「悪口を言われたら」

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新しい歴史教科書をつくる会が主催する「日本史検定講座」は、本当に毎回、ものすごく勉強になっています。

先日行われたのが、宮脇淳子先生の「2つの帝国がつくった世界史」という講義だったのですが、これまた目からウロコがはがれ落ちる、素晴らしい講義でした。

ここでいう「2つの帝国」というのは、モンゴル帝国と大日本帝国のことです。

モンゴルの大帝国は、13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻した大帝国ですが、このモンゴル帝国が出発点となって、実はいまもある資本主義が形成されているし、欧州を含む諸国が形成されています。

ところが欧州の諸国では、歴史教科書はモンゴル以後の14世紀のルネッサンスあたりから記述を開始している。
つまり、モンゴルの大帝国によって支配された歴史を、意図して隠しているわけです。

一方、大日本帝国も500年続いた植民地支配の歴史を終わらせるという、世界史に残る大きな働きをしていますが、これまた「消された歴史」になっている。

そういうところから、それぞれの国の成り立ちや歴史などに一気に踏み込むという、まさに名講義だったわけですが、このお話は、目下先生は東大でも教えているとのことで、たいへんに頼もしく、また嬉しく思いました。

その講義の中で、主題とは逸れるのですが、ひとつ、「なるほど!」と感服したことがあります。
それは以下のような内容のお話です。

中華思想というのは、戦争に負けたときに出てくる負け惜しみ思想です。

支那が本当に強かったモンゴル帝国の元朝や満洲の清朝のときには、中華思想自体が必要ありません。
何もいわなくたって偉いし強いし、世界中で一番お金持ちだったからです。

ですから中華思想は、負けたときに、「あいつらは戦争に勝ったけれど野蛮人で、 本当は俺たちの方が上なのだ」という思想です。

いま日本に対して彼らが中華思想を言うのは、彼らが日本に敵わないからです。

敵わないから悪口を言います。
それを正直に、「そうですね」という必要がどこにあというのでしょうか。

悪口を言われたら、「そうか俺はそんなに偉いんだ」と思わなきゃいけないのです。相手はそんなにまで悔しいし、嘘の悪口を言う他ないから、あんなにエスカレートするのです。

このごろ反日がひどくなっているのは、中国側の内情がひどい状態になっているからです。そういうものの見方を日本人がしないことは、日本の落ち度です。

中国や韓国が、お白州の罪人よろしく「私が悪うございました」と謝ることなど、未来永劫絶対にありません。
負けたら負けただけ、もっと悔しくてもっと悪口を言うのが彼らです。
ですから日本人が日本のものの考え方を変えるほうが、楽だし早いのです。

日本が変われば良いのです。そしたら向こうが渋々変わるのです。

もともと中華思想があるから日本を悪く言うのではなくて、日本が強くて敵わないから中華思想にすがりついているのだという視点は、まさに目からウロコでした。

けれど、少し考えたら、まさにそれが真実とわかりました。

【キツネとブドウ】(イソップ物語)

ある日キツネが、木の枝に這っているツタから、熟したブドウが一房(ひとふさ)垂れているのを見つけました。
ブドウは今にも割れて果汁が出そうで、それを食べたくて眺めているうちにキツネの口に唾が出てきました。
ブドウの房(ふさ)は高い枝から下がっていて、キツネはそれをとるのに跳びはねなくてはなりませんでした。

最初に跳ねたときははるかに手が届きませんでした。
そこでもっと離れたところまで歩いていって、助走して跳ねましたが、また届きませんでした。
何度も何度もやってみましたが、だめでした。

そこでキツネは座りこみ、うんざりしてブドウを眺めました。
「おれはなんて馬鹿だ」とキツネは言いました。
「ブドウをとろうとして、こうしてすっかりくたびれるなんてさ。 口を開けてみとれる値打ちもない酸っぱいブドウなのによ」
そうしてとても嘲りながら去っていきました。

There are many who pretend to despise and belittle that which is beyond their reach.
手の届かないものをさげすみ、けなそうとする人はたくさんいます

要するに中華思想というのは、イソップ物語のキツネとブドウと同じなのですね。

韓流の反日も同様で、どこまで行っても日本に敵わない。
敵わないどころか、国内が滅茶苦茶だから、反日に走って現実逃避する。

国内20万人の妙齢の女性が性奴隷にされたというけれど、もしそれが事実なら、適齢期の美女の5人にひとりが強制連行され、それを韓国の男たちは、ただ黙って指を加えて見ていたことになります。
つまり、自ら「韓国人男性はチキンです」と言っているのに等しいけれど、熱くなっているからそんなことにも気付かないわけです。

