「年収」

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織田信長の気になる年収は…

父から家督を継いだ時は、まだ尾張一国にも満たない20万石程度の領地しか持っていなかった織田信長。

それから30年のうちに日本随一の大名に成長。
その最盛期だった49歳の時の総石高は近畿地方を中心とした直轄領・家臣たちに分け与えた領土を合わせて計700万石にも及んだといいます。

そこから総収入(税収)から家臣の給料や経費などを引けば、信長の手元に入ったであろう純利益は総石高の10分の1ほど。よって約700億円と推測できます。(貿易などの現金収入を合わせればもっと多かった可能性も・・・)

※1石(こく)=大人1人が1年間に食べるであろう米の生産高。
ここでは1石を現代の金額に換算して約10万円と計算(相場は諸説あります)。

「役員四季報2017年度版」による配当収入を含む役員報酬ランキングにおいて 日本で1位の孫正義氏(ソフトバンク社長)は約96億円です。

天下統一目前まで迫った戦国大名ともなると、やはりスケールが違いますね!

織田信長のマネジメントスキルは現代でも重宝されるものだった

まず何より織田信長が優れているのは、この規模感でのマネジメントを行いつつ、現場に出て陣頭指揮をとっていたところです。これは現代の仕事の中で考えても、難易度が高いことです。

信長は桶狭間の戦いで3000人の兵を率いて陣頭指揮をとってましたが、通常はその規模のマネジメントとなると、メンバー管理だけで手いっぱいになってしまいます。そして現場業務を離れることで現場感を失ってしまうマネジメント層が多い中、現場の最前線で指揮をとれていた信長は、マネジメント目線も持ちつつ、決して現場目線も忘れない優秀な人物だったと思います。

また、自分が現場に行ける体制を整えるために、優秀な部下を多く起用していたのではないでしょうか。

また、戦以外にもさまざまな功績を残してきた信長は、物事を俯瞰して考える「システム思考」ができる人間だったと見受けられます。

楽市楽座や関所の廃止を行うことで経済が潤い、最終的には信長の領地に多くの人と金が集まり、軍事力も上がりました。一見、「軍事力が上がること」と「楽市楽座」「関所の廃止」は関係無さそうですが、信長は人の流れや金の流れを対局的にして見ることができていたからこそ、この功績を残すことが出来たのではないでしょうか。

そんな信長ですが、現代で言えば、例えば成熟期を迎え成長が鈍化してしまった大手企業などで、第2次創業期を支える「イノベーション型人材」として、活躍ができる人物だと思います。

このような企業に必要なのは、今までの日本的マネジメントの在り方を抜本的に変えることができる、新しい考えをもった人材です。

戦国時代の当時、家柄・出身地に関係なく優秀な人材を登用してきた信長の考え方やスタイルは革新的でした。

そんな信長であれば、年功序列・学歴重視で成長してきた体質の企業に、テコ入れ役として入ることで本当に優秀な人材が確保&活躍できる仕組みを導入できると思います。

また、何より主戦場である「現場」を大事にしてきた信長だからこそ、本質的な改革を実現することができるのではないでしょうか。

信長のようにどのような規模の組織になっても、本質を捉えメンバーの目線を忘れないマネジメントができる人材は、どこへ行っても活躍できると思います。

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