「2002年の平壌宣言が履行されていれば」

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「歴史にifはない」と歴史学者は言うが、そうならば歴史は単に過去の出来事を調べ、覚えるだけで、将来の見通しや戒めにあまり役立たなくなるだろう。「あのときもしこうしておれば」と考えることは次の失敗を防ぎ、成功への道標となりうる。

北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、重大な脅威となってきた現状を見れば「もし平壌宣言が履行されていれば」と考えざるをえない。

2002年9月17日、小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日委員長が調印した日朝平壌宣言の眼目は「双方は朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。・・・朝鮮民主主義人民共和国側はこの精神に従い、ミサイル発射のモラトリアム(延期)を2003年以降もさらに延長する意向を表明した」とする点にあった。

「核問題に関連するすべての国際的合意」が主として「核不拡散条約」(NPT)および「国際原子力機関」(IAEA)への報告、検証などを義務化した「保護措置協定」であることは論をまたない。

北朝鮮はソ連から実験炉の提供を受ける条件として、1974年にIAEAの査察を受け入れることに合意していた。85年にはソ連から軽水炉4基を輸入する条件としてNPTにも加盟した。

北朝鮮は90年にIAEAに「国産の5メガワットの原子炉から抜き出した少数の燃料棒から、実験用処理施設でプルトニウム90グラムを抽出した」と自主申告した。IAEAは92年に3度の査察を行ったが、プルトニウムの抽出量は90グラムより相当多いようだ、との疑いが出た。このためIAEAは93年2月に特別査察を要求、北朝鮮はこれに対し3月12日にNPT脱退を通告、3ヶ月の予告期間が切れる寸前の6月11日、米朝高官会談でNPT脱退を保留した。

北朝鮮はNPTには残留したものの、査察には非協力的で、IAEAは翌94年3月15日に査察官を引き揚げ、国連安保理に提訴することを決めた。

北朝鮮のNPTに対する姿勢は一貫性を欠くが、平壌宣言に調印した2002年時点ではNPTに参加していたから、核についての「全ての国際的合意を遵守する」ことは、核兵器開発を行わず、査察を受けることを意味した。 

世界が称えた日本外交の勝利

北朝鮮の核開発は1990年代初期から懸念されており、米国は1994年に原子炉や燃料棒の再処理施設を航空攻撃する計画を立てたほどだったが、それは朝鮮戦争の再発を招くため諦めた。この大問題を平壌宣言で日本がほぼ独力で解決したことは世界を驚嘆させ、各国のメディアは「信じがたいほどの北朝鮮の譲歩」などの見出しで日本外交の成功をたたえた。

平壌宣言の5日後から、コペンハーゲンで開かれた「アジア欧州会合」(ASEM)の首脳会合(東南アジア7カ国、EU15カ国首脳が出席)に出席した小泉首相は英雄扱いされて訪朝結果を紹介。「平壌での日朝首脳会談を高く評価する」との「ASEMコペンハーゲン政治声明」が出された。

翌年6月2日、エビアン(フランス)でのG8首脳会合でも列国首脳が小泉氏の話を聞きたがり、「北朝鮮問題には進展があり、小泉総理の貢献に感謝する」との発言が次々に出た。

1990年にソ連、92年に中国が韓国と国交を樹立、北朝鮮に対してソ連は援助を打ち切り、中国も「生かさず殺さず」程度の援助しかしなくなったため、孤立した北朝鮮は極端な苦境に陥っていた。韓国は90年のドイツ統一後の経済・財政への負担を研究し、韓国がそれに耐えられないことを知って、北朝鮮の崩壊を防ぐため援助に乗り出し、他国にも協力を求めていた。

日本はその状況に乗じて、北朝鮮との国交の樹立、無償の経済協力、低利融資などと交換に、核問題に関する「すべての国際的合意の遵守」を受諾させることに成功した。当時の北朝鮮はまだ核兵器開発の初期段階だったから、それを凍結させることは今日核廃棄を求めるよりは容易だった。

平壌宣言があっても、北朝鮮はロシアと中国が韓国側に付き、武器を購入できず、軍用燃料の供給も急減して通常戦力が衰弱していたから、密かに核開発を進める可能性はあった。韓国も1972年から密かに核兵器開発計画を進めたが、米国に察知され76年に取り止めたことがあり、同様なことが起きないか、と当時私も考えた。

だが北朝鮮がNPTに完全に戻り、IAEAの査察を認めることになれば、こっそり核開発を続けても小規模の研究にならざるをえず、まして核実験はやれなかったろう。

日本は北朝鮮を援助漬けにして、もし核兵器開発の動きがあれば援助を停める手綱を握り、平壌に大使館を開いて防衛駐在官や警察庁、原子力技術者などのアタッシェ(付属大使館員)を送り込み、買収等の手段で情報源を確保することもある程度は可能だったろう。

拉致被害者の情報をつかみ、帰還を求めるためにも、大使館を置き、援助漬けにした方が経済制裁よりも有効、と私は考えていた。

だが、日本では、このときはじめて拉致問題を知った大衆の憤慨、被害者への同情が激しく、平壌宣言による国交の樹立、経済協力、核開発の停止、は履行できなくなった。

当時、米国の在京大使館員、特派員、情報機関とつながる研究所員などアメリカ人が次々と私を訪れ「拉致問題で騒ぐ人々の真の意図は何か」と異口同音に聞いた。他の人々のところにも来たようだ。「単に怒りと同情の感情だけで特別の意図などない」と言っても納得しない。話すうちに相手側の仮説が読めた。

