「どうなることやら?」

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北朝鮮情勢が、緊迫の度を増してきました。
シリアへのミサイル攻撃をしたように、米国は北朝鮮への攻撃を行うのか。

そのとき日本は・・・という点が、多くの皆様の関心事になっていようかと思います。

それは「今日だ」という説もあるようです。
私にはなんともお答えしかねますが、半島有事は「ある」という前提で、物心両面の準備は必要だと申し上げたいと思います。

北朝鮮のミサイルに、サリンが搭載されていた場合、迎撃してもガスはまかれます。

そのミサイルの飛来地点が、東京や大阪、福岡等であった場合、日本が被る被害は甚大なものとなります。被害を防ぐ手立ては、ひとつだけです。
ミサイルを「発射前に破壊する」ことです。これが先制的防衛です。
野党の方々は、これさえも否定するようですが、そういう方には、死んでから反対していただきたいと思います。

なぜなら問題は、これだけにおさまらないからです。

仮にミサイルを発射前に全機破壊したとしても、北朝鮮は軍を韓国に進めることはおおいに考えられるのです。そもそも朝鮮半島は、南北の戦争は、これまで単に休戦していただけで、そもそも戦争継続中なのです。
軍事的侵攻は、いつにても起こりうるのです。

北朝鮮の100万の陸軍が韓国への侵攻を開始した場合、韓国は瞬く間に壊滅的被害を蒙ります。

このような事態を迎えた時、韓国では日本を攻めるように教育が施されているのだそうです。北から攻撃を受けたら、それは日本の「せい」だから、日本を攻めるというのです。

韓国国内においても、有事対策のために、移動制限が通達されるのだそうです。

この通達では、在韓米国民の移動の制限はありませんが、在韓日本人は移動禁止となります。

在韓日本人が抵抗すれば拘束、あるいは射殺して良いとなっており、先ごろ駐韓大使が韓国に急きょ戻ったのも、これへの対策のための有事に際しての邦人保護を目的としてのことなのだそうです。

その通達が事実かどうかは、私にはわかりかねますが、韓国は反日のための「対抗国家」です。

日本に対しての「対抗国家」ですから、日本に対しては何をしても良く、それが韓国における愛国行動になります。
「対抗国家」というのはそういうものです。
「そんな馬鹿な」と思われるかもしれませんが、「対抗国家」というのはそういうものです。

終戦直後には、事実、そうやって日本人の多くが半島で殺害されましたし、先の朝鮮戦争の際には、邦人が多数、韓国によって拿捕され、拷問を受け、その多くが死亡しています。

また戦後、邦人の在韓資産はすべて奪われています。

要するに、北から攻められたら、南の日本を攻撃して日本人を抹殺するというのが、韓国的愛国になります。

先の朝鮮戦争では、怒涛のような北朝鮮の韓国への進撃に対して、当時の韓国政府は、韓国民を片端から射殺して、南へ南へと逃げました。
このとき多数の難民が日本に押し寄せ、いまの在日問題を起こしています。

なにせ、「池に落ちた犬は棒で叩け」という国なのです。

「対抗国家」というのは、それ以前の統治者や統治方法への「対抗」のために作られた国家のことをいいます。戦後の日本は、戦前の日本に対する「対抗国家」です。ですから、戦前に是とされたものは、すべてが「悪」とされます。

このことに際して、実際にはどうだったのか、真実はどうなのかは、一切考慮されません。

戦前の日本の軍人は、これはいまの自衛隊もそのDNAは同じで、ひとりひとりが立派な武人であり、被害資本大震災や阪神淡路大震災のときにも、日本の自衛隊がいかに勇敢で立派な人達であるかが、世界に向けて証明されていますし、戦前の日本の軍人が、いかに立派な人たちであったかは、随所にその功績が残っています。

ところが、戦後の日本は、戦前の日本への「対抗国家」であるがゆえに、戦前の軍人といえば、すべてが「悪」と規定されます。
特攻攻撃さえも、テロ呼ばわりされるし、沖縄県民を護るために散華された軍人も、沖縄への侵略者扱いです。
誰がどう読んでも内容の立派な教育勅語でさえ、まるでオウム真理教の教義のような扱いです。

つまり「対抗国家」においては、真実はどうでも良いのです。
昔は悪かった。それを改善したのがいまの国家である。従って過去はすべて悪い、という極めて短絡的な、実に日本人らしからぬ一方的な決めつけ。

それが「対抗国家」の、ある種の宿命のようなものです。

ですから、日本人の中にも、たとえば教育勅語は素晴らしいものである、という方は大勢おいでになります。

私もそのひとりです。

けれど、社会全体としては、教育勅語は国民を死に至らしめる悪魔の経典という扱いになります。

そんなことを本気で言っているのは、ごく一握りの馬鹿者にすぎないと言っても、それが社会正義であり、教育がそのようになっている以上、社会の中核をなし、社会に影響力のある人たちが、悪魔の経典説なのですから、国家的思考としては、そのような扱いになってしまいます。