けれど、そういう支那人、韓国人に、いくら「事実を認めて変わって下さい」とお願いしたところで、そもそもがヤキモチと責任転嫁が出発点なら、彼ら自身が変わることなど、未来永劫ありえないわけです。
そうであるなら、こちらが変わるしかありません。

同じく宮脇先生の講義の中に、次のようなお話もありました。

現代中国は、「中国は永遠不変で野蛮人が入ってきたけれどすぐに文明に同化されてみんな中国文明になった」と言います。

けれど実際には、その都度コロコロと態度を変えながら、そのときの一番偉い人にそっくりそのまま馴染んでやってきただけです。
現在の支那文明も、清朝の満洲人の文明のままです。

チャイナドレスも満洲服です。
入ってきた人たちが中国人になったのですが、彼らはそれを「漢人が迎合した」とは書かない。
書いたもの勝ちなのです。

つまり「中国は永遠不変で野蛮人が入ってきたけれどすぐに文明に同化されてみんな中国文明になった」のではなくて、「中国に進んだ文明の人が入ってくると、 彼らはすぐ同化して文明そのものを入れ替えた」
のです。

これは朝鮮も同じで、かつては倭国を宗主国にしていたけれど、支那に唐という強い軍事国家が誕生すると、進んで国を支那化し、その後で強いモンゴルが入ってくると、名前の付け方から食生活にいたるまで、ことごとくモンゴル化して進んで同化しています。

ところがそのモンゴルが衰退すると、あらためて支那の真似をして儒教国家を名乗り、明治に入って日本が強国になると、またまた進んで日本の一部になり、その日本が負けるとアメリカと旧ソ連に迎合して、今度は国まで二つに割ってしまった。

要するに、その時々で、誰が上かだけが問題なのであって、それまで上にいた者が権力を失うと、新たに権力を得た者が、前の施政者層をことごとく虐殺し、収奪する。

その意味では、半島は、いまだに古代世界のままであるということです。
そのようなアホな国に、日本が迎合する必要などさらさらないのは、あたりまえのことです。

ただこれまでは地政学的に、日本にとっての半島は、大陸の旧ソ連や中共という共産主義国家から身を守るための緩衝地帯という軍事的意味がありました。

半島が、中共やソ連に制圧されると、日本までは、すぐ近くです。
日本の安全保障上、とにかく韓国が健在でいてくれることが重要なことであったわけです。

ですから、韓国が少々わがままなことを行ってきたとしても、日本は、それを認めてあげるしかなかった。
韓国もそれを承知で、少し騒いでは日本から資金や技術の援助を得てきたわけです。

ところが軍事技術が進歩して、かつての歩兵重視の時代から、いまでは、ミサイルの時代に変わっています。
日本に上陸するために、半島南部に100万の支那兵ソ連兵が集結したとしても、ミサイル一発で、それらを全滅させることができる時代に変わったのです。

そうなると、半島の存在が日本の安全保障にとって軍事的に重要だった時代は、もはや過ぎ去ってしまったわけで、いまさら韓国のわがままに付き合う必要性は、日本にとっては、まったく失せてしまったどころか、かえって商業上、韓国への日本からの技術移転が、日本にとってのデメリットにしかならないことの方が、大きな問題となっているわけです。

日本の内閣が、韓国に対して、これまでとは打って変わって強硬姿勢を採るようになったのも、これが理由です。

韓国は、夢よもう一度で、なおも日本を貶めれば金になると、再三、日本にいる在日コリアンを動員して工作活動を仕掛けますが、そんな韓国や在日に辟易している日本人は、それらを最早相手にしなくなってきているわけです。

むしろ、違うことは違うと、はっきりとした姿勢を見せるようになってきている。

時代は変わったのです。

これからの日本人にとって大切なことは、日本人が日本人としてのアイデンティティにしっかりと目覚めること。

相手は変わらないのです。
むしろ、自分が変わることで、おかしな虫を寄せ付けない強靭な国家を、自分たちの手で築いていくことが大事です。

そして日本は、それができる国です。
なぜなら日本は、ずっと正しく、人々の愛と喜びと幸せと美しさを育むことを大切にしてきた国だからです。

ねずさん

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