。追求したのが、「オリジナル製品」だ。
 
モノ作りは愚直だ。基幹部品のエンジンや油圧機器は外部の専門メーカーから調達するが、それを一つの建機に仕上げる「すり合わせ」の巧みさで品質や性能を向上させてきた。特にショベルの滑らかな動きや作業精度の高さを極めることに力を注いだ。その高い基本性能の上に竹内製作所が差異化の切り札としたのが、競合の常識からは「過剰」とも映る製品の機能拡充だ。

値の張る大型ショベルには搭載されていても、安価でサブシリーズ扱いのミニショベルには搭載されていない機能があることは珍しくなかった。だがそれは供給者の論理。日々乗りこなす顧客の視点に立てば、大型だろうとミニだろうと関係なく役に立つ機能は欲しい。価格が少し高くなってもだ。
 
竹内製作所はミニショベルとしては初めての機能をこれでもかと搭載する戦略を取った。例えば、パーキングブレーキや、乗員が疲れないように肘を台につけたまま操縦できる「ジョイスティックレバー」。また足回り部分の横幅を伸縮可能にすることで、狭い路地にも入っていけるようにした。
 
さらには内部の油圧機器などを整備しやすいように運転席部分が上に跳ね上がる「フロアアップ機構」、ショベルの腕(ブーム)の根元部分を左右にスライドできる「オフセットブーム機構」なども貪欲に取り入れた。
 
大型ショベルに劣らない機能を惜しみなく搭載し、既存のミニショベルの先入観を良い意味で裏切ることで、目の肥えた顧客が評価。品質への信頼やブランドを確立するのに成功した。
 
欧米のユーザーはいつしか、同社のミニショベルにこんな愛称をつけた。「建機のベンツ」。品質と性能の高さを、独ダイムラーの乗用車の最高級ブランドになぞらえた。
 
竹内製作所の製品価格は今も競合品より1割程度高い。競合品との差を認め続ける顧客の厚い信頼が背景にある。この結果、株主が重視するROE(株主資本利益率)もメーカーとして比較的高い水準である2ケタ台を維持できている。

徹底したこだわりで一気に顧客の信頼を勝ち取った

●竹内製作所が搭載したミニショベルとして「世界初」の機能

1971年
● 世界初のミニショベルを開発。
● ショベルの腕(ブーム)を左右にスイングできる機能を当初から搭載
今や住宅建設や水道工事などに必須の存在に

1985
● パーキングブレーキ機能を搭載。坂道などでの安全性向上

1986
● 肘をつけたまま操縦できる「ジョイスティックレバー」を搭載。肘が上がった状態で操縦するスティックタイプに比べ、乗員の疲労を軽減
● 不整地での作業に強い、無限軌道タイプの「クローラーローダー」を世界で初めて開発。ミニショベルに次ぐ品ぞろえに成長

1988
● 足回りの幅を狭くできる「クローラー幅伸縮機構」を搭載。狭い現場で動きやすく

1989
● 油圧機器などのメンテナンスがしやすいよう、運転席部分を跳ね上げる「フロアアップ機構」を搭載。従来は運転席部分をつり上げて外すなど手間がかかっていた
● 運転席部分の安全性を大型ショベル並みに確保。横転時や落下物の衝撃などから乗員を保護

1998
● ブームの根元部分を左右にスライドできる「オフセットブーム機構」を搭載。可動域が広がり、きめ細かな作業がしやすく

「ミニショベルを「オーダーメード」

顧客からの信頼を保ち続ける取り組みに終わりはない。
顧客の感想やニーズを踏まえ、 積極的に短周期のマイナーチェンジ

大柄な外国人の座り心地に配慮し、運転席にはドイツ製の椅子を採用(長野県坂城町の本社工場の生産ライン)
 
竹内製作所では顧客の「愛車」への要求を細部まで満たすため、徹底した受注生産方式をとっている。バックカメラの有無、ヘッドライトの数など、機種によっては60パターンの仕様から選ぶこともできる。さながら、オーダーメード品を作るかのようだ。
 
開発スピードも建機業界では突出する。競合は製品のモデルチェンジの周期が通常数年程度だが、竹内製作所は細かい仕様変更を短周期でこなす。

展示会や納入先の現場視察、代理店など様々なルートで顧客の声を収集。改善提案などを踏まえ、早ければ数カ月で仕様変更につなげる。
 
「ショベルが旋回したときの機体のバランスをもっと安定させられないか」。ある顧客から昨年6月に入ったこんな要望にも、今年春までに改良型を市場投入することで応じる。走行部の無限軌道の長さを伸ばす設計変更を伴う改良だったが、長野の本社に集約した開発、生産部門の密な連携で迅速に対応した。
 
