「犠牲は避けられない」

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フランス革命による死者は虐殺によるものが20万人、裁判無しの処刑・獄中死が4万人、その他恐怖政治全体の犠牲者数は60~80 万人といわれています。

人の生命が奪われているのに、それがいったい何人だったのかさえも、はっきりしたことはわからない。
どれだけ人の生命が軽く扱われたかということです。

革命とは異なりますが、米国の南北戦争による死者は、南北両軍合わせて90万人以上といわれています。
さらにアメリカ開拓史におけるアメリカ・インデアンは、もともと800万あった人口が、いまや35万人です。

南アメリカにあったインディオは、いったいどれだけの人口があったか、いまではまったくわかりません。
わかりませんが、いまではインディオの純血種さえいないとされています。

どれだけの虐殺が行われたか、ということです。

ロシア革命では、社会主義政権の誕生とその保持のために、6600万人もの死者があったといわれています。
毛沢東は、大躍進で6500万人、その他共産主義革命によって、

ベトナム   100万人
北朝鮮    200万人
カンボジア  200万人
東欧     100万人
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ   170万人
アフガニスタン150万人

都合、1億4000万人を、わずか数十年の間に殺しました。
毛沢東は、存命中は人類の英雄などと讃えられましたが、その英雄の実像は、要するにこういうことです。

ところが我が国では、明治維新がありましたが、幕末から戊辰戦争までの死者は、およそ8000人です。

天下分け目と言われた関が原の戦いでも、死者はおよそ8000人、桁が違うのです。

それでも我が国では、これらを大乱と呼び、悲惨な過去と考えます。
ところが実際には、たとえば15世紀に「寛正の大飢饉」とよばれた事件があったのですが、これは近畿地方を襲った大暴風雨と、これによる洪水に加えて、大地震が起こり、さらに日照りが重なることで起きた飢饉で、このときの洛中の死者は8万2000人にのぼります。

つまり古来我が国では、戦乱よりも、天然災害や、それによる農作物の収穫減少による飢饉や餓死の方が、現実にはるかに大きな問題だったのです。

それだけに日本人にとっては、人が起こす争いよりも、天災という、いわば人知を超えた神による試練の方が、はるかに大きな問題であったわけで、だからこそ平素からの人の和が大切なものとされてきたという歴史を持ちます。

むしろ、天然の災害がある程度長期間ないと、人同士が争いを始める。
いわゆる政局をめぐって、庶民の目から見たら不要な争いがはじまる。
すると毎度のごとく、大きな災害が起きて、争いをしていた当事者たちが力を失い、新たな政治勢力が誕生する、といった歴史をたどってきたのが、日本です。

先の大戦のとき、大陸で通州事件や済南事件など、日本人の多くの命が奪われ、また、資源エネルギーが石炭から石油に代わっているという現実があり、その石油供給を日本は米国に頼っていたという現実がありながら、日本国内では、民政党と政友会という二大政党が、骨肉をはむ露骨な政局争いをしていました。

三陸津波が起き、多くの命が奪われ、農地がやられて多くの農家が、娘を売りにださなければならないという事態が現実に起きていながら、与党政府が復興予算を組めば、野党がそれに猛反対をして、予算を人質に内閣の解散を迫るということが、繰り返されていました。

この結果日本はついに大東亜戦争へと突入し、国土を焦土にして、軍人・民間人合わせて262万人という、日本史上最大の人的損害による死者を出し、結果として政体の権力構造が大きく変貌しています。
そして、そのすぐ前には、関東大震災も経験しているし、三陸沖地震も経験しているのです。

よく言われることですが、醜い政争を繰り返し、本来「おほみたから」である民の生活の安全と安定と豊かさを(いささかきつい言い方ですが)ほったらかしにして政争の愚に明け暮れた日本人に対する、関東大震災、三陸沖地震は神々の警鐘であり、そして大東亜の戦いの敗戦は、神々の怒りであったのかもしれません。

そもそも何のために政治があるのかといえば、天皇の「おほみたから」である国土の豊かな自然と、人々の豊かさと繁栄と安全と安心のためにこそ、人の行う政治の道はあるわけです。
だからこそ日本は、聖徳太子の御世から、人々の和と、大事の意思決定についてはその利害関係人全部との協調を大切にして、社会の運営が図られてきたのが日本です。

実際、戦乱を含む人災には、人の力で避けることができことです。
そうであれば、神々云々以前の問題として、国民が一丸となって二度と悲惨を繰り返さないようにしていくことが大切で、それは「ただ争えば良い」という、政局云々の問題では決してないし、気に入らない相手は抹殺する、処刑するといった、大陸にありがちなものであってはならないものです。

そうであるにも関わらず、なぜ人々の安全、安心、豊かさより、政局や政争が優先されるのでしょうか。
ひとことでいえば、これは特定の利権者や既得権益者の傲慢です。
その傲慢が、日本人としての共通の土俵を失い、これに他国からの干渉が加わると、必ず乱となります。

だからこそ、1400年前に書かれた十七条憲法は、「承詔必謹」みことのりを受けては必ずつつしめとしているし、「絶餮棄欲」むさぼりを絶ち欲を棄てよ「懲悪勧善」悪をこらしめ善を勧めよと述べているし、「国非二君」国に二君なしと明確に述べています。

人災である乱を避けるためには、特定の利権者や既得権益者が傲慢に陥らず、日本人としての共通の土俵を保ち、他国の干渉よりも、天皇を中心とした我が国の国体をしっかりと保持することです。

そのための承詔必謹、絶餮棄欲、懲悪勧善、国非二君という十七条憲法の言葉なのです。

私たち日本人は、こうした古来からの日本の歴史にある国家への思いと、日本の国柄について、共通の認識を完全に共有すべきだと思います。
それこそが、日本が日本に立ち返る、最良にして最短の道といえるからです。

いまの日本の政局は、大正時代後半から昭和初期の日本の状況とよく似ています。

当時の日本人が、大陸で虐殺されたりした事件があったのと同様、世界中で日本人が貶められたり、ありもしない日本に依る竹島の占拠や日本海名称の改ざん、南京虐殺、重慶虐殺、731部隊事件などがでっちあげられ、復讐と称して日本人の若い女性が特定の国の人によって集団陵辱されるといった悲惨な事件があとをたちません。

にも関わらず、国内では政局だけが問題視され、国会議員は与野党の対立ばかりが先行し、国民の間にまで、その対立が広がっています。

そしてただでさえ天然災害の豊富な日本において、政治が混乱をすれば、その先にあるのは、必ず外患であり、その都度、多くの日本人の犠牲者が出る事態が起きていたことは、日本の歴史が証明していることです。

私たちはいま、人智を結集すべきとなのに、それができない。
できなければ、大きな犠牲は避けられない。
そのことを、与野党の対立を越えて、私たちはいま考えなければならないときが来ているように思います。

それができなければ、犠牲が生まれます。
それは、北朝鮮のミサイルかもしれないし、関東東海の大震災かもしれないし、関東から東海を襲う巨大津波かもしれません。
あるいは、急激な温暖化による海面上昇かもしれない。

たった5メートル海面が上昇しただけで、関東は水没し、日本の政治も経済も崩壊するのです。

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