「日本の武は」

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半島や大陸に限らず、世界中、武を行う者は、常に権力者や金持ちに利用されながら発展してきました。

人を雇う力のある者は、強靭な体力を持ち戦いに強い者を護衛に雇ったし、力が強くて戦いに強いだけでは食べていくことができません。
ですから財力のある権力者や金持ちに雇われることが、生きるために必要なことでもありました。

欧米などはまさにそれで、だからこそ武を行う者は、自分がいかに強いかのパフォーマンスをしてみせることになります。

とりわけ戦いのプロは、目立なければ雇ってもらえないし稼げないし、食べていくことができません。

いまでもボクシングやレスリングなどの試合で、そのような光景は随所にみることができます。

ところが日本では、昔から「勝って奢らず、負けて怖じず」です。

いまでこそ欧米流に、柔道や剣道の試合に際して両軍の応援団が大声で声援を送るようになりましたが、ほんのひと昔前までは、武道の試合は、選手以外、一切声を出すことは禁じられていました。

試合は真剣勝負を模したものであり、周囲が騒いでは戦う者の集中力が削がれると考えられてきたし、見学する者も、強いプロの戦い方をまさに真剣に学ぶためにその場にいるのですから、大声を出すなどもってのほか、とされてきたのです。

加えて我が国は民が「おほみたから」とされ、誰もが豊かに安全に安心して食べて行かれることが国是とされてきましたから、プロの力士や剣術家、柔術家などは、わざわざパフォーマンスをしなくても容易に生徒を集めることができたし、生徒の親は、我が子の成長を願って武道を習わせるのですから、武道はただ強いだけではダメで、どこまでも武道をする者は、心技体が充実した人格者であることが求められたのです。

その「武」という漢字は、「戈(ほこ)を止める」と書きますが、Chinaの武道は、まさに「戈を止める」ためのものとして発達しました。

しかしそれは敵の戈を止めるのだという名目さえあれば、どれだけ暴力をふるっても良いという風潮を生みます。

早い話、仏教国であって軍隊さえも持たないチベットが、宗教侵略してくると言い訳をしさえすれば、人民解放軍がそこに平気で攻め込んで、あらゆる非道を行って、人口の四分の一を殺戮するなどということが平気で行われるし、通州事件のような非道がまかり通ることになります。

ところが日本では「武」という字が持つそのような非道性をなくすために、その「武」という漢字に「たけふ」という訓読みを与えることで、その暴力性を否定してきたのです。

「たけふ」とは「竹のように真っ直ぐにする」という意味の言葉です。
歪んでいるものや、斜めになっているものを、真っ直ぐに整えることが「たけふ」です。

この「たけふ」という言葉は、古事記の神語りに登場します。

古事記では、はじめに「矛(ほこ)」が登場します。

「矛」とは槍(やり)のことです。

イザナキとイザナミの二神は、混沌としたところに天の沼矛(ぬぼこ)を差し入れて淤能碁呂嶋島(おのごろじま)を造りました。

つまり混沌としたものを、まとめあげるには「矛(ほこ)」が必要だと古事記は、まず冒頭に書いています。

「たけふ」という言葉の初出は、高天原に須佐之男命がやってくると聞いたときの天照大御神のお言葉として登場します。

伊都(二字以音)之男建(訓建云多祁夫)踏建而

と書かれています。

これで「いつのをたけぶ、ふみたけびて」と読み下します。

ご覧いただいてわかりますように、「建」の字のあとに注釈があり、
「建を訓(よ)みて多祁夫(たけふ)と云ふ」
と書かれています。

「建」という字を書いて、この字は大和言葉の「たけふ」なのですよ、とちゃんと注釈しているわけです。

では「たけふ(多祁夫)」とはどのような意味かといえば、それは逆に「建」という字の成り立ちを見たらわかります。
「建」という字は、「廴+聿」で成り立ちます。
「聿」は、手に真っ直ぐな筆を持つ象形。
「廴」は、「いん」という部首で、長い道のりを行くことを意味します。

