「皇室の悪口を言う「新・でれでれ草」に物申す」

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君は口を開くと皇室の悪口をツラツラと述べていますが、悪すぎです。「愛子様は偽物だ」と言っていますが、何のためにこんなことを言っているのでしょう。

このようなことを言う人は、僕の日本人の定義から外れてしまいます。

「日本人とは何か?」もう一度ハッキリしておきましょう。それは皇室を尊敬することです。皇室を尊敬するのだから、従って悪口は言いません。

まず、第一に天皇陛下を敬い、第二に2800年の日本の歴史に感謝して、第三に神国を支えるために立派な人間になるよう努力して切磋琢磨していく人のことを「日本精神を持った人」というのです。この精神を磨き上げていくことが日本人です。

君の言っていることは「保守系皇室ブログ」といいながら、皇室の悪口を言っているのです。これは日本人の定義に外れてしまいます。だから、このような定義が大事です。貴方が考える日本人とは何でしょう。

僕が考える日本人とはこの3つです。はるか昔、朝鮮から来てもよいのです。この3つの精神をもっているならば、立派な日本人です。それ以外に判定のしようがありません。

帰化とは本来そのようなことです。「貴方の国の文明に憧れます。私は違う文明に育ちましたが、是非、貴方の国で頑張らせてください」これが帰化です。

商売のために損か徳かで国籍を選ぶなど、もっての他です。「日本人とは何だろう?」と考えていくのです。どう考えてもこの3つしかありません。これを守るならば、立派な日本人です。

また、帰化人と言えるのです。それは今来た渡来人を「今来人(いまきびと)」と言い、昔来た渡来人は「古来人(こぞきびと)」といいます。早く来たか、遅く来たかの違いですが、古くから来た帰化人は完全に日本国民化しています。充分日本の社会組織の中に溶け込んでいます。

よい例では薩摩の苗代川の沈 壽官の話があります。

この話は「司馬遼太郎の創作だ」と教えてくれた人がいました。「故郷忘じがたく候」という小説です。豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮人には、薩摩の苗代川の畔に土地が与えられたのです。そこで「焼き物をつくれ」と殿さまに命じられて、一生懸命探してよい土が取れる場所が見つかったのです。それが苗代川です。そこに部落をつくり、あえて朝鮮風の姓を使い、朝鮮風の門をつくり、家も朝鮮の家です。使う言葉も朝鮮語です。

幕末まで200年以上、苗代川で焼き物を焼いてきたのです。沈 壽官といいます。日本に連れてこられた朝鮮人ですが、関ヶ原の戦いで島津家の家臣として沈 壽官の一族も参戦したのです。

沈 壽官の一族は薩摩士族です。ここがちょっと面白いところです。薩摩は朝鮮風の名前、朝鮮風の家を造らせて、結婚も朝鮮人同士で結婚させたのです。それにもかかわらず、身分は武士の身分で士族です。だから関ヶ原の戦いに出陣したのです。

如何にその戦闘が激しかったのかということを、後世後々まで語っていたのです。司馬遼太郎は苗代川に行って第十四代沈 壽官と酒を酌み交わして歌と踊りを見たのです。「ここに薩摩人がいる」と司馬遼太郎は言ったのです。「そこに朝鮮人がいる」とは言いませんでした。沈 壽官を見て「物の言い方、考え方、真の薩摩人である」と言ったのです。300年も経つとそうなってしまうのです。

それが明治になり、名字が「朴」という朝鮮人が薩摩から鹿児島の中学校の進学したときに、「この中に朝鮮人がおるど!」と言われて、ぶん殴られたのです。「朴という苗字を止めさせてくれ。日本人と同じ名字をつけさせてくれ」というので、「東郷」という名前を賜ったのです。

