「時間の正確性」

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日本人の時間の正確性はいつから?明治鉄道史から始まった定時へのこだわり

平成30年、新しい年を迎えました。翌31年4月末日には、天皇退位をもって「平成」の時代が終わることが決まっています。元号や西暦、干支といったいくつかの暦や時刻が存在する現代日本社会。

こうした時間は、どのように生まれ、いつごろから使われるようになったのでしょうか。そして、文明の誕生や私たちの思考にどのような影響を与えたのでしょう。年間を通して、時間認識を考える連載を始めたいと思います。

まずは時の研究家、織田一朗氏が「几帳面」とも「時間にうるさい」と評される日本人が、なぜ時間の正確性を求めるのか、高精度の時刻で過ごすことが可能になり、手に入れることができたのは何なのか、浮き彫りにします。第1回は「外国人には異常に映る日本の鉄道の『定時性』」がテーマです。

「史上で最も過剰に反省された20秒」?

昨年、日本人の時間感覚が海外で話題になったのは、「電車が20秒早く発車したことを、鉄道会社が謝罪した」ことだった。

11月24日に、つくばエクスプレスの1列車が、南流山駅(千葉県流山市)を定刻よりも20秒早く出発してしまったことを、自社(首都圏新都市鉄道)のホームページで謝罪したのだが、海外のメデイアが、「運休や遅延でもないのに」「他国ではありえない」と驚きをもって報じた。

これには日本人も「ちょっと過剰反応では?」と思うのだが、英語のネットニュースで報じられると、米国、英国、ロシアなど海外のメディアから驚きの反応が挙がった。

「日本の鉄道会社は、ニューヨークの乗客が決して聞くことができないであろう謝罪をした」(『NYポスト』)、「史上で最も過剰に反省された20秒だったのでは」(『NYタイムズ』)など。だが、本当に日本の鉄道の定時性は高く、「海外の鉄道のダイヤは当てにならない」のだろうか。

世界で異なる「遅延」の基準

確かに、日本の鉄道の定時性は高く、JR東日本管内の新幹線(東北・上越)で95%、在来線で87%の列車が定時運転されている(1990年度)。これは、車両の故障や、各種のトラブルだけでなく、台風など自然災害による原因も含まれているのだから、すごいことだ。

しかし、ヨーロッパの主要鉄道を調べてみると、やはり90%前後の実績なので、大差がないのではないかと思った。

ところが、定時運行率の定義まで調べてみると、その差が歴然とあることに驚いた。日本の鉄道では、1分以上の遅れは「遅延」扱いになるのだが、欧米の鉄道ではその基準が非常に緩いのだ。

ニューヨーク市交通局では最終駅への到着が5分以上遅れた場合のみ事情聴取を行う対象に、英国では、短距離路線は5分以上、長距離路線では10分以上にならないと「遅延」とみなされないが、それでも、スコットランドの寝台列車は8本に1本が10分以上遅れている。

高速列車のインターシティは10分からが「遅れ」扱いになり、イタリアの普通列車は15分以上遅れないと「定時」に扱われる。フランスでは高速鉄道のTGVでは14分以上だが、在来線の寝台列車は30分以上遅れないと、「遅延」と認められない。

したがって、2005年に約1分半の遅れを挽回するための速度超過が、107人の命を奪ったJR宝塚線の大事故の引き金になった状況は、全く理解できないのである。NYタイムズは、「日本人の行き過ぎた時間厳守の観念が事故を招いた」と報じ、「90秒の遅れは、世界中どこでも定時とみなされるだろう」と付け加えた。

遅刻批判受けていた明治日本の鉄道、駅職員に時計の所持義務付け

だが、日本の鉄道も、最初から正確なわけではなかった。1900年ころは、ダイヤが守られず、乗り継ぎができない乗客などから、不満の声が上がっていた。当時の鉄道専門誌に掲載された投書によれば、「近年私設鉄道の列車が其の発着時間を誤ることは毎度のことで、時間通りに発着するは稀で、遅着が殆ど通常になって居り、時間の整斉を以って第一とすべき駅員自らさへも、遅着を普通のことと見做して敢えて怪しまぬ位ひである。或る鉄道にては一年中殆ど定時に発着したことなしと云ひ、或る鉄道の発着時間は遅刻を意味した一種の謎言となり居ると云ひ、且つ其の遅着も五分十分の差にあらずして、三十分より一時間位も遅るること敢えて珍しからずと云ふ」(『鉄道時報』)と言う。

