「国民生活と仕組み」

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親であれば、祖父母であれば、子や孫に幸せで豊かな生活を実現させてあげたいと思うのが人情です。

何のために給料の大分を使って、子供を学校や塾に行かせているのでしょうか。幸せになってもらいたいと思うからではないのでしょうか。

けれど、将来その子や孫が住む日本が、金と暴力が支配する国となり、身の安全さえも保障されず、ひたすら民衆が収奪され続ける世の中になっているとしたら。

ごく一部の特権階級の人たちが、他の圧倒的多数の人々に嘘やデタラメを刷り込み、人々の覇気を失わせ、働いても働いても、暮らしは楽にならず、夫の給料だけではやっていくことができず、月々の支払いのために妻はパートに、高校生になった子はアルバイトに働きに出ていて、それでも暮らしは豊かにならない。

かつてのソ連がそうでした。

しかしいまの日本でも、生活保護を受けている外国人が、何もしないで月に30万円ものお金を行政からもらい、医療費も全額無料、高額医療も無料、さらに現金収入のある商売なら役所に内緒で仕事ができるとばかり、キ○チを売り歩き、来日してわずか3年で高級外車をキャッシュで買い、5年目には新築の億ションを買い、焼○屋のチェーン店のオーナーとなって日本人の主婦や学生をアルバイトに使っています。

産業界では、会社の要職をやはり外国人が独占し、禁煙の社屋内を平気でくわえタバコで闊歩し、従業員の女性たちをその毒牙にかけ、セクハラ、パワハラはあたりまえ、社員はほぼ16時間労働もあたりまえ。それでいて給料は8時間の定時分しかもらえない。

結局、日本人であれば、正社員で16時間働いても、アルバイトで8時間働いても、もらえる給料は同じということになって、次々と社員は会社をやめて行くけれど、さりとて次の就職先があるわけでもない。

大好きな女性と結婚しても、一昔前なら、結婚したら女房に働かせないことが男の甲斐性なんて言われていたのに、いまではすっかり共稼ぎがあたりまえ。

昔は「鍵っ子」が社会問題になったものだけれど、いまでは「鍵っ子」は普通の常識です。

子どもたちが遊べる野山も失われて、監視カメラ付きの学校の指定公園でなければ、子供を遊ばせることもできない。

昔は片道6キロも7キロもある道のりを、子どもたちが歩いて学校に通っても、何の心配もなかったけれど、いまでは、数百メートルの学校までの道のりを、集団登下校で、父兄による横断監視がなければ、安心して学校にもいかせられない。

そういえば、終戦直後、焼夷弾によってまさに焼け野原となった都市部は、終戦の詔勅後すぐに復興作業が始まり、昭和22年の段階では、ほぼ完全に瓦礫は片付けられ、町にはバラックが立ち並び、昭和30年頃の子どもたちは、防空壕は見たことがあっても、瓦礫の山なんて見たこともありませんでした。

ところが東日本大震災が起きたのが2011年、あれからもう6年も経つのに、現内閣になってからかなり復興が進んだとはいえ、いまだに瓦礫は露出しているし、仮設住宅生活者は18万人もいる状況です。

戦後についていえば、1945年の終戦直後から、1970年代までの日本経済の成長はすさまじいのひとことに尽きるものでした。

それは世界中から、奇跡の復興とまで呼ばれるものでもありました。
同じことは明治時代にも起きています。

明治政府ができたばかりの頃は、極貧政府で、給金の支払いもままならず、そのためやむを得ず、13ヶ月あった1年を短縮するために暦を旧暦から新暦に変えたのは有名な話です。

これによって1ヶ月分の公務員の給料の支払いを軽減したのです。
それだけ貧乏だった明治政府は、ところが明治の中頃には、経済力で世界のベスト5に入る大国にまで上っています。

戦後も同じで、日本の経済成長は、そまさに世紀の奇跡とまで言われました。

ところが90年代には我が国の名目経済成長率は世界最下位になりました。

2000年代も最下位です。

ようやく現内閣になってから多少の成長が見られるようになったものの、それでも世界190カ国中、日本のそれは175位です。
私たちは、どのような未来を子や孫に残すのでしょうか。

人の社会は、人が築くものです。

それは、ただ「そうなった」というものではなくて、私たちの意思が、未来を築きます。

日本が良くない国だ、日本人は駄目な民族だと刷り込まれている間に、国政から企業経営、夜の町まで、日本人のような顔をした日本語を話して、日本人のような名前を通名する人たちが、働き者の日本人を安い賃金でこき使って、遊んで生活している。

