「野望」

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習近平、主席から“皇帝”への野望に必要な要件は

習近平主席の野望はどこまで続くのか

党大会に参加する党代表名簿が最終決定した。2300人の定員のはずが、発表された名簿は2287人。13人の名前が消えている。

これは一体どういうわけか、と香港あたりのメディアがいろいろ分析している。折しも、中国中央メディアでは党代表がいかに民主的なシステムで選ばれているかを白々しいまでに説明している。この党代表の選抜自体になにか政治的メッセージがあるような。

重慶市、孫政才一派を排除

党代表は昨年11月9日に選抜工作に関する通達が出され、定員2300人、全国で40におよぶ選挙単位(省・自治区・直轄市、軍部などの組織)によって選出されることが決定された。だが党大会直前になって27人の資格が急きょ取り消された。14人は補選によって再選出されたが、13人は間に合わず、第19回党大会の代表は2287人になったという。

で、誰が資格を取り消されたのか。まず重慶市の代表が少なくとも14人、資格を取り消された。

その中には党籍剥奪という厳しい処分が明らかになった孫政才のほか、重慶市の党常務委員会メンバーである曽慶紅(江沢民の側近の大物政治家とは同姓同名だが無関係、女性、元重慶組織部長)、王顕剛(市委秘書長)、劉強(政法委書記)、陳緑平(常務副市長)、陶長海(統戦部長)、盧建輝(大渡口区委書記)、劉文海(重慶市委副秘書長)、李洪義(涪陵区委書記)、何平(武隆区委書記)といった名前が出ている。

このうち陳緑平、劉強、陶長海は孫政才の引きで出世した腹心だ。つまり、孫政才を失脚させるだけでは安心できず、重慶の孫政才周りの主要官僚を軒並み連座させた、ということである。

5月下旬の段階で選出された重慶市の党代表は本来43人なので、実に3分の1近い代表が資格をはく奪されたということになる。4人が補選で補われたものの、重慶市の党代表団は33人に減ったわけだ。これは、たとえば日本の国会で、同じ党派の議員がいきなり10人議員資格をはく奪されたようなイメージで考えてもらうと、インパクトが理解できるのではないか。

「軍部、企業系、四大直轄市も」

重慶市以外に資格剥奪が目立ったのは軍部だ。中央軍事委員会後勤保証部政治委員の張書国、国防科技大学前政治委員の王建偉、武装警察副政治委員の張瑞浄らの名前が名簿から消えている。いずれも中将だ。

ほかに資格が取り消されたのは、中央規律検査委員会駐財政部規律検査組の元組長であった莫建成、公安部政治部主任で江沢民と関係が深いといわれた夏崇源、中国聯通(チャイナ・ユニコム)董事長の王暁初。

ともに今年6月に党大会代表に早々に選抜されていたはずだった。莫は8月下旬、重大な規律違反容疑で失脚。夏もどうやら“不測の事態”に遭遇した、と伝えられている。

王暁初の代表資格取り消しの原因は不明ながら、江沢民派の利権企業であった中国聯通はいわゆる国有企業改革で、いろいろ揉めており、その責任を問われた可能性がある。企業系の資格取り消しは他にも、河鋼集団董事長の于勇、山東威高集団董事長の陳学利がいる。

さらに吉林省政治協商会議主席の黄燕明、黒竜江省委統一戦線部副部長の林寛海。このあたりは習近平の嫌う北朝鮮利権閥のからみもあるかもしれない。他に安徽省馬鞍市委書記の魏尭、甘粛省甘南州長の趙凌雲。

このほか、天津市、北京市、上海市も多くの市委常務委員が代表落ちしており、四大直轄市が若干格下げになった印象だ。以上、香港紙明報や香港新興メディアの香港01がまとめていたので参考にした。

いったん選出された党代表が、党大会直前に代表資格を取り消されるという異様な状況を言い訳するように、新華社はじめ中央メディアが、「党代表はどのように選抜されたのか」というテーマの記事を一斉に発信した。

そこで強調されているのが、党代表は“厳格に党規約と中央の代表選挙工作の要求に従い”段階的な選挙による方法で選出された、ということだ。つまり、選挙というシステムで、民主的に選ばれたのだ、ということを強調している。

ちなみに党代表選出の選挙システムとは、まず組織の上層部が候補者をリストアップし、組織での考察を経て、代表候補名簿を確定したのち予備選挙を行い、会議選挙を行うという五段階を経て代表が選出される。

しかも、その投票は信任・不信任を投票するのであって、複数の候補者から選抜するものでもないので、まったくもって民主的な選挙とは別物だ。しかしながら、重慶市は重慶市で、軍部は軍部で、そうやって組織として選んだ代表を送り込んでくるという意味においては、それなりの党内民主というものがあった。

今回の党代表選挙は、そうした共産党の従来の党内民主というものを無視し、習近平の仕掛けた権力闘争に相当かき回されたようにみえる。

選出場所の不文律も打破

ちなみに今回の党代表選挙では、党中央指導者たちの選出場所が、祖籍地や勤務地という従来の不文律も打破された。

例えば習近平は第18回党大会は上海で党代表に選ばれた。それは習近平が上海市の書記だったからだ。胡錦涛は江蘇省で選ばれた。胡錦涛の出生地が江蘇省だからだ。温家宝も出生地の天津で選出された。

