「容易に破綻しない理由」

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北朝鮮経済が制裁強化でも容易に破綻しない理由

国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会は、北朝鮮の今年4月の石炭輸出量がゼロになったと発表した。党や軍が貿易や武器輸出で稼いだ外貨を「忠誠資金」などの名目で金正恩氏に上納する「首領経済」の資金源を遮断しようとする国連制裁が功を奏しているともいえる。だが北朝鮮を支えるもう一つの「住民経済」は事情が違う。

 統合市場の取引で儲けて資本を蓄積した新富裕層が、デパート経営やマンション開発などにまで乗り出している。それは金正恩氏も抑えきれないほどの勢いを持っている。

闇市から「総合市場」に発展

全国で400ヵ所、「住民経済」が拡大

中国も参加しての制裁強化の影響は、まずは最大の輸出品である石炭の炭鉱で出始めている。国家収入が落ち込むなど、制裁の効果が国全体に現れるまでには時間を要するかもしれない。だが石炭生産の停滞は生産現場の末端の幹部をはじめ、鉱山の管理者、輸送の利権を握る中間業者、許認可権を持って賄賂で生計を立ててきた幹部たちの生活を直撃するものだ。

鉱山労働者たちの影響も深刻だろう。

配給が途絶えている北朝鮮で飢え死にしないために、これら労働者たちが選択できる手段は限られている。重機などの機械装備のほとんどない鉱山で労働者が奴隷のような労働環境に耐えている理由は、ただ一つ、最低限の食べ物が手に入るからだ。

職を失った鉱山労働者はこれから延命のために国中をさまようこととなる。行き場をなくした人々が最後に頼りにするのが“総合市場”(北朝鮮では地域市場、チャンマダンと呼ぶ)だ。

資本を蓄積した銭主が「新富裕層」に

そこではなんでも金になる。上下水道がほとんど完備されていない地方では、川の水も売買され、金になる。手元に売り物のない人々の中には、川から水を汲んできて総合市場で売る者もいるという。日雇いの働き口を探すのも総合市場だ。市場をうろつけば、少なくとも飢え死にはせずに済むのだ。

90年代に入ると北朝鮮経済は、社会主義経済圏の崩壊に加え、水害や飢饉に見舞われ、70年代の水準にまで落ち込んだ。国の計画経済システムが壊れ、配給制度を維持できなくなった。大量の餓死者が出たのは、配給制度が完全に崩壊した90年代半ばから終わりにかけてだ。そこで当時、生存のための食糧を求める人たちを相手にした業者が闇市場に参入、その規模は瞬く間に膨れ上がり、全国に拡散、流通ネットワークが形成されていった。

こうして当初は自然発生的に作られた総合市場が、今では北朝鮮全域に拡散している。韓国国家情報院が衛星写真を元に分析した結果によると、国内には約400ヵ所の市場があるという。

資本を蓄積した銭主が「新富裕層」に

高層マンションの大半を所有
闇市場が始まった当初は、小規模の商品を持ち歩きながら販売する“包商売”、地方の間を行き来して地域間に不足の品を流通させる“走り商売”、さらには鉄道や車両を利用した“卸売り”、インストア商売人などが出現し、こうした中で資本を蓄積し、大きな資本を動かす“銭主”が現れた。

最初に“銭主”となったのは、日本に親戚がいる帰国同胞、中国にコネを持つ華僑だったが、その後、外国から合法的に物資を調達できる立場にあり、流通手段を手にしている貿易機関の幹部、許認可権を有する政府部門の幹部らがそれに加わった。

党や政府機関の幹部の中には、「首領経済」の活動で得た物資や外貨などを市場で横流ししたり、一部の銭主は、中国の資本と一緒に不動産や消費財の生産にも投資したりするようになる。中には、妻や子どもにこうした事業をやらせている幹部もいる。

