「政治家とは」

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宮沢賢治の詩に、『政治家』と題したものがある。書きだしはこうである。

「あっちもこっちも ひとさわぎおこして いっぱい呑みたいやつらばかりだ」

初めて読んだときには、政治家をそんなふうに決め付けていいものかとあまり感心しなかった。だが、このところの学校法人「森友学園」騒動を見ていると、そう言われても仕方があるまいと思う。

なにしろ国権の最高機関である国会は、明けても暮れても森友一色なのである。やれ視察だ証人喚問だと国会議員らがバカ騒ぎを続けているうちに、もっと真剣に議論されるべきだった平成29年度予算がいつの間にか成立した感がある。

もっとも、当の政治家にも現状にあきれている人は少なくないようである。自民党の橋本岳厚生労働副大臣は29日、自身のフェイスブックに、夏目漱石の『草枕』の一節「智に働けば角が立つ」をもじって、次のように記していた。

「問い合わせたら関与となる。配慮はなくても忖度となる。否定したら証明しろだ。とかくに政治の世は住みにくい」

何でもかんでも関与だ忖度だと、あいまいでどうとでも解釈できる言葉でレッテルを貼る。そんな事実は「ない」と反論すると、「ない根拠を示せ」と無理を承知で「悪魔の証明」を強いてくる。そんな国会のあり方をよく表している。

一方、民進党の蓮舫代表は24日、横浜市でのパーティーでこうあいさつした。

「この問題は双方向で確認させていただきたい。一体どこに本当のものがあって、誰が嘘をついているのか。しっかりと明らかにしていかないといけない」

昭和天皇や安倍晋三首相が学園に来たなどと、明らかな虚偽をホームページに載せたり、公言したりしてきた人物と、そんな後ろ暗いところのない人らを同列に並べたいと言っている。

たとえ安倍首相の昭恵夫人を証人喚問したところで、これまで訴えてきたことと同じことを繰り返すだけだろう。それは容易に推測できるのに、果たして何がしたいのか。

事実を解明するといえばもっともらしいが、果たしてどんな事実を求めているのか。芥川龍之介は『事実』と題した箴言で、本質から離れた人々の関心事についてこう述べている。

「彼らの最も知りたいのは愛とは何かと言うことではない。クリストは私生児かどうかと言うことである」

枝葉末節が新たに判明したといって、重箱の隅をつついてまた一騒ぎしたいということか。哲学者の中島義道氏は東洋経済ONLINEへの29日付の寄稿で、与野党双方の姿勢についてこう喝破していた。

「みな真実それ自体には興味がなく、法に触れない限りで、できるだけ自分に有利なようにことを進めたいというゲームを大真面目に遂行している」

「こうしたゲームを遂行することが『正しい』と思い込んでいる」

冒頭紹介した賢治の詩『政治家』は、騒ぎを起こして一杯ひっかけようとする政治家らの末路を、こう描いている。

「けれどもまもなく さういうやつらは ひとりで腐って ひとりで雨に流される」

国民の生命財産の危機も国益も忘れ、言葉尻をとらえて政敵の足を引っ張ることだけしか頭にない政治家にはこの際、腐って雨に流れてもらいたい。冗談ではなくそう思う。

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