「死刑廃止」

画像の説明

死刑廃止は人権保護にあらず、制度の意義を元裁判官に聞く

日本の世論調査では、約8割の人が容認している死刑制度。しかし国際的には、毎年のように死刑を廃止する国が出ているという。死刑制度の世界的な現状と、日本はなぜ廃止しないのかについて、著作『なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか』(幻冬舎新書)がある、元裁判官で弁護士の森炎氏に聞いた。

廃止する国もあれば
死刑に前向きな国もある

一口に「死刑」と言っても、制度のあり方は国によってさまざま。そもそも死刑はどんな意義を持っているのか、また、廃止することでどんな社会になるのか。十分な議論がなされているとは言えない

死刑制度は、世界的には廃止の流れにある印象が強い。ヨーロッパ諸国では、独裁国家であるベラルーシを除いたすべての国が死刑制度を廃止し、米国でも死刑を廃止する州が以前よりも増えている。

ただし、実際のイメージほど、死刑制度が縮小しているわけではないという。

「死刑制度は国際的な流れとして、廃止の方向に向かっている国が多いことは確かです。しかし、人口の面からいうと、中国、米国、インド、日本など、人口の多い国は死刑制度を存置しているため、実は世界の過半数の人は、死刑制度がある社会で暮らしているともいえるのです」

また、「死刑存置国といっても、一括りにはできない」と森氏は指摘する。

「なぜなら、死刑存置国でも、日本と中国、北朝鮮の死刑制度のあり方はまったく異なります。中国や北朝鮮では、死刑の適用を抑止する考えどころか、むしろ積極的に活用している側面があり、国際的にも非難されるべき問題になっています。これを日本と一緒に扱うべきではありません」

死刑を廃止するための、説得力ある理由はない?

死刑を廃止するための
説得力ある理由はない?

なぜヨーロッパ諸国を筆頭に、死刑制度を廃止する国が出ているのだろうか。森氏が言うには、政治的な要因が最も大きな理由だという。

「たとえば、フランスでは、1981年の大統領選に出馬したミッテランが公約に死刑制度廃止を掲げて当選。世論の6割が死刑制度賛成だったにもかかわらず、即死刑が廃止されたという背景があります。

イギリスの場合でも、当時の世論の85%が死刑制度を支持していましたが、重大な冤罪事件をきっかけに60年代末、政府は廃止に踏み切ったのです」

今ではEUに加盟する条件としても、死刑制度廃止が定められている。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査では、1976年から2016年までの間に、計94ヵ国が死刑を廃止した。

だが不思議なことに、政治的な理由を除けば、なぜ死刑を廃止したのか、なぜ廃止するべきなのかについて、死刑廃止国からも、説得力のある理由は聞かれないという。

「死刑制度に否定的な人がよく言うのは、『人間なら誰しもが持っている生命権を、国家権力が犯してはいけない』というかなり抽象的な議論。つまり、国家が人の命を奪ってはいけないという理屈です。

しかし、それを言うのなら被害者の生命権も当然視野に入れなくてはいけないはずですが、なぜか被告人側のことしか念頭に置いていません」

人権のほかにも、冤罪の可能性や、憲法36条の禁ずる「残虐な刑罰」に死刑制度も該当するのではないか、という反対意見もある。だが、冤罪は死刑以外の刑罰についても、絶対許されないこと。死刑が違憲であるかどうかについては、過去の最高裁で既に、合憲の判決が出ている。どちらも死刑制度廃止の論拠としては弱い。

また、死刑を廃止した国であっても、テロが起きた場合、被害を拡大しないように警察が犯人を射殺するケースもあるが、なぜこれは許されているのか。人権を持ち出しても、到底説明できない問題だ。

死刑制度の積極的意義を
考える必要がある

日本においても、日弁連は、2020年までに死刑制度廃止をスローガンに掲げているが、とにかく死刑廃止、人権を守れと叫ぶだけで、「なぜ死刑を廃止しないといけないのか」、「そのような社会はどうすれば実現するのか」という具体案や議論がまったく抜けていると、森氏は言う。

そもそも日本の死刑制度は、既に廃止に近いといえるほど抑制されています。なので、即刻廃止をする意義が見当たりません。死刑廃止論は、独りよがりな考え方で思考停止といっていい。死刑制度廃止論者がよく主張する『加害者にも人権がある』といった意見は、抽象的な上に一般的にも理解しがたく、説得力がないのです」

反対に、なぜ死刑制度が存在しているのかといえば、被害者・遺族の心情に応えるためや、犯罪抑止効果などが意見としてよく挙げられる。

森氏は、国家権力が人間の生命を奪うことは重大な事実であることを踏まえた上で、死刑制度の積極的意義が問われるべきだと主張する。

「私が考えるに、死刑とは、犯罪被害者・遺族と被告人双方の尊厳を守るために必要なものです。もし死刑制度を廃止してしまうと、被害者本人やその遺族の感情を無視することになり、これでは被害者を人間として尊重していません。

一方、被告人も、自らの命を差し出すことが遺族感情に最大限適うとするならば、死刑廃止はその償う手段を国家権力が取り上げることになるため、人間として丁重に扱われていないともいえるのです」

森氏は、死刑制度があることによって、人間が自分勝手に生きていい生き物ではなく、社会的な存在だと確認できる点が重要だという。

「殺人を犯そうとするときに、相手の死と自分の死が重なるという関係性を持つことは、現状、死刑をおいてほかにはありません。哲学者のイマニュエル・カントが言ったように『人を殺すことは、自分を殺すこと』なのです。死刑を廃止すれば、他人を殺しても自分は死なないわけですから、ある意味、人を殺す権利が発生すると捉えることも可能になるのです」

人を殺せば、自分も死ぬ――死刑廃止によって、社会からこのルールが消え去れば、犯罪抑止力の観点から見ても大問題である。

死刑制度を廃止すること自体を目的とするのではなく、廃止することで、どのような社会になるのかを議論をしなければならないのだが、それがまったくなされていないと、森氏は語る。死刑廃止は、それが世界の潮流というだけで簡単に決断すべきではなく、時間をかけて冷静に議論すべき問題である。

コメント


認証コード1155

コメントは管理者の承認後に表示されます。