「生き地獄」1

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北朝鮮問題は、核開発に歯止めをかければいいというわけではない。むしろ、国民への深刻な人権侵害を食い止めるため、人道的な見地から対話路線を進めるほうが先決ではないか。脱北者らが明かす、北朝鮮国民の悲惨な現状を通じて、国際社会が何をすべきかを考えたい。

国家ぐるみの隠蔽体質

北朝鮮の「人権侵害」事情

トランプと金正恩と言えば、今や当代きっての規格外の男たちである。核のボタンを今にも押しかねない過激な口調での牽制は、不毛の応酬であり、世界の緊張感をいたずらに煽っている。一方で、彼らの応酬は一触即発の危機を生まないとも限らないため、目が離せない状況が続く。

しかし、北朝鮮をめぐる国際社会の喫緊の課題は、核開発に歯止めをかけて、非核化へ誘導できれば、それでよしとするだけでは済まされない。核開発による先軍政治の陰で、政権トップによる国民への深刻な人権侵害が暴走の一途を辿っている。

その実態を白日の下に晒し、一刻も早く国民生活の改善・救済のために手を打っていく、いわば人道的な介入の方が急務であり、先決ではないのかと筆者は考えたい。人間の安全保障上、国際社会には人権蹂躙で虐げられている人々を「保護する責任」があり、見て見ぬふりは許されないからである。

国連の関係諸機関は、北朝鮮問題が国際的にクローズアップされている今こそ、国家権力による自国民への人権犯罪の責任を徹底的に追及すべきである。北の非核化へのアプローチも、軍事的な圧力で追い込むだけでなく、政権トップへの訴追手続きを加速する一方、無辜の国民を恐怖と束縛から解放し、人間としての尊厳と自由を早急に取り戻せるよう、手を差し伸べていくといった人道的な平和外交による対話路線の方が、結果として有効であり、早道ではないだろうか。

とりわけ、国際社会は北朝鮮に対し、限りある国家予算の使い道を核開発の先軍政治から国民生活の改善、向上へと向けさせ、経済発展を見据えた国策の大転換を促し、誘導していく絶好の機会を迎えている。

金正恩は3度目の核実験を強行した翌月の2013年3月に、経済発展と核開発を並行して進める「並進路線」を打ち出していたが、経済発展を置き去りにしてきている。経済発展には国際社会との対話が不可欠であり、それには非核化を宣言することが近道で、「並進路線」は元来、核と経済が両立し得ないことを思い知らせていく必要がある。

韓国の高官から聞いた、張成沢粛清の真の理由

そんな北朝鮮の「人権状況」は、現在どうなっているのか。徹底した秘密主義の厚い壁に阻まれて、その実態を垣間見ることさえ容易ではない。すべては国家機密であり、海外はもとより、国内にも漏らされることなく、事実は闇から闇へと葬られている。

しかし、漏れるはずもない機密情報こそ必ずや漏れてくるものである。主に脱北者をはじめ、北の深奥部に特殊な情報ネットワークを持つごく少数の情報通の手によって、いわば「地獄耳」の耳元には伝播してくるものである。

今回、北朝鮮事情に詳しい複数の情報通にアプローチして、北で深く潜行している、救い難い人権侵害の恐怖の実態を知った。その非情で凄惨な実態を紹介しながら、筆者なりの問題意識を読者諸氏に投げかけていきたい。

韓国の高官に聞いた

張成沢が粛清された真の理由

まずは、独裁者の金正恩朝鮮労働党委員長が、身内や政府高官に対し、いかに「粛清」を乱発、行使しているかをお伝えしよう。その実態はおぞましい限りである。金正恩以外は、親族であろうが側近であろうが、決して安泰ではない。民主的な手段である法的な裁きを介することもなく、問答無用で粛清されていく恐怖と暗黒の世界が広がっている。

たとえば、ある韓国の高官から、北で現実に行使された「大粛清」の生々しい様子を聞いた。彼は、金ファミリーをよく知る北の元幹部が韓国に亡命した際に事情を聴取して、その実相を知るに至ったという。