創業から55年。竹内製作所は大手と真正面からぶつからないように、巧みに「ミニショベル業界で世界初」の機能を生み出し続けてきた。顧客ニーズにきめ細かく対応する「身軽さ」も武器に欧米市場で独特の存在感を発揮し続けている。
 
成長は加速する。18年2月期推定の900億円という売上高は5年前との比較で2倍超の規模にあたる。フル生産で受注に応えている状況が続いており、2月には本社工場の増産投資が完了。軌道に乗れば生産能力は1割程度増える見込みだ。
 
今後も米国のトランプ政権による積極的なインフラ投資が追い風になると期待されており、19年2月期の市場予想平均は売上高が前期推定比5%増の945億円、営業利益は19%増の150億円に達する。売上高1000億円も射程に入ってきた。

「国内生産死守か、海外生産か」

ただ、規模の拡大とともに、成長を阻む課題も目立ってきた。周りを田畑に囲まれた本社工場は土地利用の規制上、拡張はもう限界だ。竹内社長は創業の地でのモノ作りにこだわってきたが、国内の別の場所に新工場を建てるなどの対応が迫られる。

17年11月末で600億円近い利益剰余金があり、投資余力は十分。為替の変動リスクを勘案すれば、海外生産も選択肢に入る。
 
手薄だったアジア市場の開拓も焦点となる。欧米で培った高付加価値なブランドイメージを守りつつ、いかに低価格品が中心の現地市場で戦っていくか。生産、営業両面で戦略の再構築が必要になる場面もありそうだ。
 
長野に根差しつつ、名だたる競合を向こうに回してミニショベルで牙城を築いてきた竹内製作所。二番煎じに甘んじることなく、常にオリジナル商品で勝負を挑み、グローバル企業へと脱皮した。同社の歩みは、日本の中堅製造業が世界で生き残る道を示している。

INTERVIEW
創業者・竹内明雄社長に聞く
84歳になっても「職を全う」

御年84歳。こよなく現場を愛し、工場の見回りが日課。製造中の建機の運転席に身軽に飛び乗って隅々まで点検、気づいた点は即座に指示
 
現場主義がとにかく大事だと思ってこれまでやってきました。おカネを生むのは現場ですから。開発中の製品はすべて私の頭の中に入っていますよ。そうじゃないと技術者とはいえません。デスクにいるのは書類にハンコを押すときくらいです。
 
1971年にミニショベルを開発した当時、ウチのは重量が2トンでした。他社のはみんな数十トンクラス。「こんなおもちゃをどうするんだ」なんて陰口もたたかれましたよ。でも、今では大型よりもミニのほうが目立つようになりましたね。
 
自前の販売網がなかったので、OEM(相手先ブランドによる生産)もやりました。しかしミニショベルというマーケットが確立すると、多くの企業が参入してきました。これではいかんと、いち早く海外に目を向けたわけです。
 
最初は難航し、出張経費もかさむので現地の人材に多くを委ねるようにしました。そしたら、ぼつぼつ軌道に乗り始めたんですね。あまり意識していませんでしたが、現地への権限委譲が進んだんですね。今でいうグローバル経営を実践できたのだと思います。

長野でのモノ作りへのこだわりはあります。ここで生まれ育ったんだから、少なくとも私の時代、どこか別の場所に行こうとは思いません。海外の顧客にも「日本製だから」という信頼感があります。世の中にない新しい製品、機能を生み出す、という点を重視してきました。
 
主要な販売先である欧米の経済は足元で堅調です。2018年も建機受注にとって重要な要素である住宅着工などは底堅く推移するでしょう。増産投資も行っていますが、供給責任のあるメーカーとしてこれで満足というわけにはいきません。
 
売上高1000億円という大台の突破に向けて、M&A(合併・買収)や専門性に優れた他社との提携も視野に入れています。具体的な案件は決まっていませんが、いずれはクルマだけでなく建機にもやってくる電動化や自動化への対応も含めて、必要な手を迅速に打っていきます。
 
体が動くうちは社長の職を全うしていくつもりです。精いっぱいやっていれば(息子の竹内敏也副社長ら)次世代が自然と私の背中から経営のやり方を学んでくれるのではないでしょうか。(談)

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