「さんざん破られている日本国憲法」

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90%以上の憲法学者が「自衛隊は憲法違反だ」と言っているらしいのです。馬鹿ではないでしょうか。何故、憲法などというものにこだわるのでしょう。

憲法があったならば臨機応変な行動ができません。「あれがいけない」「これもいけない」と言っていたら人間は自由な行動ができません。周りにいる外国は、いつ敵になるかわかりません。いつ襲われるかわかりません。その時には自由に変化しなければいけません。そうしないと殺されたり奴隷になったり大変なことになります。

「憲法でこの問題をどのように解決したらよいだろうか」と思ってもそんなことは憲法には書いてありません。自衛隊も憲法には書いてありません。だからやってもよいのです。何が憲法違反なのでしょう。憲法違反しているのは、この連中の頭の中身です。

僕が書いている素人の憲法論が非常に大事です。学者にやらせたらロクなものができません。「文章の整合性はあっているか」など、枝葉末節なことばかりに気を取られてしまうのです。憲法など10条くらいあればよいのです。

憲法では「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」となっています。実際は70万所帯の多くの外国人に生活保護を受けさせています。

それから「第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」という規定があります。「国民固有の権利」である公務員の職に、どんどん外国人を入れています。これも憲法を破っています。

憲法には書いてありませんが、大事な報道機関に外国人が入り込んでいます。フジテレビは、ほとんどが外国人(在日朝鮮人)です。日本の報道機関に外国人が入ってきたら、ロクなことにならないとすぐにわかります。何故、こんなことを規制しないのでしょう。

学校の教員にも在日朝鮮人が大勢います。小学校の義務教育の学校の先生に在日朝鮮人がたっぷりと入っています。これも憲法違反です。

もうすでにあらゆるところで憲法は破られているのに、憲法に「自衛隊の一文を明文化しよう」など、安倍さんの言っていることはチャンチャラおかしいのです。日本国憲法は、もうここまで破られているのです。後戻りもできないし、明文化などしなくてよいのです。

すると自民党は今まで憲法違反をやってきたのでしょうか? 自衛隊を憲法違反だと思ってつくってきたのでしょうか? それはおかしいのです。憲法違反だと思ってこなかったのですから、今さら憲法に自衛隊を明文化する必要はありません。

自民党は今まで違法をやってきたのでしょうか? そのようなことになってしまいますから、そんなものはハッキリさせる必要はありません。現状でよいのです。根本的に憲法を変えなければいけないのならば、「現状の憲法を守れ」と言っていればよいのです。

現状の憲法で充分ことは足ります。憲法など解釈次第です。その点、昔の人は偉大でした。聖徳太子の十七条の憲法は、十七条しかありません。それは単純な道徳を説いたものです。

法律は面白いもので、「人を殺してはいけない」とは書いてありません。いくら読んでも「人を殺してはいけない」とは書いてありません。しかし、人を殺してよいというわけではありません。「人を殺せば懲役何年」と書いてあります。或は死刑です。捕まらなければそれでよいのです。

「人を殺してはいけない」「親孝行しろ」という問題は、人間の内面の問題です。内面に与える憲法などありません。憲法は形としてつくっているのですから、それをよく理解しておく必要があります。憲法を破ったら、破ったままでよいのです。契約は破るためのものなのです。

北朝鮮や韓国は、どんな契約をしてもムダです。絶対に契約は守られません。彼らはそのように思っています。「契約は破るためにあるのだ」と思っているので、「自分たちを縛るものだ」などと考えていません。

契約をするから「契約を破る」という概念が生まれます。契約しなければ何をやってもよいのです。朝鮮人はなぜ契約をするのかというと、やがて破るために契約をするのです。ハーグ陸戦条約もみんな破っています。「一般人を殺してはいけない」と言っています。でも、みんな一般人や子供まで殺しています。どこの国でもやっています。

ハーグ陸戦条約を破ってアメリカは、日本の武器を持たない無顧の市民を原爆で皆殺しにしました。これは国際法違反ですが、みんなシラッとした面をして何もなかったような顔をしているのです。

世界の人々にとって契約は破るために存在するのです。もう日本国憲法は破れているのです。もうそのままでよいという面もあります。安倍さんは何を改正するのでしょう。改正するものなど何もありません。改正しなくてよいのです。

そのような論点が抜けています。憲法学者は枝葉末節なことを言っていますが、何を変えるのでしょう。今でも充分やっていけるのですから、変える必要はありません。今でも原爆は持てるのです。

岸信介は「今の憲法でも原爆は持てます」と言っていました。別に外国にことわっておく必要もないし、憲法に入れる必要もないのです。現行憲法で何だってできるのです。おかしなところは破ればよいのです。(笑)すごい考えでしょう。そのようなことを前提として物事を考えなさい。

一番大事な問題は主権の問題です。これは破るも破らないもありません。憲法は主権の問題です。誰が天皇にあった主権を国民に移したのでしょうか。誰に断って主権を移したのでしょう。天皇陛下に「これから陛下の主権がなくなります。国民に主権が移ります」と断ったのでしょうか? それはGHQに押し付けられたのです。

これを直すならば意味があります。主権者は天皇です。主権は天皇にしかないのです。だから象徴の役割もやっていただいているのです。国家を代表して主権者がやるのです。だから価値があるのです。天皇はこのことでお悩みになったのに違いありません。

あちこち頭を下げて「私が象徴天皇です。ご苦労様です」と言っていたら、いい加減、疲れ果ててしまいます。どこへ行っても象徴です。「震災大変ですね」「先の大戦で大変ですね」とペコペコ頭を下げて象徴の役割をしますが、何の権限もありません。天皇陛下は「私は一体何をやっているのだろうか?」と考えられたのに違いありません。

主権者ならば明解です。「私は主権者としてこのような行動を行う」というならば、やるたびに元気になりますが、何の主権もありません。これでは嫌になってしまいます。会社でも代表権がない会長もなきにしもあらずです。同じことです。日本国としては、天皇に主権を返すのです。日本国民としては国民権を与えるのです。

主権の分権です。それを変えるならば憲法改正は意味があります。そこから初めて見直せば、憲法は大変意義のあるものになってきますが、象徴天皇も変えないで、憲法第九条も変えないで、何を変えようとしているのでしょう。

今のままでも原爆は持てるし、何でもできます。このようなことを政治家は考えなさい。「馬鹿ではないか!」と言いたくなります。

徒然日記

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