「憲法問題を考える」

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昭和21年、天皇の名によって新日本国憲法が発布されました。どう考えてもこれはおかしいのです。

日本が主権を回復するのは、昭和26年のサンフランシスコ講和です。それまで日本に主権はありません。

主権は誰がもっていたのかというと占領軍のGHQがもっていました。戦後日本は、GHQに占領されていたのです。占領軍が主権を持っていて、我が国には主権はありません。主権がない国が憲法を発布するなどできません。憲法は主権の発動ですから、主権を表したものです。

「我々はこのような主権を主張する。このような憲法の下、国家を運営していく」というのが、主権の発動です。昭和21年では主権の発動ができないのです。

どのようにして主権を発動したのでしょう。絶対にあり得ません。これをいい加減にしてはいけません。主権の発動ができない立場なのに、日本人はGHQの押し付けたアメリカの原文を日本文に訳し、日本側は少しは文句を言って、文句を慎重に考えたのです。すると、GHQも日本語を勉強していて、「この文章の訳はこうでなければダメだ」と日本語で言ってくるのです。そのような論争がちょっとあっただけで、現実的には占領基本法です。

GHQは、占領した現地の人々に占領基本法を発行したのです。「これをよく守るように」というのが占領基本法です。日本国憲法は、どのような形でも占領基本法です。主権は天皇にあったのです。今、自民党が言う「憲法改正」という言葉が如何に欺瞞に満ちた言葉なのかわかります。

主権がない国に押し付けられた日本国憲法です。自民党は「これを改正する」と言いますが、これはどのような発想なのでしょう。おかしいのです。まず、日本国憲法は廃止しです。新しく憲法をつくるならば、憲法を作ってよいのです。それ以外には絶対にあり得ません。

元が幽霊なのに、幽霊の法律改正手続きに従って、憲法を作るなどあり得ません。これは「元」の問題です。幽霊が幽霊を生んで、どこまでいっても幽霊になってしまいます。だから、これはあり得ません。

一旦、どうしてもここで閉じて、「日本国憲法は終わります」と言わなければいけません。そのチャンスが過去に1回だけあったのです。それはサンフランシスコ講和条約の昭和26年です。初めて日本が独立国に名文ともになったときです。

その時に、「我々は新しい憲法を作ります」と言えばよかったのです。それを怠慢にもやらなかったのです。よいチャンスだったのです。そうすれば、日本はGHQの占領から解放されたのです。「これから憲法を作ります」と言えばよかったのです。

その時に、明治憲法と新しく作る憲法の関係性を考えて作っていけばよかったのです。「昭和憲法は、明治憲法の改正手続きに従って改正されたものです。だから正当です。あれは押し付けられた憲法ではない」と御用学者の大学教授は、そのようなことをぬかします。

いずれにしてもダメなのです。これも切り崩すのは簡単です。大事なことは、日本には主権がなかったのです。主権がなかった国に、何が憲法なのでしょう。一言で終わりです。「憲法の手続き」など、そんなことはどうでもよいのです。主権のない国が憲法は作れません。

だから憲法はGHQにより与えられたものなのです。そんなものは、主権が回復したら辞めるべきです。では、憲法を辞めて明治憲法に帰るのでしょうか? 明治憲法は、かったるいから新しい憲法を作るのもよいでしょう。そのような性質のものです。

占領基本法には、天下に恥さらしの憲法第9条も入れられてしまったのです。この条文を見てください。

「2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
いかなる敵に攻められても、「日本は交戦権を所持しない」と言うのです。「交戦権を所持しない」と言ったら、国家ではありません。

国家というまとまった単位を持っているのですから、それは交戦権があります。国家でありながら、交戦権がないと言ったら烏合の衆です。国家を守るのは武力です。内外共に武力がなければ国家は守ることができません。

「交戦権を所持しないのですから、敵国が攻めてきたら日本国民は黙って手をあげなさい」ということです。これでは、敵国はやりたい放題です。これに基づいて李承晩が朝鮮半島からやってきたのです。「日本国は敗戦国だから主権がないのだ。だから俺に九州をくれ!」とGHQに言ったのです。