米国では、日本の右派は核武装を狙っており、北朝鮮が核兵器を持てば、それを口実にNPT第10条「異常な事態が自国の至高の利益を危うくしている場合には脱退する権利を有する」を使ってNPTから離脱しようとしている。だが、平壌宣言で北朝鮮が核開発をやめれば、その目論見は崩れるから、平壌宣言を無効にするため、拉致問題を騒ぎ立てているのではーーとの猜疑を抱いて、その証拠集めに回っていたのだ。

この米国情報コミュニティの見通しは結果としてはほぼ当たっていて、拉致問題に日本人の関心が集中したため、平壌宣言は実行されなかった。北朝鮮は核・ミサイル開発を進め、日本の至高の利益は危うくなった。アメリカ人から見れば、日本は独力で北朝鮮の核開発をやめさせる成果をあげたのに、それを無にする行動を取りつつあったから「何か裏がある」と疑うのも無理はなかった。

米国人には日本核武装に対する偏執的警戒心が潜在し、その心理的回路ができているから、少しのことでも警報ベルが鳴る。米国情報機関員と思しき研究者は当時の安倍晋三官房副長官が拉致問題の指導者か、と見てその発言まで調べていた。

安倍官房副長官、「被害者戻さず」に固執

当時、拉致被害者のうち2組の夫妻は日本に移住することに不安を感じる子供を北朝鮮に残して一時日本に帰国し、日本の状況を見て北朝鮮に戻り、子供に説明して共に帰還することになっていた。

だが安倍官房副長官は「北朝鮮に戻せば2度と日本に帰れない」と2夫妻を日本に留めることを主張した。福田康夫官房長官は、それでは平壌宣言の履行は第一歩から躓く、と見て安倍氏を説得しようとしたが安倍氏は応じず、激論になったと言う。海外で北朝鮮核問題解決の功労者と見られていた小泉首相も国民感情を重視して、あいまいな態度に終始した。

「核問題は数十万人の生命、国家の存亡に関する問題。拉致問題とは比較になりません」と私に語る自民党議員もいたが、当時の怒涛のような「拉致問題最優先」の世論には抗せず、ブルーのバッジを付けていた。テレビ局での打ち合わせでも司会者に「私も事の軽重は分かっているが、今日はそれを仰言らないで戴きたい」と懇願される有様で、平壌宣言が北朝鮮の核開発阻止を定めた協定であることも大衆には伝わらなかった。

今日も外務省は「平壌宣言は破棄されていない」との建前を語るが、すでに核弾頭も弾道ミサイルも実戦配備の状況になっているのだから、まるで自分と婚約した女性が他の人の子を出産したのに「婚約はなお有効」と言うに似たこっけいな論だ。

いまからでも平壌宣言で定めた国交樹立や経済協力はできないわけではないが、それにより眼目だった核兵器の廃棄を実現することはまず不可能だろう。全く勿体無いことをしたものだ。

今後も似たことが起こる可能性はある。例えば海外で日本人が不当に拘束されたり、戦乱に巻き込まれた場合には、留守家族や同僚、派遣した企業などから「自衛隊を救出に出動させろ」との声が高まり、政府もそれに押されて現地政府の承認を得られない混乱した状況の中、空挺部隊を乗せた輸送機を強行着陸させ、在留邦人を救出するなどの作戦を実施せざるをえない事態も起こりうる。

一度成功すると後が大変だ。次に同様の事態が起き、距離が遠すぎたり、敵性勢力が強力とか、言語が通じず情報が不足など、前回よりはるかに困難、危険な状況でも「前に自衛隊が出たのに今度はなぜ出ない」「危険だからこそ救出してくれと言っているのだ」など非難が強まり、無理を承知で部隊を出し、それが包囲されて、さらに大部隊を投入、不利な地点で長期戦になる事態も起こりかねない。

「在外邦人の救出は国の責任」と言う人は多いが、もしそうなら日本で外国人、例えば中国人が危難に面した際、中国軍が出動し、日本の空港などを占拠し、同胞を救出することも正当と認めざるをえない。国家の責任は主権の及ぶ範囲内で自国民、他国民を保護することにあり、海外に渡航するのは他国の主権に身をゆだねる行為であることは、旅券に「保護扶助を与えるよう関係の諸官に要請する」と書かれていることが示している。

「米国は在外自国民を必ず武力で守る」と思う人も多いが、米国務省は出国する国民に配布する注意書の中で「ヘリコプターで救出されたり、武装した護衛兵付きの米軍、米政府の輸送手段で脱出する、との期待は現実よりはハリウッドの台本です」と述べている。

国際関係は冷徹な利害の打算の場である一方、民主制の国では国民感情を軽視できないのは当然だが、単にそれに乗っていては政治家、官僚もメディアも責任を果たせないことを、平壌宣言から15年たっても拉致問題が解決せず、日本が核ミサイルの脅威にさらされるに至った現状が示している。

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