「選挙」

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候補者の男性もいったん家に帰れば、妻にとっては夫であり、息子、娘にとっては父です。だから夫(父)の当落によって妻子も否応なく振り回されます。どんな職業でも職を失う危険と隣り合わせなのだから、誰しも「明日は我が身」なのです。

落選した議員候補者たちの

「その後」とは
プロ野球選手が戦力外通告を受けた場合、その後の生活がテレビで放送されることもありますが、選挙に落選した男性達の「その後」について語られることは少ないのが現状です。

そこで少しスケールは劣りますが、私のところの相談事例から、市議会議員選挙に立候補して人生が狂ってしまった男性の失敗を紹介しましょう。

<登場人物>
村山洋平(41歳)国会議員の秘書(年収600万円)→予備校の講師(年収400万円)
村山志保(39歳)パートタイマー(年収80万円)
村山大輝(15歳)中学生

国会議員の秘書を経て市議会議員に立候補

「『どんな手を使っても当選しないといけない!』今思えば、あのとき僕は焦りすぎて空回りしていました。とにかく議員になることは家内のため、息子のためなんだと。もう僕の政治家生命も終わりです。今回の選挙で何もかも…すべてを失いました!」

村山洋平さん(41歳)が3年前から国会議員の秘書として丁稚奉公を我慢してきたのは、自分が議員になるため。そして待ちに待った市議会議員選挙が公示され、洋平さんは念願の立候補に踏み切りました。

洋平さんはアメリカの大学に入学、そのまま大学院に進み、博士課程を修了したエリート中のエリート。「自分以外は馬鹿ばっかり」という感じで人を見下している節があり、特に家庭内で傍若無人の限りを尽くしてきました。いくら外面が良くても有権者に「本当の姿」を見透かされたのか。

奮闘むなしく残念ながら、落選の憂き目に遭い、さらに選挙をきっかけに洋平さんの人生は転落の一途を辿っていったのです。

妻の反対を押し切って
市議会議員に立候補

投票日の翌日。妻は夫の落選を見届けると、躊躇なく三行半を突きつけてきました。まさに洋平さんが「ただの人」に成り下がった瞬間です。さらに妻は「(息子の)親権さえ渡してくれれば、何もいらない」と、養育費を求めてきませんでした。

洋平さんはプライドの高さが邪魔をして、今までの苦労をねぎらったり、過去の悪行を悔い改めたり、「考え直してほしい」と泣きついたりできなかったのでしょう。「勝手しろ!馬鹿!!」と、強がるのが精いっぱい。

落選のショックが癒える暇もなく、妻子を失ってしまった洋平さん。そんな彼が私のところへ相談に来たのは、離婚してから半年後のこと。私が「何か思い当たる節はありますか?」と尋ねると、洋平さんは最初のうち口を閉ざしていたのですが、しばらくすると「そういえば…」と重い口を開き始めました。

息子の受験もあり選挙に乗り気ではなかった妻

選挙公示の10ヵ月前。洋平さんは「今度の市議会議員の選挙に出馬したいんだ」と妻に相談したそうです。妻ははっきりと「選挙を手伝いたくない」とは口にしませんでしたが、乗り気でない様子。

なぜなら、15歳の息子さんがちょうど受験の真っ最中だからです。そこで妻は息子さんへの影響を懸念して「お金は大丈夫なの?」と聞いてきたのですが、洋平さんは「(金は)そんなにかからないよ。20万くらいでやった人もいるし、車も選挙カーを借りるし、それにカンパを募るつもりだから。選挙事務所には来なくていいよ」と半ば強引に妻を丸め込んだのです。

ところが選挙戦に突入すると、前言をすっかり忘れていたようで、妻に向かって「(移動用のレンタカーの)車を運転してよ。妻なんだから当たり前でしょ?」と頼んだそうです。

もちろん妻は選挙を手伝うつもりはなく、「免許持ってるんだから、自分で運転すればいいじゃない」と言われ、結局、洋平さんは打ち合わせや演説、イベント巡り等で疲れ果てたうえに慣れない車の運転をしたので、何度も車をぶつけてしまい、選挙活動が終わる頃には傷だらけの状態に。

しかし、洋平さんが妻に失望したのは、それだけではありませんでした。洋平さんが「中学や高校の名簿を出してよ。選挙が始まったら電話するから。特に親しい友達を教えてくれよ」と頼んだところ、妻は「あんた(洋平さん)が(友達に)借りを作れば、私が(友達に)に返さないといけないじゃない。昔のクラスメートと今はほとんど付き合いもないし」と苦言を呈した上で、「好きなようにやっていいけど、私たちを巻き込まないでよね?」とむげに扱われたそうです。

無断で自宅を選挙事務所に
妻の怒りが爆発

妻は洋平さんのために性能の良い拡声器と旗竿等の備品をネットで安く買い揃えたてくれたり、最初は「田中さん(他の立候補者)が駅前で演説してたよ。大丈夫なの?」と心配してくれていました。ところがある日、「うちを事務所にするなんて聞いていないわ!(息子が)ストーカーに遭ったらどうするの!?」とすごい剣幕でまくし立ててきました。

妻はたまたま事務所のホームページを見たようで、洋平さんが妻に内緒にしていた「選挙事務所が自宅になっていること」「自宅の住所が公開されていること」「家族写真が掲載されていること」を知られてしまいました。

