「教育勅語」

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教育勅語を否定する馬鹿者達へ

教育勅語を否定する連中の論拠は2つあります。一つは「教育勅語により日本は軍国主義に走って戦争に引きずり込まれた。従って教育勅語を教えるということは、その二の舞になる」という考え方です。

1948年に「教育勅語等排除に関する決議」がなされました。それを森友学園は引っ張り出していることがけしからんというのです。本当にそうなのでしょうか? これも日本人は刷り込まれてしまっているのです。

「教育勅語が日本を戦争に引きずり込んだ」などという考えは、全く間違った考えであり事実ではありません。「教育勅語により立派になってきた日本をなんとか引きずり込んで叩き出してやろうという」世界的な圧力の下で日本は戦争に引きずり込まれたのです。

例えば、真珠湾攻撃をルーズベルト大統領は知っていたのです。この戦争はアメリカによって仕組まれたのです。日本は真珠湾に引きずり込まれてブッ叩かれたのです。

中国大陸の盧溝橋事件では、中華民国の国民軍と日本軍に弾を撃ったのは中国共産党の八路軍だと今はバレています。「やりやがったな」と日本はどんどん南京まで引きずり込まれていった戦争です。

アメリカの戦争を見て見ればわかります。アメリカは日本の在米資産を凍結をしたのです。これが戦争になった一番大きな原因です。アメリカにある日本人のすべての財産を凍結したのです。その前にカリフォルニアで同じようなことがおきたのです。

日本人は真面目に働きます。真面目に働くからお金が貯まります。すると農場を買ったりするから「けしからん、日本人に土地を売るな!」とひどい差別をしたのです。

これは僕も京王プラザで体験しています。エレベーターに乗ろうと思ったら、中の白人が「ジャップ、ノー!」と言ったのです。これを体験して「これが人種差別というものだ」と思ったのです。満員だから乗れないというのではありません。「ジャップ、ノー!(我々と一緒に乗るな!)」という考え方です。それが白人の考え方です。

日本はハルノートを突きつけられて「大陸から手を引け」と言われて、「石油・鉄鋼は売らない」と矢継ぎ早にやられて、戦争をせざるを得ない状況だったのです。パール判事は「もし、こんなことを突き付けられたら世界で一番小さいモナコ公国ですらも立ち上がったであろう」言われたのです。

マッカーサーは連合軍司令官を朝鮮戦争で解任されました。朝鮮半島には中共軍がどんどん入ってくるので、「原爆を使うべきだ」と言ったのです。

当時の大統領に「原爆は使わない」と言われて老兵は去ったのです。
アメリカの上院の公聴会で証言したのです。これはかなり権威のあるものです。単なる参考人ではなく、元将軍が適切な公的意見を述べられた言葉があります。
 "There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security." 

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

これを見てもわかる通り、日本に勝った連合軍の将軍が「あれは侵略戦争ではなかった。彼らは何も持っていなかった。自衛のための戦争だった」と言ったのです。戦争を引き起こしたのは実はアメリカだとマッカーサーはわかったのです。

何もない国に「石油はやらない、鉄はやらない、資産を凍結する」ということはブッ叩くことですから、自衛のための戦争をして当然のことなのです。

どうしてそれが「教育勅語が戦争を起こして、多くの市民を殺した」という論理に結びつくのでしょうか? 絶対に結びつきません。

戦いには2つあります。相手を侵略する戦いと、防衛のための戦いです。防衛のために戦い、どのような精神を持っていても負けてしまうと、「だから負けたのだ」という論理になります。教育勅語の精神を持っていたから戦争に負けたのではありません。

「よくぞ戦った!」というべきです。日本人はよく戦ったのです。本当に何もない中でよく頑張ったのです。頑張ったのは教育勅語のおかげです。

しかも、終戦時にはこれだけの戦力があったのです。
軍人の数で言うと、365万人の軍人がいたのです。その内、シナにいた陸軍兵は173万人です。近衛師団は天皇をお守りする部隊ですが、近衛師団は無傷で残っていました。驚くべきことです。
日本海軍艦艇は168隻残っていました。

「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料があります。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものです。
一 戦闘機2,036機(26.9%)、二 攻撃機1,306機(17.3%)、三 偵察機701機、(9.3%)、四 輸送機58機(0.8%)、五 練習機3,431機(45.3%)、六 陸軍機34機(0.4%)合計7,566機(出典図書は7,567機としているが合計すると7,566機となる)

