「軍隊」

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朝鮮人民軍恐れおののく航空艦砲連絡中隊 韓国に英雄少ない「自殺行為」とは? 

陸上自衛隊による国内最大の実弾演習「富士総合火力演習」

米海兵隊には《航空艦砲連絡中隊=アングリコ=ANGLICO=Air-Naval Gunfire Liaison Company》と呼ばれる、北朝鮮・朝鮮人民軍が恐れおののく部隊が存在する。

部隊自体の火力・戦闘力は極めて小さいものの、陸海空軍&海兵隊といった軍種を超えて火力の命中率を最大値へと導く「眼力」を備えた部隊だ。米軍はイラクやアフガニスタンでもANGLICOを有効活用し、戦果を上げている。

朝鮮戦争(1950~53年休戦)再開をにらみ、米海兵隊は韓国海軍隷下の海兵隊との米韓合同軍事演習でもANGLICOを投入している。といっても2014年頃以降の話で、今後も演習実績を積み重ねる必要がある。

新年最初の小欄のテーマをANGLICOに決めたのには2つのワケがある。一つは、わが陸上自衛隊にもANGLICOが新編されたからだ。遅すぎたくらいだが、まずはめでたい。もう一つは、陸自版ANGLICO新編で、朝鮮戦争で極めて大きな武勲を立てた、筆者が敬愛する韓国陸軍の将官を思い出したためだ。

陸自が決断した海空自への「統合火力誘導」

最初に、陸自の野戦特科(火砲)部隊を例に陸自版ANGLICOの任務を説明しよう。

実は、野戦特科部隊の中に既に《火力誘導班》が編成されている。例えば、島嶼防衛における火力誘導班の主任務は、味方の主力部隊が到着する前に、島内の敵戦力をできる限り除去することにある。

島に敵が上陸してきた場合、第一陣として火力誘導班を急派。敵が観測できる位置に拠点を構えると、敵の位置+規模+陣地の構造+戦車や火砲など配置兵器…などを掌握→分析・評価した上で→指揮官に報告。指揮官は攻撃実施の有無や戦法&使用兵器などを決心する。

では火力誘導班とANGLICOで異なるのは、いかな点なのか?

火力誘導班は敵情報を陸自だけに報告するが、陸自版ANGLICOは海上自衛隊や航空自衛隊にも伝達、情報共有を図る点で異なる。

陸自の火砲や対艦ミサイルのみならず、洋上に陣取る護衛艦の艦砲射撃や、上空の軍用機の投下する爆弾・ミサイルを誘導する。特に《LJDAM=精密レーザー誘導爆弾》などは、明確な効果が上がるまで修正を繰り返し→執拗に誘導し→確実に敵を殲滅する。

陸海空自衛隊が保有する兵器を、1つの標的まで集中誘導する戦法を《統合火力誘導》と呼称する。

続いて、韓国軍の将軍を思い出したのはなぜか? 結論を先に言えば、陸自版ANGLICOが海自の艦砲射撃を支援できるようになった新態勢が原因であった。

2個中隊で1個師団を撃退した勇者

将軍の名は金錫源(キム・ソグォン、韓国軍での最終階級は少将/1893~1978年)。

金錫源氏は、李氏朝鮮の両班(リャンバン)=貴族の家に生まれたが、大日本帝國に“留学”し幼年学校に入校、陸軍士官学校(27期、最終階級は帝國陸軍大佐)に進んだ。卒業時の成績は466人中432位だが、戦上手には定評があった。

支那事変(1937~41年)では、わずか2個中隊をもって中華民国(中国国民党)軍1個師団を撃退し、朝鮮人初の功三級金鵄勲章を天皇陛下より賜った名誉の武人だ。
 
金氏の武勇・剛胆は朝鮮戦争においても遺憾なく発揮された。
 
大東亜戦争(1941~45年)が終結し大韓民国が成立(1948年)、国軍が創設されると、金氏も大佐(後に准将)として迎え入れられた。
 
けれども、高潔にして剛毅、一本気な性格は不正を許さず政府・軍上層部と対立する。 

結局、李承晩・大統領(1875~1965年)により予備役に編入させられる。李氏という凡人には、金准将の軍人としての才気など理解不可能だった。

予備役となっても金准将は、終戦直後に分断された北朝鮮の不穏な動きを察知して義勇軍を組織、訓練を施した。朝鮮戦争が勃発するや「現役復帰した」。否。「現役復帰を余儀なくされた」。

開戦と同時に、朝鮮人民軍は11万の大軍をもって38度線を越え、3日後にはソウルを抜き釜山に迫った。 

これに対し、韓国軍の軍紀は弛み、士気も呆れるほど低下していた。兵士の多くは田植えのために帰郷。ソウルでは陸軍庁舎落成式が開戦前日に挙行され、軍高官は二日酔いで登庁すらしていなかった。
 