東郷元帥は日本人ですが、外交官の東郷茂徳は、この朝鮮人の一族です。300年も経てば、誰よりも日本人らしくなってしまうのです。

朝鮮人の村の中で結婚させていたのですが、300年から400年も経つと立派な日本人になっていて、司馬遼太郎の言葉を借りると「誰よりも薩摩人らしい」というのです。

これは「司馬遼太郎の創作です」と言う話です。「沈 壽官十四代の経歴はどうなっていたのか。昭和二〇年十四代は旧制中学を卒業すると鹿児島医専(現鹿大医学部)に入学、中退。その後、早稲田大学政経学部卒のあと、鹿児島選出の自民党代議士床次の秘書となっている。その秘書稼業をやめ、帰鹿し窯場の苗代川に落ち着いても十四代が作陶に精出している姿を地元の陶工家で見た者はない。」と暴露してくれた人がいたのです。「司馬遼太郎は、すごい創作をするのだな」と思って、僕もビックリしました。

本物の沈 壽官は早稲田大学へ通っていて、焼き物など焼いていなかったのです。(笑い)僕は「司馬遼太郎はそんな創作をするのか!」とビックリしました。

創作はあったにしても、僕は劇のほうをとります。劇のままでよいだろうと思います。ついでに言っておきますが、司馬遼太郎作の『竜馬がゆく』、これも全て創作です。

本名は「坂本龍馬」です。司馬遼太郎の小説は「竜馬」です。

そのことを司馬遼太郎はこのように言っています。「これは私の小説だ。この竜馬は字が違うのだ」と言っていたのです。実によくできた話です。ソフトバンクの孫正義は「竜馬がゆく」にしびれて何十回も読んで、「立身出世の決意を固めた」と言うのですから、司馬遼太郎は実によくできた創作話を書きます。

それから新撰組の「燃えよ剣」は、上手く書いています。一話、一話、司馬遼太郎の愛情がこもっています。それはともかくとして、全体的に言うとそのような傾向があります。司馬遼太郎は、朝鮮人の沈 壽官をもっとも日本人らしい日本人に仕上げたのです。

「日本人らしい日本人とは何でしょう?」それは天皇や皇族の悪口を言うことではありません。第一に天皇陛下を敬い、第二に2800年の日本の歴史に感謝して、第三に神国を支えるために立派な人間になるよう努力して切磋琢磨していく人のことを「日本精神を持った人」というのです。

日本人らしい人が、天皇の悪口を言うなど考えられません。天皇の歴史をあばくことがよいのでしょうか? 本当はそんなことをやってもいけないのです。誰だって表もあれば、裏もあります。神聖なるものは、そのように見てはいけないのです。

馬鹿は「イエス・キリストには女がいた」など、そんな話を書いて喜んでいるのです。それが何だと言うのでしょう。一日24時間あれば人間はご飯も食べれば、女もいます。人間という以上はキリストも同じです。「その人が何をやったのか?」ということが大事なことです。おならだけに注目して「おかしい」と言うべきではないのです。

それは、そっとしておくべきことです。遠くから眺めて、見ているものです。

それが、渡部昇一先生の言われた「歴史の中に虹を見る」ということです。近寄って見れば、虹などありません。水滴があるだけです。富士山もそうです。近づいてみたら、ゴミだらけです。

エベレストも「神聖な山がそこにある」と言っても、登ってみれば250体の死体が転がっています。死体が道しるべになっているから片付けないのです。高度8千メートル以上になると、死体を担いで降ろせないので、死体がそのまま放置してあるのです。死んでいるからミイラになっているのです。

「ここを登ると青い服を着たミイラがあるから、そこを右へ曲がれ」ということです。それでも、エベレストは霊峰エベレストです。「歴史の中に虹を見る」とは、そのようなことです。一つ一つの事件で言えば、殺し合いだとか、変な部分が見えますが、全体的にアングルを引いて見れば、一つの筋が天皇であり、それが我が国の歴史です。

近づいて暴いて、墓の中まで覗いても、何も生まれません。そこにいるのは骸骨だけです。遠くから見て、「秀吉はこうした」「家康はこうした」という美しい流れがあります。近くで見たら、「家康は死んで、蛆がわいていた」となってしまいます。遠くにいて「偉大だな」と見ていけばよいのです。

天皇の存在はそのようなもので、悪口などくだらないことを言うものではありません。これを注意しておきましょう。

徒然日記

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