「古事記」

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さて、本日お届けしますのは、古事記のお話です。

古事記全文漢字で書かれていますが、全編で使われている文字数(漢字の数)は、なんと約5万5000字に登ります。
古事記上中下の三巻立ててですが、このうち上巻が、当時の時代の人々の共通のご先祖の物語として「神語(かむかたり)」で、その文字数は約1万9000字です。

大国主神話は、そのなかのおよそ3分の1にあたる約7000字が割かれています。それだけ大国主神話の古事記における扱いは大きいわけです。
ところがこのことは、すこしおかしな話です。

第一に、正史となっている日本書紀には、大国主神話はほとんど出てきません。
第二に、大国主は出雲一国の神様です。
第三に、大国主神話には、倭国(やまとのくに)に関する描写があります。

とりわけ三は、原文では「出雲将上坐倭国」、つまりここに明らからに「出雲(いづも)自(よ)り倭国(やまとのくに)に上(のぼ)り坐(ま)さ将(む)」と書かれています。
「上る」という表現は、「都に上る」というように、地位の低いほうが、地位の高い国に参ることをいいます。

つまり大国主神が出雲に王朝を開いていた、同じ時期に、日本の原点となる倭国は、ちゃんと存在していたわけです。

「大国主神の正妻である須勢理毘売命が激しく嫉妬した。
そのため大国主神は困り、出雲から倭国に上ろうとして、旅装束を身にまとって出発するとき、片手を馬の鞍(くら)にかけ、片足を馬の鐙(あぶみ)に入れて、歌いていわく・・・・」
(原文)
又其神之適后、須勢理毘売命、甚為嫉妬。故其日子遅神、和備弖(三字以音)、自出雲将上坐倭国而、束裝立時、片御手者、繋御馬之鞍、片御足、蹈入其御鐙而、歌曰・・・

ということは、倭国が仮に大和盆地(茨木県水戸市あたりという説もあり)にあったとするならば、大国主神は、出雲をおさめた一地方豪族にすぎないということになります。
古事記が書かれた時代には、地方豪族は全国にたくさんありましたから、そうなると、なぜ出雲の大国主神だけをここで古事記が取り上げたのかが問題になります。

古事記は序文で、この書は「古(いにしえ)を省みて風習や道徳が廃れることを正し、世を照らすべき典教が絶えようとしていることを補強する」ことを目的に書いたということが述べられています。
およそ書かれたものというのは、それぞれ書く目的を持ちます。

とりわけ古事記は、「天皇の詔によって編纂が開始され」、できあがった古事記は、「天皇に献上」された書です。

そして古事記が編纂された時代は、白村江の戦いのあとに、我が国が豪族たちの集合体というカタチから、天皇を中心とした統一国家になることを、我が国が全力をあげて取り組んだ時代にあたります。

つまり、その統一国家の形成に於いて、出雲の大国主神話が「極めて重要」と考えられたからこそ、大国主神話は、上巻の神語のおよそ半分の文字数を割いて、詳しく物語が書かれていたということになります。
『宋書、倭人伝』には、西暦478年の「倭王武の上表文」が掲載されていますが、そこには次の記述があります。
倭王武というのは、第21代雄略天皇のことです。

「封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。
昔より祖禰(そでい)
躬(みずか)ら甲冑をめぐらし、
山川を跋渉(ばっしょう)し、
寧処(ねいしょ)するに遑(いとま)あらず。
東方55国を征し、
西のかた66国を服し、
渡りて海の北95国を平らぐ」

古い言葉でちょっとむつかしいので、ねず式で現代語に訳してみます。

「我が国日本は宋から遠いところにあります。
昔から我が皇室の祖先は、みずからヨロイを着てあちこちを征伐して、
東の方角に55カ国、西の方角には66カ国、そして海を北に渡って
95カ国を平定しましたよ」

「海を北に渡って95カ国」というのは、「朝鮮海峡を渡って」という意味です。
東西は、倭国の都から東と西です。
倭国の所在地が近畿なら、東は中部地方から関東、北陸、東北です。西は近畿以西になります。
倭国の所在地が水戸なら、東は東北、北海道、西は中部以西になります。

