「地球環境の長期的変化と仮説」

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地球環境の長期的変化と仮説

地球環境が、いまの地球環境に限定して古代を考えることは、私は間違っていると思います。

地球環境は、たとえば海面の高さはいまより140メートルも低かった時代もあれば、10メートル以上も高かった時代もあったのです。

先日、巨人ネフィリムのご紹介をしましたが、今日ご紹介するのは、あまりにも巨大な木の切り株です。

上の写真にあるのは「デビルスタワー」と呼ばれるアメリカ合衆国ワイオミング州北東部に存在する岩山です。

地下のマグマが冷えて固まり、長年の侵食によって地表に現れた岩頸とされているのですが、写真を見てわかりますように、縦に行く本もの筋が入っています。

この筋のことを「柱状節理」というのですが、これが実は「巨大な樹木の切り株なのではないか」という動画が公開されています。
たいへんおもしろいです。

『この地球に山や森は存在しない』

この岩山の柱状節理が実は木の繊維であって、この岩山が巨大な樹木の切り株跡なのではないかというのが、この動画の主張です。

またグランドキャニオンなどの荒野も、実は古代における採石場の跡ではないかという仮説が、後編で述べられています。

たいへんに説得力のある動画ですので、長いですがお時間のある際にでも一度ご覧頂くと良いと思います。

ただ、冒頭にある「デビルスタワー」が巨大樹木であったという仮説は、面白いですが成り立ちにくいと思います。
なぜなら木なら年輪があるからです。
年輪がないなら、それは巨大な草であって樹木ではありません。
もしかしたら巨大な椎茸のようなものであったのかもしれない。
それなら繊維質の説明がつくかもしれません。

結論はさておくとして、地球環境が、いまの地球環境に限定して古代を考えることは、私は間違っていると思います。

地球環境は、たとえば海面の高さはいまより140メートルも低かった時代もあれば、10メートル以上も高かった時代もあったわけです。

海面がいまよりずっと低くて、それが地球環境の寒冷化がもたらした氷河の発達によるものなら、その時代の日本列島は寒帯です。

今のような国境のない時代、人口も、いまの5千分の1くらいしか人がいなかった時代、人は「住み良いところに住めば良い」のであって、何も環境の良くないところに住む必要はありません。

人は食べなければ行きていけないのですから、そうであれば、より食べ物の豊富に採れるところに移動するのが当然です。

そして食べ物は、山で狩りをするより、海で魚や貝や海藻を採るほうが、はるかに食料を得やすいわけですから、当然、人は船を使ったわけで、それならなおのこと人は船に乗ってどこにでも住みよいところに移動する。
ごく自然なことだと思います。

そして海面がいまよりずっと低かった時代なら、東亜においては、いま大陸棚となっているところは、陸上であったわけです。

そうであれば、琉球諸島から台湾、フィリピン、ベトナム、インドネシアにかけての大陸棚一帯に人々がもともと住んでいたものが、海面の上昇とともに移動し、海面の上昇によって陸地が分断されて、それぞれの国民(民族)になっていったと考えても、何の不自然さもありません。

一方、海面の上昇は、そのまま地球気温の上昇を意味します。
そして、稲は熱帯性植物ですから、気温の上昇とともに、稲の自生地帯が北上し、そのままその地に定着したと考えるほうが、はるかに合理的です。

日本列島への稲作渡来説がありますが、熱帯で自生していた稲を食べていたものが、温帯化すれば、稲は自生できなくなります。
そうであれば、田に水を引いて、稲にそこが熱帯であるかのように見せかけて育てるという知恵も生まれるであろうことは想像に難くありません。
稲作渡来説よりも、私には、稲自生説の方がよほど説得力があるように思われます。

同様に、地球上の気圧や酸素濃度も長期間の間に変化した可能性があります。
恐竜は身体の大きな生き物ですが、現代の地球環境では生存は困難とされています。
なぜなら現代の方が酸素濃度が低いからです。

高圧酸素カプセルは、もともと無重力空間における宇宙飛行士の健康管理や体力の維持の目的で研究・開発されたもので、疲労回復、血行改善、肩こり、手足のしびれなどに効果があるとされています。

似たようなケースで、イスラエルの死海の辺りにある岩山登山は、不思議な事に登っても息切れしません。

標高が低くて、酸素濃度が高いからなのだそうです。

要するに恐竜があれだけの体躯を持つに至ったことの背景には、気圧と酸素濃度が関係しているらしいのです。

動物の体躯にそれだけの影響が出るのなら、もしかしたら植物にも影響があるのかもしれません。

また、巨人ネフィリムも、地球環境の関係で、人類自体が、いまよりももっとはるかに巨大だったのかもしれない。

そういう意味で、古代史や人類史は、まだまだ謎だらけです。
このことは縄文時代も同じで、たとえば三内丸山遺跡といえば、六本柱の巨大建造物で有名ですが、青森県のその遺跡を訪れる考古学者の先生は、100人いれば100通りの仮説を述べられるのだそうです。

ただし、仮説はあくまでも仮説です。

それを証明する証拠が蓄積されて、はじめてそれが学説になります。

しかしだからといって、固定概念にしがみつくのも、これまた不正解です。

学問は、あらゆる制約からの自由があって良いと思うからです。
自由と、証明と、この二つのバランスの中で、それらを合理的に説明するのが歴史です。

だから歴史は面白いのだと思います。

ねずさん

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