だが今回、習近平は貴州省で選出されている。李克強は広西チワン族自治区、張徳江は内モンゴル、兪正声は新疆、劉雲山は雲南、王岐山は湖南、張高麗は陝西…。政治局常務委員全員が、祖籍や勤務地とまったく関係ないところで選出されており、これは異例といえる。

指導部を地縁政治から切り離そうとする習近平の意見ではないか、という見方がある。もちろん、習近平が貴州を選んだのは、代表選出時、自分がかわいがる子分の陳敏爾が書記を務めおり、必ず全票当選できる環境があるからではあるが、他の政治局常務委員たちには、あえてゆかりのないところで選出させ、全票当選させないようにしたのかもしれない。

また、政治局常務委員たちの選出場所がいずれも貧困地・辺境と呼ばれる地域で、習近平の掲げる“一帯一路”戦略にかかわりのある土地にしたことに、政治的メッセージがあるという意見もある。

その建前はともかく、習近平が今回の党大会に参加する党代表選出のやり方において、従来のルールを変えてなにかしらの主導権と影響力を発揮しようとしていることはうかがえる。

こうした動きが、習近平は将来的に選挙というものに非常に関心を持っているのではないか 将来的には国家指導者選びも選挙制を導入するつもりではないか、という憶測のもとになっているわけだ。

「選挙制導入の“噂”」

これは昨年あたりからさんざん流れている“噂”ではあるが、習近平が長期独裁政権を打ち立てる正統性を得るためには選挙制度を導入するつもりらしい、という。

ラジオ・フリーアジアの評論家・高新や明鏡新聞創始者の何頻らが、しばしば指摘しているのだが、習近平が独裁者のそしりを避けつつ、国家指導者として長期君臨し続けるためには、2022年の第20回党大会で、党の統治システムを根本的に変える必要がある。

たとえば政治局常務委員制度を廃止するか権限を制限して、党主席制度を導入する、あるいは国家主席権限を強化する。そして強権を持つようになる国家主席は選挙で選出する。あるいは、国家主席職を廃止して大統領制を導入するしかない。

そのためには、第19期の六中全会(2021年秋)あたりに、民間に習近平神格化世論を盛り上げて、民間からの習近平続投要望の公開書簡を出させるなどの世論誘導を行う。そのとき選挙制度を提案すれば、中国の民間には選挙に対するあこがれはもともと強くあるので、すんなり受け入れられる。

たとえば反腐敗キャンペーンの成果や、南シナ海の島々の実行支配ほか、何かしらのわかりやすい成果で国民の熱狂的支持を得ることができれば、習近平は選挙で選ばれて、国民に選ばれた指導者として強権をふるうことができるわけだ。

もともと習近平は共産主義の元老・元勲が持つ威厳と資質に欠けている。

毛沢東のように共産党の核心として長期君臨し続けるには無理がある。となると、選挙で選ばれて、党の核心ではなく万民の核心として指導者の地位を確立させるしかない。

もっとも大統領制を導入したら民主主義なのか、というと、基本共産党の一党独裁が変わらなければ、その本質は宮廷政治。

大統領ではなくて皇帝に近いイメージだろう。袁世凱やチャウシェスクみたいな感じだ。だが、それでも、党中央委員会が絞った複数の候補から国民が一人選ぶとなれば、その指導者の正統性は説得力をもつ。

習近平にとっての問題は、大統領選挙を行って、果たして勝てるか、ということである。

社会主義を放棄できるか

何頻などは、今の方向性のままでは難しいと見ている。最大の原因は経済政策の失敗である。鄧小平路線を逆走する共産党による経済コントロールの強化では、中国経済は回復できない。そのつけは、中産階級だけでなく低所得層にもいくのだ。

また、エリート、中産階級、知識人たちを弾圧してきた習近平に対するイメージは相当ネガティブで、知識層、中産階級層が主流のインターネットユーザーの間では習近平の評判は低い。農村、労働者などは、習近平の反腐敗キャンペーンや核心キャンペーンに洗脳される人も多そうだが、若者に関していえば、今や出稼ぎ労働者もスマホでSNSのやり取りに参加する時代であり、実はそんなに簡単にプロパガンダに乗せられるほど“情弱”でもないのだ。

なので、習近平が大統領になることを望むのであれば、その路線は毛沢東回帰ではなく、改革開放であり、自由化であり、特に政治改革、司法の独立や法治の徹底に踏み込まなければならない。

次の5年で、習近平にそれができるかどうか。それができれば、毛沢東も鄧小平も胡耀邦も趙紫陽も得られなかったチャンスを習近平はつかむことになる、というわけである。

中国が党大会でざわついている間に、日本でも総選挙を迎える。昨日まで護憲を主張して安保法制に体を張って反対していた人が選挙に勝つためなら改憲派に変わるのを情けない、という人もいるだろうが、有権者の求めるように国や社会を変えていくのが政治家の務めなら、有権者に合わせて信念やイデオロギーが変わるのも、また民主主義の特性ともいえる。

というわけで、習近平にも、ぜひ日本の政治家のような、身軽な信条変更、路線変更を見習ってほしいところだ。民主主義という名の大衆迎合主義のほうが、実はイデオロギーよりも、長期独裁政権確立への近道であるかもしれないのだから。

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