この時代の日本列島の人口は、はっきりした数はわかりません。
ただ持統天皇4年(690年)の「庚寅年籍」の頃には、日本の人口は、およそ500万人であったという研究成果があります。

仮にもし5世紀の雄略天皇の時代と7世紀の持統天皇の時代の人口にあまり変化がなかったとすれば、東西121カ国は、1国あたり平均4万人の人口であったことがわかります。
これは村落国家というには、すこし規模が大きすぎます。
いまの市区郡くらいのまとまりです。
その市区郡くらいの国が、すでに国として確立されていたことがわかります。

さらにいうと、朝鮮半島も、1国の平均人口が4万人なら、95カ国で380万人です。
そうであれば、朝鮮半島南部一帯、つまりいまの韓国のあたり一帯は、その昔は倭国であったということがわかります。

これが書いてある『宋書』は宗の国の公式な史書です。
公式史書ということは、そこに嘘を書いたら、書いた人は首を刎ねられるということです。
ですからとても信用性の高い史料です。

出雲の国も、そうした国の中のひとつであったわけです。
古代史研究家の中には、大国主神の出雲王朝は古代の東アジアにおける世界的大帝国であったと主張する先生もおいでになります。

事実はわかりません。
もしかするとそうした先生方の研究成果が、ただしいのかもしれません。
ただ私がしていることは、「統一国家の形成を目的に書かれた史書である古事記の記述から、その真意を読み解く」という作業です。

書かれたものには書かれた目的があり、それが国家統一を目指したものであるのなら、そこに日本を取り戻すヒントが必ずあるはずです。
つまり古事記が描く、日本のカタチがあるわけです。

ですから古事記の記述が史実かどうかとか、古事記を宗教的権威として崇(あが)めるのではなく、古事記に書かれた歴史の把握の仕方(歴史認識)をまずは冷静に、できるだけ当時の人たちと同じ立ち位置で把握してみようということが、私の古事記への立場です。

たとえば古事記に「高志八俣遠呂智(こしのやまたのおろち)」という言葉がありますが、これは「越の国から毎年奥出雲に定期的にやってきた八人の強姦魔だ」という、ある意味、権威ある説があります。
史実はいまではまったくわかりませんから、もしかするとそれが真相かもしれません。

しかし、越の国というのは、いまでいう北陸地方から新潟、山形県北西部あたりまでの一帯を示す言葉です。
はたして、その越の国から、わざわざ奥出雲まで、強姦のために定期的に何年も続けて人がやってくるでしょうか。

越の国から出雲まで行くには、越前から若狭、丹後、但馬、因幡、伯耆の国を越えて出雲に入り、そこからさらに山奥の山中にある奥出雲まで行かなければならないのです。

それが強姦のために?
私には、そのようなことがあったとはにわかには信じられません。

まして古事記は、序文に「古(いにしえ)を省みて風習や道徳が廃れることを正し、世を照らすべき典教が絶えようとしていることを補強する」ために書かれたと書いてあるのです。

つまり天皇の書として、何か大事なことを伝えることを目的として書かれたものだということです。
それが果たして越の国からやってきた8人の強姦魔なのでしょうか。

しかも古事記は「越の国」ではなく、明らかに「高志(こし)」と書いているのです。
しかもそこには「以音」という注釈もありません。
つまり漢語でいう「高志」であるから、「高志(こし)」と書いているわけです。

そうであれば、では「高志(こし)」とは何であるのかが問題になりますし、そういう読み方をすることが、「大人が古事記を読む」ということなのであろうと思います。

同様に、大国主神は、「おおいなる国の主」ですが、大国主神が「おおいなる国の主」となる前の名に「葦原色許男(あしはらのしこを)」という名前があります。

これもまた「葦原醜男」で、みにくい男と訳しているものがありますが、なるほど日本書紀は「葦原醜男」と書いているものの、古事記はどこまでも「葦原色許男」です。

これもまた「以音」とは書いてありません。
つまり、漢語で「色許男」だと古事記は表現しています。
そして「色許男」は、どうみても、みにくい男ではなく、「色を許した男」です。