最近、平壌の若い女性の間では世界的なファッションブランドのエル(ELLE)が、男性の間ではアディダス、ナイキが流行っているそうだ。一般の若者たちは、ドルに換算すると10ドルに満たない給料しかもらっていない中で、こうした贅沢品を手に入れられるのは、各種の利権を持つ党や政府の幹部の子女のほか、「住民経済」の恩恵を被って新富裕層にのし上がった人たちの子どもだ。

韓国国家情報院の資料によれば、北朝鮮の人口の約1%に相当する24万人が新興富裕層という。北朝鮮では現在1000万ドル以上の財産を保有する資産家が100人を超え、それ以上の資産家(北朝鮮では“王銭主”)も10人以上いる(2016年12月4日、韓国文化放送の報道)という。銭主の多くはいまや民間銀行の役割を担い、中国企業と組んで、国家事業を請け負うまでになっている。

その象徴が、平壌市中心部の金日成広場からほどちかい大同江(テドンガン)沿いのチャンジョン街から未来科学者街に作られた、40階から50階のタワーマンションだ。

“銭主”と中国資本の共同事業で、今年の4月13日、金正恩氏が鼻高々に竣工式のテープカットを行った「黎明通り」の超高層マンションにも、銭主の資本が投入されている。ピョンヤン市内などの新築高級マンションの3分の2は銭主と中国資本の所有と言われる。

独裁体制の陰で、生きるために自発的市場が作られた

ほかにも銭主は、中国資本を誘致して鉱山の経営や、最近では国有デパートを買収、また国営の生産工場を借りて靴工場や裁縫工場も経営している。電気が絶対的に不足しているので、銭主といえども電気の供給を受けるためには、電気を優先的に供給される国営の工場を借りて、生産や事業をする。いわば「首領経済」の一部までもが、銭主たちによって担われている状況だ。

独裁体制の陰で、生きるために
住民の自発的市場が作られた

こうした住民が自発的に作った市場の歴史は1950年代後半にさかのぼる。
53年に朝鮮戦争が終わった直後から、軍事力の優位を追求し続けた北朝鮮は、軍備増強のため重工業にすべてのエネルギーと財源を投入した。結果、生活必需品が絶対的に不足したため、58年から工場や企業所では、副業として“人民消費品”を生産して横流しすることが始まった。そこに消費品を手に入れようとする農民らが野菜や家畜を持ち出して“農民市場”をつくった。

80年代半ばには、韓国との体制競争で優越性を誇示するため、金正日総書記が大型建造物の建設や、50億ドル近くを費やした世界青年学生祭典を開催するなど、「体制宣伝事業」に大金を費やしたことから、地方都市の住民に対する配給量は次第に減らされた。北部地方を中心に深刻な食糧難、消費財不足になり、逆に農民市場は存在感を増す。食糧や工産品はもとより密輸品も取引されるようになり、非合法の空間として拡大。次第になんでも手に入る“総合市場”に性格を変えるのである。

こうした沿革や事情があるから、当局にとっても、「住民経済」は扱いが難しいものだったようだ。

金正日時代の2002年には、「経済管理改善措置」を打ち出し、規制を緩和した(7・1経済管理改善措置)。農民には、個人耕作地を認めて、生産した農産物のうち、国に売らないといけない部分(約70%)以外の、超過部分を総合市場で売れるようにした。

工業部門でも、軍事産業や基幹産業を除いた分野は、独立採算制を導入し、国が課した生産任務を達成した残りの余剰分は、自由に市場で売れるようになった。また価格についても、市場価格が導入されるようになり、例えば米の値段は闇市場と公定価格には数十倍の差があったのが、供給業者に一定の自由価格が認められた。
だが、総合市場や「住民経済」の規模拡大とともに、洋服やDVDなどの資本主義諸国の消費財や、海外のさまざまな情報が入るようになると、「体制の脅威」になるとの判断から、2006年には一転して市場経済の拡大に歯止めをかけるようになった。

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