批判を受け、日本鉄道会社も定時運行に真剣に取り組んだ。1900年10月には「懲戒規定」を定め、慣習的に処理されてきた懲戒処分を制度化したのを始め、1901年4月には「運輸課職務用時計払下規定」を定め、駅長・駅長助役、車掌、運転手だけでなく、運輸事務所の書記・書記補、通信役、車掌巡視役、改札方、ヤードメン・同取締にまで、時計の所持を義務付けた(中村尚史著『近代日本における鉄道と時間意識』)。

一方、運転の現場でも、工夫が行われた。明治40年代に国鉄の長野機関庫で主任を務めていた結城弘毅は、機関手たちと協力し、沿線の風物から目印となるものを選び出し、通過時間を確認する目印とした。石炭のくべ方、炊き方、蒸気の上げ方も調整し、正確運転のマニュアルをつくったのである(青木槐三著『鉄道を育てたひとびと』参照)。

この運転手法は、全国の運転士の手本になり、結城は「運転の神様」と呼ばれた。そして、昭和に入ると、輸送量が大幅に増えて列車の運転間隔が狭まり、電気機関車の導入によって列車の速度調整が容易になって、運転環境も整えられていった(水戸祐子『定刻発車』参照)。

欧米では、運転のマニュアルは運転士個人に任されているのが一般的だが、日本では組織力で、標準マニュアルをつくり上げる。ちなみに国鉄時代(1987年に民営化されてJRに)最後の15年間の平均遅延時間は3分だった。

新幹線では、運転もシステム化されて運行管理システムが開発され、列車の外から運転士を支援する自動列車制御装置も充実した。さらに、1992年に東海道に登場した「のぞみ」の運転表示板には、「今出すべき速度」を表示する装置が、取り付けられた。運転士は駅の発着や通過予定時刻を15秒単位で記した「行路表」を掲げて運転席に着く。その結果、年間での平均遅延時間は約1分に収まるようになった。

鉄道は日本人の時間の正確さの表れ

ちなみに、JRも「日本の鉄道の運行品質の高さが伝わらないのは困る」と言うことで、近年は、定時運航率をパーセンテージで表示するのではなく、列車の平均遅延時間で発表するようになった。それによれば、新幹線の年間平均遅延時間は東海道が0.4分(24秒)(JR東海2016年)、JR東日本管内の東北、秋田、山形、上越が30秒(2015年)に、JR東日本の在来線は、平均1.1分(2016年度)に、収まっている。

列車の運行は、運転手の技量だけでできるものではなく、線路の保守、車両の整備・清掃、運行管理、駅での乗客の扱いなどすべての業務の総合力で達成される。したがって、定時運行率が高い精度で維持されているのは、運行品質の高さ・安定性を表しているということだ。

これらの点が評価され、JR東日本は三井物産、オランダの鉄道会社と組んで、このほど英国の鉄道「ウエストミッドランズ」の運営権を引き受けることになった。ロンドンとバーミンガム、リバプールなどを結ぶ約900kmにも及ぶ路線網で、17年12月から10年間の契約だ。

日本社会を象徴する鉄道は、単に重要な交通手段と言うだけでなく、日本人の時間の正確さの表れでもある。

最後は、インドの日本人社会で語られるジョークで締めよう。

ある会社の駐在員が本社の幹部をアテンドして駅にいると、列車がほぼダイヤ通りの時刻にホームに入ってきた。幹部は、「インドの鉄道はいつも遅れると聞いていたけど、結構正確じゃないか」。

ところが、駅のアナウンスに耳を澄ませていた駐在員が言った。「まだ、褒めるには早すぎるようです。昨日の列車が丸1日遅れて入ってきたんです」と。

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