詳しい説明は、拙著『ねずさんと語る古事記・弐』をお読みいただくとして、古事記には、古事記が伝えようとした何かがあるわけで、それは日本書紀とは、また異なる伝えたいものであったからこそ、古事記と日本書紀と、同時期に二つの史書が編纂されているわけです。

両者の比較考証は必要なことですが、かならずしもそこで伝えようとしている神語は、両者は同一ではないと考えられます。

このような意味からすると、古事記の記載する大国主神の出雲国は、国内121カ国のなかの一国(もしくはその中の数カ国)にすぎないということになります。

その一国についての記述に、古事記が上つ巻き神語のおよそ3分の1の文字数を割いたということは、そこに古事記が天皇の書として子孫たちに伝えなければならない、大事なことが書かれているということです。
ただウサギを助けただけのお兄さんの童話ではないのです。

そこで古事記の大国主神話を詳しくみていきますと、大国主神話は、大きく5つの物語で構成されていることがわかります。
(1) 因幡の白ウサギ
(2) 八十神による大国主へのイジメ
(3) スサノオの薫陶
(4) 大国主の国つくり
(5) 国譲り

最初の導入部が「因幡の白菟」です。
ここは、よく「白うさぎ」を助けた物語として紹介されていますが、古事記の原文をよく読むと「兎」ではなく、「菟」と書いています。
動物のウサギは耳が長いから「兎」と、へんが「ノ」になっていますが、古事記で使われている文字は「菟」で、これはクサカンムリです。

では「菟」とは何かというと、これは支那漢字の「ネナシカズラ」という寄生木のこといいます。
つまり根なし草、です。

土地を耕して暮らしている人たちは土地に定住して働く人たちです。
その土地で得られた作物を、行商して歩くのが、土地を持たない(定住しない)商人たちです。

つまり、大国主神話は、そのはじめの切り出しのところで、大国主神、すなわち「大いなる国の主」が築いた国が、商業国家であったことを連想させるように工夫されています。

このあたりの解説と、その後に続く大国主神話の詳細は、『ねずさんと語る古事記・弐』に詳しいのでそちらをお読みいただくとして、問題は大国主神が築いた大いなる国は、その国作りの途中で高御産巣日神から「兄弟として互いに協力しあって国作りをしなさい」と言われていた少名毘古那神(すくなひこなのかみ)は、途中で大国主神のもとを去ってしまうし、天照大御神から「お前が行って知らせ」と命ぜられた天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は、天の橋から大国主神の国を見て、「騒々しい」と言って、帰ってしまっていることです。

いまでも支那は商業国家ですが、商業国家というのは、大金持ちがいる一方で、圧倒的多数の貧民がいるのが特徴です。
そして誰もが利を得ようとして、強烈に自己主張をしようとします。
その一例が、夜の新宿歌舞伎町のような繁華街で、まさにそこは欲望の街であり、まさに騒々しいところです。

天照大御神は最高神ですが、それが「よろしくない」といって、最後に建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わして、大国主神に国譲りを迫っています。

そしてその後に、迩々芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨するのですが、このとき迩々芸命は、五伴緒神(いつとものおのかみ)と呼ばれる、いわば職人集団を連れて、中つ国に降臨しています。

つまり、天照大御神の狙いは、中つ国を、支那のような商業国家から、農業を中心とした日本的モノつくり国家へと改造させるところにあったということを、全体の筋書きから読み取ることができるわけです。

モノ作りというのは、自分の利益だけを考えることでは成立しません。
より良いモノをつくるということは、より多くの人々に幸せと愛と喜びと美しさを提供するということです。

全国民の誰もが、そのことを生きがいとして暮らすようになることは、特に天然災害の多い日本では、絶対に必要なことといえます。

そしてそういうことの大切さを、古事記は、「古(いにしえ)を省みて風習や道徳が廃れることを正し、世を照らすべき典教が絶えようとしていることを補強する」ために、大切な神語として、出雲の大国主神話を強調して書いたといえるのではないかと思います。

ねずさん

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