そしてそのことを日本社会に定着させるために、口先だけはよさそうなことを言う人物を、組織を動員して国政に送り込む。

真面目に国民のことを思って仕事をしている政治家を、徹底的にこき下ろす。

長いこと、そんなことを多くの日本人は放置してきました。

政治がどうのこうのと言う人達は、特殊な人であり、自分たちの生活を自分で守ることこそ、日本人の美徳であり、それは自分の人生のことであったからです。

ところが、東日本大震災は、はからずも、そうした特殊な人達による政治が、もはや放置できない最悪のものであるという現実に、多くの日本人が気付いてしまいました。

そしてそういう人たちが、いまさらのように「もりかけ」にこだわればこだわるほど、人々は彼らに対して懐疑的になっていったのです。
それが、民進党ができてからわずか1年半で解党になった理由です。

今回の選挙を「もりかけ隠し選挙」だという政治家や評論家がいます。
馬鹿な話です。

全然「隠し」などではありません。

それがそれほどまでに問題だとういうのなら、選挙後に再び争点にしていけば良いだけのことです。

それを「隠しだ」というのなら、その政治家は、はなから政治家であることを放棄していることになります。

「北朝鮮問題の緊迫しているときに政治に空白をつくるのか」という政治家、評論家もいます。

空白などありません。
我が国には、衆議院の選挙期間中も参議院もあるし、内閣もあるのです。
衆議院の政治家だけが、鉄砲を持って前線にいくわけでもありますまい。

「いまこそ安倍政権から国民の手に政治を取り戻そう」といっているのは共産党です。

残念ながら、志位委員がそう吠えればほえるほど、多くの日本人の目には
「その国民て、誰のことですか?」と白々しくしか写りません。

日本人は馬鹿ではないのです。

最近、熱帯地方並みの豪雨が各地を襲っています。

もし、本格的な熱帯並みに1000ミリの豪雨が降ったら、日本の都市部は壊滅、水没します。

水没だけではなくて、そうなると、その地域一体が停電します。
震災対策、防犯対策、水害対策、日本の国家インフラの整備は、いまや待ったなしです。

万一、北朝鮮有事があったら、そのときの防衛をどうするのか。これも待ったなしの問題です。

東京五輪を前に、絶対に関東大震災のときのような暴力事件が起こらないように、徹底的な取締を行うことも、これまた、大きな問題です。

「もりかけ」などを議論するヒマがあったら、そうした国家インフラの整備をしっかりと議論し、実施していく。
そしてその対策にあたって、費用をケチらずに、国がお金をどんどん使う。

工事というものは、安くすれば良いというものではありません。

仮に、橋梁工事、地下補強工事、堤防工事、公共建築物の補強工事の作業員に従事すれば、手取りで日給5万円、月収100万円が支払われるようになったら、それだけで日本の失業問題は解消し、貧困問題も解消していきます。

ところが現実は、そうした作業従事者の給料は、月収10万円以下のコンビの店員以下にしかならないのが現実です。
世界では、コンビニの店員の時給は3000円になっているというのに、です。

もっといえば、防衛産業は、国家経済をものすごく発達させます。
とりわけ、セキュリティや最先端技術は、本来は軍が最前線を担うべき分野です。

私たちが求めているのは、能書きではないのです。
実質的な生活の向上です。

日本人が、豊かで安心して安全に暮らせること。
そのためにいま必要なことを、次々に実現していく、その実行力こそが国政に求められていることです。

愚にもつかない難癖や批評など、余計なお世話なのです。

我々日本人は、世界で最も旧くて長い歴史を持つ国、世界最古の国家です。

そして私たち日本人は、世界で唯一、天皇という存在のありがたさによって、世界最古の「権力からの自由」を与えられた民です。

日本経済を成長させるのも、私たちが子を立派に育てることができる環境を築くのも、未来に向けたよりよい国作りができるのも、すべては私たち自身が、先人たちが築いてくれた日本とは何かを、まずは学ぶところから始まるのだと思います。

そしてその根幹はといえば、それはやはり古事記にあります。

その古事記が、ただの荒唐無稽な子供向け神話(Mith)ではないということを、あらためて私たちが学び、また知ることこそ、日本を取り戻す原動力になるものと思います。

ねずさん

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