つまり「建」という字は、まっすぐな筆を手にして長い道のりを歩むことを意味する漢字とわかります。

建は、家を建てるというときにも使われますが、家は柱を真っ直ぐに建てなければ壊れてしまいます。

その「建」の字が、大和言葉の「たけふ」にあてられたということは、「たけふ」は、まさに「まっすぐにする」ことを意味するとわかります。

つまり天照大御神は、ここで単に「うぉ〜っ!」とばかりに雄叫びをあげたということではなくて、須佐之男命が高天原にやってくるという報に接したときに、「建(たけふ)」という字を二度繰り返されて、「何か」を健全に真っ直ぐにするとともに、何かをうちたてようとされたのです。

実はその「何か」こそが権威と権力を立て分ける「シラス統治の実現」にあるということが、この段を読み進むとわかるようになっています。

そして「建」も「たけふ」であり、「武」も同じく訓読みが「たけふ」です。
要するに日本人にとって、「武とは建でありたけふこと」なのです。

武には武器が用いられますが、その武器も、混沌としたものを正道に正すためにある。

それが古代から続く日本人の考え方なのです。

「たけふ」は、どこまでも物事を正常にするためのものであり、その正常にする対象は、自分自身の心の歪みであったり、世の中の歪みであったりします。

自分自身を「たけふ」なら、それは心を鍛えることですから、そこから身体よりも技、技よりも心という心技体の精神が生まれました。

また日本における軍も、権力者が私腹を肥やすためにあるのではなく、集団を「たけふ」ために置かれるものですから、どこまでも正道を貫くための存在であるし、そのために集団で武を用いる軍は、その兵のひとりひとりが常に「たけふ」を代表する人とされました。

だからこそ我が国では古来、武人が人々からとても尊敬されてきたのです。
なぜなら非道をただす存在だからです。

よく戦(いくさ)のときには大義名分が必要と言われますが、それは大陸のように権力者にとっての用兵の秘訣(兵法)としてのものではなく、日本では、なんのために「たけふ」のかを明確にしなければ、誰も兵としてついてきてなどくれなかったのです。

特定の権力者が富を独占し、他の圧倒的多数の国民が貧困と暴力の中に暮らした大陸や半島の文化と異なり、我が国の民は「おほみたから」です。
ですから民は日頃から豊かに暮らしているわけで、そうであれば、誰もあえて戦いなどしたくありません。

ちゃんと食べて暮らして行けるのに、意味もなく命のやり取りなどしたくない。

信長の時代までは、我が国には専業の軍兵というものはなく、兵の誰もが半農です。
なにもアブナイ思いなどしなくても、ちゃんと平和に食べていくことができるのです。

そのような民が、武器を手にして戦うときというのは、理不尽な暴力を横行させるような不逞なヤカラが、生活を脅かすときということになり、その歪みを正すために「たける」というときに、はじめて民は武器を手に戦いに臨んだのです。

加えて武を用いる者は、日頃から身を律して、正しい道を歩かなければならない。

武士や軍は、まさにその典型とされましたから、末端の一兵卒に至るまで、名誉と規律が重んじられました。

なぜなら、武は「たけふ」ためにこそあると、誰もが信じることができるだけの、まっとうな社会が営まれてきたからです。

これが我が国の伝統です。

人を奸計を用いて騙して利用して兵として用いたり、あるいは後ろから銃や槍を突きつけて、戦わなければ殺すと脅して進軍させたChinaや、あまりにも貧しいために火付け盗賊を行う者が武人とされた半島、あるいは暴力が支配した西洋などとは、日本は社会文化の背景がまるで違うのです。

武は、どこまでも「たけふ」もの。
それが縄文以来続く日本人の骨肉に沁み込んだ社会常識です。

伝統は、因習とは異なります。
意味があるから伝統となったのです。
伝統と因習を履き違えてはいけません。

ねずさん

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