金正恩は2013年夏、金正日総書記の妹婿で、伯父でもある最側近の張成沢・党行政部長(当時)を突如、公開処刑した。処刑の方法には諸説あるが、機関銃で全身を穴だらけにした上、犬に食わせる残忍なものであったと、ごく一部の内外メディアが伝えている。

この情報は事後に世界中に知れ渡ったが、実はこのとき、張成沢だけでなく、張の過去の「ある一件」を知る立場の幹部や関係者たちも一網打尽で処刑されており、その処分者数は総勢3000人に及んだ、とされている。

真相は、金正恩の妻・李雪主が張の元愛人であったからだという。張成沢は、妻の金敬姫(金正日の実妹、金正恩の叔母)を介して金正恩に李雪主を紹介。その後李雪主は妊娠して、2人は極秘に結婚。李雪主は長女・主善と次女・主愛を産んだ。ところが金正恩は、李雪主夫人を表舞台に頻繁に連れ出し、その存在が国内外に知れ渡る過程で、周囲で噂されていた李雪主夫人と張との過去の一件を耳にすることとなる。激怒した彼は、その過去を大量粛清で抹殺したかったに違いない。

そのこともあってか金正恩は、今年に入り、李雪主夫人とは別の女性に男児を産ませている。逆上した夫人は直ちにその男児を奪い取り、自分の息子として育てることを宣言して、生みの母親を粛清したという。

韓国の国会では今年8月下旬になってから、国家情報院が「北の李雪主夫人に3人目の子どもが産まれた」と報告しているが、実情は違うのだろうか。

韓国の高官が脱北者から聞いたとするこれらの話の真贋を、判断することは難しい。ただ、もし事実だとすれば、粛清された側にもそれなりの理由があったとはいえ、親族をここまで情け容赦もなく粛清できるものだろうか。

にわかには信じ難い顛末である。指導層のこのような行為が国民の耳にどこまで届き、流布しているかは知る由もないが、万が一にも知れ渡れば、恐怖と暗黒の管理社会に絶望していくに違いない。

突然側近が消えて行く

不可解な日常風景

労働党や人民軍の幹部をはじめ、いわば側近たちも政権トップと接触する機会が多いだけに、その日の気分や逆鱗に触れただけで、突然粛清の指示が発せられ、消されていく。

そんな劇画のような記述が、北朝鮮に関する市販本の中で平然と紹介されていること自体、衝撃的である。赤裸々な記述が不特定多数の読者の目に触れ、心に焼き付けられて流布していくとは、異常な事態である。

金正日の専属料理人として13年間、金ファミリーに仕えてきた藤本健二氏は、著書『北の後継者キム・ジョンウン』(2010年、中公新書ラクレ)の中で、ある宴会の席上で「奴らを撃ったのか」「はい、昨日撃ちました」というさりげない対話を耳にして、震え上がったと述べている。軍内部の不満分子を一度に二十数人も処刑した際の立ち話であったという。

別の宴会では、大将の1人である金明国が「戦争が始まってもお守りします。地下室も完成しました」という趣旨の発言を立ち聞きして以来、彼が宴会に出てくることはなかったとも書いている。「地下室」とは核シェルターのことで、国家機密を公開の場でバラしてしまったお咎めを受けたのではと見ている。

朝鮮半島情勢に強いジャーナリストの五味洋治氏によると、2011年12月の金正日総書記の葬儀にまつわる不可解なエピソードも恐怖である。

2011年12月の金正日総書記の葬儀で、霊柩車の左側に寄り添った軍人4人がその翌年、相次いで地位を外され、消えていったという謎めいた話である。

4人とは、李英鎬人民軍総参謀長をはじめ、金永春人民武力相(国防相)、金正覚総政治局第一副局長、禹東則国家安全保衛部第一副部長である。

北朝鮮国民が最も恐れる「政治犯」と「連座制」

彼ら4人は、翌12年4月から11月にかけて相次いで解任され、その後の消息が不明であるという。いずれも金正恩が政権トップに就いた直後に、自ら信頼を寄せて推挙した軍部の幹部たちだが、彼らは金正恩の「疑心暗鬼」の犠牲になったと見られる。

金正恩が政権を握って以来、最も恐れているのは、身の回りの幹部や側近の手による暗殺である。少しでも反逆の恐れがあれば、それが事実であれ思い過ごしであれ、直ちに粛清する。