竹島がその象徴です。竹島は韓国に占領されています。日本は交戦権がありませんから、奪い返すことができません。尖閣列島も中国に取られたら奪い返すことはできません。本当にひどい憲法を押し付けられたのです。

「戦争をできる国家に、」という意見もありますが、何しろ国家というものは武力が無いと維持できません。街を歩いても警察官がいるから治安が維持できているのです。警察がいなかったらすぐに愚連隊が出てきてのさばってしまいます。

「おい、お金を置いていけ、コノヤロウ!」と言われたら、怖いから「はい」と言わざを得ません。そうなってしまうのです。
国家も同じです。常にあちこちから暴力団が出てくるのです。その暴力団を出させないように、政府が軍を抑えているのです。軍・警察がいるから、暴力団は出てくることができません。それを放っておけば、黙っていれば山口組の天下です。

2万名近く組員がいるのです。警察署の隣に山口組の大紋入りの事務所をつくったら、「おい、山口組がこれから取り締まるぞ。お前ら税金を持って来い!」と言えば、警察が機能していないとそうなってしまうのです。

怖いからみんな税金を持っていくのです。日本の警察はビクビクしているけれども、話は山口組の方が早いのです。困った人は、山口組に相談に行き警察にいかなくなってしまいます。山口組が出てこれば、その問題は終わりです。裁判もへちまくれもありません。そうなってしまうのです。

国家というものは軍がなければならないのです。軍とは内政を安定させるための軍です。その下部組織として警察があるのです。軍は存在するだけで威厳があるのです。それがないと国家はできません。当たり前です。

憲法第九条には、「国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあります。日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」と書いてあります。何が「平和を愛する諸国民」なのでしょう。ドロボウばかりです。政府だってドロボウです。ドロボウするために徒党を組むのです。ドロボウは一人ではできません。

徒党を組んで天下を取ってしまうのです。これが政治パーティです。「自由民主党」という徒党を組むのです。徒党を組んで「税金は俺たちが使う!」と抑えてくるのです。政治家は、そのようなものにしかすぎません。外国も、日本もそうです。

天皇陛下の存在を除いてはそうなってしまうのです。国民は「国民のための政党だ」と思っていますが、とんでもない奴らです。一皮むいたら「税金は俺の物だ!」という考えです。「俺の物をこっちに配ろうと、あっちに配ろうと、文句を言う奴は豚箱へ入れてしまえ!」という考えです。どこの国でも政治の問題は同じです。

満州国もそうだったのです。誰も治めている奴はいなかったのです。万里の長城の外側は、「化外の地」と言ったのです。シナ人が治めたことのない土地です。万里の長城を超えて、蒙古平原に来るとそこにはシナ人はいないのです。

政府の力が及ばないところには、馬賊(山賊)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するのです。あちこちに馬賊がいたのです。「おい、ババアもらっていくぞ!」と豚も馬もすべてもっていくのです。政府がないと、そこに次の馬賊が来るのです。もう何もないのです。そこへ馬賊が来るのです。「ババア、もらっていくぞ」と言われても、もう何もないのです。すると、「娘がそこにいるだろう、もらっていくぞ!」と、そのように次から次へと十くらいの馬賊が村人を襲ってすべてもっていくのです。

馬賊は政府ではないのですから、何の規則もありません。「ここにしっかりした国を造ってもらいたい」これが満州国です。日本が応じて満州国を造ったのです。軍には秩序がありますが、馬賊には秩序はありません。大きな力で馬賊を脅かしただけです。

国民の「政府」というものの考え方が間違っているのです。政府は良い人でも何でもありません。単なるドロボウです。税金泥棒です。

よい言葉です。昔、自衛隊が「税金泥棒」と言われましたが、とんでもありません。政治家自身が税金泥棒なのです。このようなことを知った上で憲法を作ったらよいと思います。

徒然日記
 

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