加えて、速成教育で任官させた、軍歴の乏しい指揮官が多く、会敵するや我先に逃げた。韓国軍は総崩れしていく。

致命的だったのは、帝國陸軍将校だった韓国人を指揮官など重要ポストから外した上、元帝國陸軍の韓国人将兵のみの部隊編成を禁じた日本嫌いの李大統領の愚行。
 
この惨状では、帝國陸軍仕込みの勇猛果敢なDNAが発揮できようもなかった。
 
時あたかも、朝鮮国連軍は朝鮮半島最南端・釜山に追い詰められ、敗戦濃厚。首都ソウルを見捨て、いち早く逃亡した日本嫌いの李大統領はようやく、禁じていた帝國陸軍の教育を受けた韓国人に限った部隊編成を裁可。金准将も強い意見具申を続け、帝國陸軍出身の韓国人将兵のみの師団編成を認めさせた。

釜山が包囲され、死守しなければ朝鮮半島を追われ、韓国は消滅する。だが、金准将はむしろ奮い立った。

朝鮮国連軍の総司令官がダグラス・マッカーサー米陸軍元帥(1880~1964年)だったことに、日本刀を仕込んだ軍刀の柄をたたきながらこう言い放ち、不敵な笑みを浮かべた。
 
「帝國陸海軍を破った男が、帝國陸軍を指揮するのか。宜しい。帝國陸軍が味方に参ずればどれほど頼もしいか、存分に見せつけてやりましょう」 
師団将兵の前での訓示でも逸話を残した。指揮台代わりに壺に乗って檄を飛ばしたが、力みすぎて壺のフタを踏み抜いた。糞尿壺だったが、凄まじい敢闘精神故に笑う者はいなかった。

事実、金准将の指揮する帝國陸軍得意の突貫に、朝鮮人民軍はたまらず退却する。ところが、金師団は謎の撤退を実施する。
 
朝鮮人民軍は追撃した。朝鮮人民軍は重装甲のソ連製戦車を多数有しており、火力がまるで劣る金師団にとり絶体絶命の危機。と、朝鮮人民軍戦車部隊が海岸線に出たところで突如、沖合に待機する米海軍艦隊の猛烈な艦砲射撃が行われ、戦車部隊を粉砕した。

金准将は事前に連絡将校を米海軍艦隊に送り、自らが囮になるので砲撃してほしいと要請し、砲撃地点まで明示していた。タイミングを誤れば、金師団が味方の艦砲射撃にさらされ壊滅する。相当の胆力と自信がなければ提案できる作戦ではない。 

訓練・経験不足に加え、部隊を置き去りにして敵前逃亡する韓国軍将校を見てきた米軍は作戦成就を信じなかった。が、軍紀厳正で士気旺盛だった帝國陸軍の大佐だった軍歴や、支那事変で2個中隊の寡兵をもって1個師団を撃破し、朝鮮人初の功三級金鵄勲章を贈られたと知るや、作戦参加を承諾する。
 
実際、「金錫源部隊と戦うな。逃げろ」との命令が浸透し、逃げまくった中華民国(中国国民党)軍同様、朝鮮人民軍も金錫源部隊の正面に配置命令されると、指揮官は身の不運を嘆いた、という。

かくして、金錫源部隊を前に朝鮮人民軍は再び潰走した。退路には、金准将が前夜配置した伏兵が待ち伏せしているとも知らずに…

親日英雄像は撤去、慰安婦・徴用工の像は増殖させる国柄

帝國陸軍のDNAを陸士教育でたたき込まれた金准将は、戦上手だっただけではない。DNAは「日本の武士」としての精神・風格にまで浸透していた。大東亜戦争に突入するや、朝鮮人青年たちに学徒出陣を呼びかける講演を繰り返した。

フィリピンで散華した帝國陸軍大尉の長男・金泳秀氏(陸士57期)についても晩年「軍人として本望である。本人も満足していることであろう」と明言した。泳秀氏は靖國神社に祀られている。 

あわや朝鮮半島が赤化される超弩級の危機=朝鮮戦争に際し、身を挺して祖国を守った紛う事なき「救国の士」に対し、韓国の仕打ちはひどかった。

「親日」を理由に「親日反民族行為者ブラックリスト」に載せ、予備役編入後に理事長を務めた高校の敷地に在った将軍の像を撤去する。

金錫源氏に限らず、大日本帝國陸軍などの教育を受けた多くの英雄が「ブラックリスト」に掲せられ、国史よりデリートされてしまった。

韓国に英雄が少ないのは、こうした「自殺行為」が大きく影響している。

「日本軍に強制連行された従軍慰安婦の少女=性奴隷」「日本による朝鮮人の強制連行→強制労働を強いられた徴用工」などとする反日空想物語の像は増殖させておきながら、「救国の士」の像は撤去する…。

倒錯が国柄とは。哀れな国だ。

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