「世界最強」

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世界最強「ネオジム磁石」はたった1人の実験から生まれた (1/5)

世界最強の磁力-。こう呼ばれるのが「ネオジム磁石」だ。パソコンのハードディスクや携帯電話、電気自動車など、強力で小型・軽量のモーターを必要とする製品では欠かせないもので、いまや私たちの生活を支えている一つといっても過言ではないかもしれない。

開発したのは大同特殊鋼(本社・名古屋市)の顧問で、京大桂ベンチャープラザ(京都市西京区)で研究を続ける佐川真人氏(74)。ノーベル賞候補にも名が挙がる研究者は「たとえ外れても直感でやってみたらいい。そうしたら新しい分野が開ける」と強調する。

「ネオジム磁石」を開発した大同特殊鋼顧問、佐川真人氏

大同特殊鋼の熱間加工法でつくる「ネオジム磁石」。ホンダのミニバン「フリード」の新型車にも搭載されている

わずか1グラムで3キロを持ち上げ

1円玉ほどの大きさの磁石を近づけると、いとも簡単に鉄の塊がくっついて持ち上がった。「わずか1グラムのネオジム磁石で3キロの鉄を持ち上げられる」と佐川氏は語った。

ネオジム磁石は、昭和57(1982)年7月、住友特殊金属(現・日立金属)の社員だった佐川氏が、レアアース(希土類)の一種のネオジムと鉄、ホウ素の3元素を組み合わせて開発した。

それまでは、コバルトとレアアースのサマリウムを使った「サマリウムコバルト磁石」が最強だったが、ネオジム磁石の強さは、その約2倍だ。

この成果によりモーターの高効率化と小型化が可能になり、佐川氏は、情報機器などの小型軽量化や省エネ化に大きく貢献した、などと評価されている。

直感で世界最強に挑む

だが、佐川氏はもともと磁石に携わってきたわけではなかった。

東北大大学院では材料の基礎科学を研究していた。それが、47年に富士通に入社すると、コンピューター回路に使われていた磁石の研究が仕事となり、これがきっかけだった。

それからシンポジウムや学会に出席したり、教科書や論文を読んだりと、独学で磁石について学んだといい、「自分1人の研究。ずいぶんと熱中したね」

転機は入社5年後の52年。コンピューター回路に使うサマリウムコバルト磁石の耐久性を高める研究を指示されたことだった。当時、鉄で最強磁石を作るのは難しいと考えられていたのだが、そこに疑問が生じた。「なぜ鉄ではだめなのか」

ブレイクスルーのヒントは、53年に出席したシンポジウム。鉄とレアアースの組み合わせでは「鉄原子同士の距離が近すぎるから磁石ができない」という説明を聞いたことだった。

それならば、鉄と鉄の間にホウ素のような小さな元素を入れて間隔を広げたらいいんじゃないか-。アイデアがひらめいた。

「私のアイデアに根拠は全くない」
「独学で学んだ分、常識や定説にとらわれず柔軟に考えられたのだろう。ただ、私のアイデアに根拠は全くない。何の保証もないし、説明できない。直感です」

たった1人の実験で開発

直感を信じて地道に研究を続けた。ただ、会社には開発を却下され、磁石の研究自体も打ち切られてしまった。57年1月、退職を決意。同年5月までは会社の実験室の使用を認められ、1人で実験を続けた。

進退窮まった段階に、研究人生で最も忘れられない瞬間が、突然訪れた。

ある夜、いつものように7ミリ角ほどの立方体の試作品を鉄に近づけた。
「パチン」
試作品が引き寄せられるように鉄にくっついた。「やったー!」。1人で万歳して喜びをかみしめた。ネオジム磁石の“原形”が生まれた瞬間だった。

その後入社した住友特殊金属でネオジム磁石を完成。元素の配合割合などを変えた約50の組成リストを作り、研究を深めた結果、リストの2番目が「世界最強」となった。

当初は、50度を超える温度で磁力が落ち、「おもちゃにしか使えない」とがくぜんとしたこともあったが、別の元素を加えることで150度まで使えることを発見し、60年に量産が始まった。

「湯川博士のように」

大学での分野とは異なり、社会人となってからの研究が花開いた佐川氏。子供の頃から理科が好きな少年だったといい、6歳のころ、昭和24年に湯川秀樹氏が日本人初のノーベル賞を受賞したときは「幼心に、英雄のような感じがした。『僕は科学者になってノーベル賞をとるんだ』と言っていた」

学生時代は
幼少期を岐阜県で過ごし、戦後は徳島市で暮らした後、兵庫県尼崎市へ。中学、高校と多感な時期を過ごした。理数系が得意で、科学者になるという思いが確実になったのも中学時代。日本は高度成長期を迎えており、「どんどん社会が発展していくのを肌で感じながら、『自分も得意分野を生かして貢献したい』という思いが膨らんだ」

授業の予習復習を毎日こつこつと欠かすことはなく、成績は学年で5番くらいを常にキープ。大学は、家庭の事情を酌んで浪人できないと考え、神戸大工学部電気工学科に進学した。

「だけど、次第に自分が目指すものではないと感じた。『湯川先生のような基礎研究をしたい』と思うようになった」

神戸大大学院で材料科学を学んだ後、さらに東北大大学院で金属材料研究に取り組んだ。「『やりたいものはこれだ』と思った」という。

東北大では、金属の腐食について自分で研究テーマを探さなくてはならなかったが、なかなかそれができなかった。「大学に残って研究することを希望していたが、いい論文が書けなかったこともあり断念した」

「ハングリーであれ。愚か者であれ」

当時は挫折を感じていたといい、「就職するときは、社会に出ても何も役に立たない人間なんだと、人生で一番自信を喪失していた」と振り返る。

だが、就職した後で、ネオジム磁石と出合う。「企業はテーマが明確。私自身も驚くほど、いろんなアイデアが次から次へと浮かんできた。もし、大学に残っていたら、今の自分はないだろうね」と笑う。

「お利口さんにはたどり着けない」

好きな言葉は、米アップル社の創業者、故スティーブ・ジョブズ氏が、2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの一節。「Stay Hungry.Stay Foolish.(ハングリーであれ。愚か者であれ)」

「ネオジム磁石はお利口さんにはたどり着けない。流行を追いかけることや論理じゃなく、自分の中にあるひらめきや直感、それにチャレンジするということだと思う」

佐川氏は常に頭の中で何かを考えているといい、「時間をつぶす」ということがもったいなく感じる。「今もね、研究に対するいろんなアイデアが次々と浮かんでくる」

数々の賞を受賞し、ノーベル賞候補にも名前が挙がるようになった。ただ、本人は冷静だ。

「ネオジム磁石の重要性は確立されていて、これからますます、世界の中心になる材料になるという自信がある。その意味で科学者としては大成功しているわけだから、ノーベル賞があったらもちろんいいけど、なくてももう十分満足している」

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