金正恩が政権の座についてからのわずか5年間で、粛清した総数は幹部や側近だけで340人超と言われている。

この中には、今年2月にマレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された異母兄の金正男もいる。

前述の韓国の高官によると、遺体を引き取りたいという遺族の懇願を無視して、北朝鮮に強制送還された金正男の遺体は、残忍な手口で処分されたという。

一部の報道によると、身を隠している故金正男の長男・キムハンソル(22歳)氏の暗殺計画もすでに進行中で、そのために編成された特殊部隊が世界中で暗躍しているという。中国の国家安全部は、このほどその暗殺工作員グループの一味を北京で逮捕している。

幹部や側近たちも、非情で残虐な人権犯罪を繰り返し見せつけられては恐怖におののき、ひたすらひれ伏して、わが身を守るのが精一杯だろう。

北朝鮮国民が最も恐れる

「政治犯」と「連座制」

金ファミリーの身内や政府高官だけではない。一般の国民はもっと悲惨な目に遭っている。金ファミリー3代にわたる独裁政権が国民に強要してきた、非人道的で常軌を逸した人権侵害の状況も深刻である。

1つ目は、国民が最も恐れる「政治犯」と「連座制」について。政治犯とは一般に、体制に逆らう危険分子と見なされることであり、連座制とはある犯罪に手を染めた人と関わりのある人が共同責任を負わされ、処罰されることだ。

1980~90年代に北朝鮮の政治犯収容所の警備員(看守)として勤務したあと脱北し、北の人権侵害がいかに凄惨で救い難いものかを告発してきた安明哲さんによると、政治犯とは名ばかりで、その際限のない恣意的な乱発・乱用が目にあまるという。

強制収容所の政治犯は死んだ後も人間扱いされない

いつ何時、どんなことで「政治犯」の烙印を押されるか、油断も隙もない日常だ。当局の指示・命令に逆らう者はすべて政治犯となり、一族郎党までが全員、処罰の対象となる。北朝鮮では国民を強制労働に動員して働かせる指示・司令が日常茶飯事に飛び交い、それに逆らえば本人だけでなく、家族ぐるみで政治犯収容所に収監されるという例も珍しくない。

国民にとって、収容所はまさに「生き地獄」。その生々しい実態は、国連の北朝鮮人権調査委員会(COI)が2013年3月から約1年がかりで調査し、2014年2月に発表した372ページに及ぶ最終報告書から詳しくわかる。安さんはその作成に協力、尽力した1人だ。

同報告書は、全国に配置された政治犯収容所で過酷な強制労働を強いられてきた元収容者をはじめ、拷問や虐待を受けて逃れてきた脱北者、非情な処刑を実行してきた元刑務官など、被害・加害双方の当事者300人以上から生の証言を集めた聞き取り調査が中心となっており、信憑性が高い。

内容は、拉致や誘拐をはじめ、一族抹殺、拷問や性的虐待、奴隷化、公開処刑、さらには人種や宗教による差別など、あらゆる人権犯罪を具体的に列挙している。ただ、秘密大国の徹底した隠蔽主義に阻まれて、当局への聞き取り調査が不可能であったため、人権状況に関する全国レベルの全容が全く把握できていない点では、画竜点睛を欠いている。

たとえば、政治犯や連座制の発生件数をはじめ、政治犯収容所の数、収容者や死者の累計総数、被害者の年齢構成・男女比・飢餓状態・疾病率、さらにそれらの時系列推移など、当局にとって「不都合な真実」はすべて闇の中である。

強制収容所の政治犯は

死んだ後も人間扱いされない

実際に、政治犯収容所の生活はどのようなものなのか。同報告書によると、その多くは人里離れた山岳地帯の荒地に立地しており、収容者が容易に脱走できない仕掛けが何重にも仕組まれているという。周囲を高い壁で囲み、有刺鉄線を張り巡らし、高圧電流が流れている。壁際には落とし穴や地雷も埋められている。

収容所には多数の監視所や検問所があり、自動小銃を携帯した看守が見張っている。収容者の収容所内の移動は厳しく制限されており、許可なく周囲の壁に近寄ることはできない。

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