このことは、いくら総理が、過去の日本に肯定的であったとしても、肯定的であろうとすること自体が、社会に対する挑戦と受け止められてしまうのですから仕方ありません。

「対抗国家」というのは、それほどまでに酷いものなのですが、それでも日本国内はまだ可愛い方です。

お隣の支那においては、王朝の交代は、常に対抗国家としての統治者の交代でしたが、その都度、前の王朝に関連した人は、大量に殺戮されています。

支那では、王朝交代の内戦の都度、人口が大幅に減少し、前政権に結びつくあらゆるものが破壊され、殺され、奪いつくされています。

戦後においても、東条英機首相が土下座する像が作られ、前を通る人は、通る都度、その像にツバを履きかけなければならないし、親日政権であった汪兆銘は、墓まで暴かれて遺体を陵辱されています。
なぜなら戦後の中共政権は、戦前の日本統治に対する「対抗国家」だからです。

残念なことに、中共政権、南北朝鮮政権、戦後の日本政権のいずれもが、日本に対する対抗国家です。
違いがあるのは、戦後の日本政権だけが、「戦前の日本への」という枕詞がついているだけで、その余は、戦前戦後を問わず、日本に対する「対抗国家」です。

これら「対抗国家」においては、反日であることが、愛国者の証になります。

本来、愛国というのなら、いかにして自国が繁栄し、皆が安全に安心して暮らすことができるようにしていくかが大事となるはずなのですが、「対抗国家」では、そうはなりません。

どこまでも反日であることだけが、愛国であり、祖国の護りとなります。

ですからたとえば韓国では、北朝鮮に攻め込まれたら、北朝鮮と戦わなければならない、という思考は働きません。

彼らは、北朝鮮に攻め込まれたら、在韓日本人を殺し、更に南下して日本を強襲して日本人を殺害して日本の富を奪うことが、彼らにとっての祖国愛であり、正義です。

「対抗国家」とはそういうものです。

いまの沖縄左翼の思考も同じです。
沖縄は琉球国であったけれど、日本軍が勝手に侵略してきたから、米軍とともに戦って勝利したのだから、沖縄が戦後に日本の支配下に入っているのはおかしい、となります。

とんでもない思考ですけれど、その思考が日本国政府によって後押しされているのは、戦後の日本が戦前の日本に対する「対抗国家」であるからです。

朝鮮半島有事の場合、多くの韓国人難民が日本に押し寄せることが予想されていますが、実はそれだけではなくて、正規の軍が日本に上陸してくる可能性を否定できません。

およそ、大陸や半島においては、軍と暴力団と暴徒は同じものなのです。
日本人の感覚での、「立派な軍人さん」というは日本にしか通用しない通念でしかありません。

諸外国では、「軍と暴力団と暴徒は同じもの」が常識です。

もちろん、いくら韓国が日本に対する「対抗国家」であったとしても、個人のレベルでは、不条理は不条理とわきまえる、まともな人が圧倒的多数であることは事実です。

けれど、そのような「まっとうな人たち」が、武力の前に無力であることもまた事実です。

私たち日本人にとっては、「正義」とは人道であり、慈愛であり、合法的であることです。

けれど、「対抗主義者」・・「対抗国家」を是とする人たちにあえて名前を付けるとすればこうなります・・・の人たちにとっては、悪と決めつけたものへの対抗こそが正義です。
そしてそれを実行する人たちは、武装した暴徒たちです。

古事記では、このような不条理への対抗策として、2つの対策が書かれています。

ひとつは、「しっぺ返し」です。

このことは、海幸彦山幸彦の物語に出てきます。
日頃から十分な備えをし、相手がアコギに出てきたら、間髪をいれずに制裁を加える。

これは、シリアの毒ガス散布に対して、トランプ氏がいきなりミサイル攻撃を加えたのと同じです。

そして相手が協調のカードを出してきたら、こちらも協調する。
この繰り返しの中で、相手に無駄な抵抗をさせないように調教していくというものです。

日本人に手を出したら、すかさずそのあたり一体にミサイルを撃ち込む。
上陸してきた韓国人がひとりでも悪さをしたら、間髪をいれずに、そのあたり一帯の上陸者を全員拘束して半島に送り返す。
そうした果断が、対外政策では必要です。

古事記が教えるもうひとつは、戦うときには、仲間とともに戦えというものです。
アコギな連中には、必ず迷惑をしている人たちがいるものです。
半島に関していえば、東亜の諸国はみんな迷惑をしています。
そうした諸国と積極的に連合して戦い、相手を封じ込めるというものです。

平和も人道も、積極的な武力行使がなければ実は、実現できないものです。戦後の日本人は、そんなあたりまえのことすら、忘れてしまっている観があります。しっかりとした日本を取り戻す。

そのために必要な答えが、実は、私たちの先祖が残してくれた神話の中にあります。

私たち日本人は、戦後のレジウムの中で、いわば手足をがんじがらめにされているような状況にあります。

半島有事は、私たち日本人に極めて厳しい状況を突きつけることになると思います。

けれど、有事は、超法規的措置を可能にします。
日本が復活する、これはひとつのチャンスです。

ねずさん

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