洋平さんは「子どもの写真は小さい頃のだから分からないだろ!」「まだ事務所が見つからないなんだから仕方がないじゃないか!」「家を事務所にしたって誰も来ないよ!」と反論したのですが、翌日には秘書仲間や後援会の70代男性が自宅を次々と訪れたようで、早々にボロが出てしまいました。

「やっぱり事務所として使っているじゃない!」と妻があきれ顔で洋平さんに詰め寄ったのですが、それなのに洋平さんはあくまで嘘を認めず、「(夫のことを)手伝いに来てくれているんじゃないか、ちゃんとお礼を言ったのか?『亭主がいつもお世話になっています』くらい言えよ!お前は本当にダメな奴だな!!」と逆ギレする始末でした。

売り言葉に買い言葉の
罵り合いに

これまで洋平さんが一切、育児や家事に協力してこなかったので妻は「ワンオペ」状態でした。心身ともに追い詰められている中、さらに夫の選挙活動に振り回された挙句「ダメな奴」呼ばわりされたので、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったようです。最終的には「私は政治には一切興味がないし、政治家なんて嫌い!もう絶対に手伝わない!!」と妻に見放されてしまいました。

「私たちも住んでいるんだから、断りもなく、勝手にポスターなんか貼らないで!今すぐ剥がして!!」

洋平さんは自宅の塀や外壁はもちろん、居間や客間にもポスターを貼ったそう。思春期で反抗期、そして受験生の息子さんが嫌悪感を抱くのも無理はありません。だから、妻は息子さんの気持ちを代弁したのですが、洋平さんはまたもや「選挙妨害で訴えてやる!」「党の力で潰してやるぞ!」と大きな声でまくし立てたのです。

選挙ポスターを巡り暴力沙汰に
「訴えるんだったら訴えればいいわ!」

妻はそう言うと廊下にずらっと貼られていたポスターを剥がし始めました。廊下にはポスターやチラシ、たすきや腕章などが大量に置かれており、足の踏み場もない状態。

洋平さんも売り言葉に買い言葉で「金がかかってんだよ!」「もう、お前が出て行けよ!今すぐいなくなれ!!」「絶対に許さないからな!」と激怒し、妻の腕をつかみました。足場が不安定なせいで、妻はおかしな転び方をして、高く積みあがったチラシの角にお腹を打ち付けてしまい、みぞおち部分を押さえて「痛い、痛い!」と泣き叫んだそうです。

妻の悲鳴を聞いて息子さんも部屋から出てきて、洋平さんに向かって「絶対に許さないからな!」と吐き捨てたのです。

DVを隠ぺい!?離婚もちらつかせ
妻の実家に妻子を引き取ってもらう

候補者が選挙期間中に家庭内でDV事件を起こした…万が一、メディアで報じられたら、さすがに致命傷で当選の芽も消えてなくなるでしょう。そこで洋平さんは悪知恵を働かせ、近くに住む妻の母親を呼び出し、脅しめいた口調で言いくるめようとしたのです。

「警察に行っても、僕は党員だからまともに取り合ってくれないぞ。もし落選して無職になったら、養育費だって払えるかどうか分からない。大ごとにしない方がお互いのためだと思うけれど?」

そして妻の実家でいったん妻と息子さんを引き取ってもらったのですが、その日を最後に妻子が戻ってくることはなく、そのまま投票日を迎えました。

離婚から半年、養育費も払わず
選挙戦で子どもにツケを回さないと訴え

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「子どもにツケを回さない!」

これは洋平さんが選挙中に連呼していた訴えです。洋平さんは落選が決まった後、どんな顔をして元の職場(国会議員事務所)に顔を出していいか分かりません。「いつでも復職していいぞ」と言われていたにもかかわらず、「気まずい」という理由でせっかくの誘いを断ったそうです。

結局、離婚から現在まで、ない袖は振れないという感じで、妻に対して息子さんの養育費を渡せずにいたのですが、こんなフレーズを採用したのは今となっては皮肉としか言いようがありません。なぜなら、もし息子さんが奨学金を借りざるを得ず、多額の借金を背負って生きていくことを強いられたら、洋平さん自身が「子どもにツケを回している」のですから。

とはいえ洋平さんにも自分の生活があるので、ずっと落ち込んでいるわけにもいきません。洋平さんは現在、自慢の語学力を生かして予備校の講師の仕事をしているようですが、年収は秘書時代に比べて減ってしまい400万円になりました。

家庭裁判所が公表している養育費算定表によると、(元)妻の年収が100万円以下なら養育費は月6万円なので、私は「父親らしいことをしないと後々、大変ですよ」とアドバイスしました。

最後に洋平さんは「話はよくわかりました。僕も半年間、(妻子と)離れ離れになって、本当につらい思いをしました。何とかもう一度、みんなで暮らしたいと思っていましたが、おかげ様でこれから一人で生きていく覚悟ができました。家内と息子には『本当にどうもありがとう』と伝えたいです」と未練の気持ち、反省の態度、感謝の思いを口にして私の事務所を後にしました。

洋平さんが将来的に息子さんの入学式や入社式、そして結婚式に参加することが許され、父親としての復権が実現することを願うばかりです。

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