これだけの戦力がありながら、一斉に戦いを止めたのです。戦車も戦闘機も軍艦もすべてなくなって敗戦になったのではありません。365万人以上の軍隊がそのまま残っている状態で鉾を置いたのです。

それは天皇の命令だからです。負けてなどいません。硫黄島の戦いでも、米軍と日本軍の死傷者数は同じくらいです。このような底力を生み出し、世界に恐れられるゼロ戦を造り、神風特攻隊をつくったのは祖国を守るために戦ったのです。

それがどうして「教育勅語があるから戦争に巻き込まれた」というのでしょう。大馬鹿者です。防衛のためならば、男も女も戦わなければいけません。それが当たり前です。それが自然の摂理というものです。

「教育勅語で教育をしたから、日本が戦争に巻き込まれた」などという考え方は、如何に間違っているかということです。これも入り口でブッ叩く必要があります。教育勅語は何の原因にもなっていないし、結果にもなっていません。素晴らしい教育勅語です。

素晴らしい教育勅語だから、世界は真似して同じようなものをつくったのです。悪い言葉は一つも書いてありません。あえて彼らが言うのは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と書いてあります。これが気に入らないのです。国民は天皇の元に団結するのが当たり前です。天皇は独裁者ではありません。

このような愚かな論理をやっている連中は入り口で叩かなければいけません「どうして教育勅語が戦争を起こしたのだ、この馬鹿! お前たちが母国と言っている中国の毛沢東は自国民を1億人も殺しているのだぞ」と言わなければいけません。

この国にはこの国の秩序があります。天皇を中心とした民主主義です。主権は天皇にあります。主権は国民にはありません。国民はどこに行くかわかりません。国民一人一人が本当に教養があり、正しくて、素晴らしい歴史観を持っているならば、主権を持ってもよいでしょうが、そんなものはありません。

政治家を見れば汚職だらけ、スパイだらけ、何が公共心なのでしょう。公共心すらありません。政治家などいつもこいつもウソばかりついているので顔も見たくありません。稲田朋美を見てみなさい。統一教会のウソつき女です。言っていることすべてがウソです。

「信なくば立たず」というのです。1回ウソをついたら、政治家は終わりです。それだけのものを国民から預かっているのです。日本国は政治家のものではありません。国民のものなのです。でも、国民は運営できません。政治家に運営をゆだねているのです。

政治家は国民のお金を我が物顔で振る舞っています。それにストップをかけるのは天皇しかいません。

もう一つついでに言っておきますが、「特別立法をつくって、天皇陛下を退位させよう」など、大馬鹿野郎です。それでは天皇の私情ではないですか。「私心」がないのが天皇です。「私の都合で止めさせてくれ。次の天皇は誰がいい」と言いだしたらこれはもう公ではありません。私の情になってしまいます。

それを排斥しているから天皇は尊敬されるのです。もちろん、病気になったらお休みになられたらよいのです。そんなこともできるのです。「この一代に限り立法を作って退位を認めよう」など、全く間違っています。

それでは天皇の無理難題を通したということになります。天皇が無理難題を通すわけがありません。だから尊敬されているのです。何故、そんなことがわからないのでしょう。

森友学園の話でいうと、この節操なき政治家に対して、もう国民は飽き飽きしているのです。国民が自分たちの行動の様式の原点を求めるのは当然のことであり、その原点を森友学園は教育勅語に求めたのですから、それはそれで立派な教育です。

「教育の内容がいけない」というならば、キリスト教系の幼稚園も、仏教系の幼稚園もあります。「我が国独自のものがいけない」と言うならば、これらの幼稚園で神を教え、仏を教えることもいけないことになってしまいます。

森友学園の教育とお金の問題は別です。これはお金がないからそうなったのです。ないけれども、何かやろうと思うと援助をしないといけません。今回は小学校まで造ったのに、更地にして国に返すのでしょうか。何と言う無駄遣いをするのでしょう。もう、建物は建っているのですから、上手く有効利用できるように助け舟を出せばいいのです。

財界の誰かとくっつければよいのです。やろうとしたことはよし、金がないのだから出鱈目をやったのも事実、それでどのように終止符をつけるのかというと、生かすように考えればよいのです。何故そのようにできないのでしょうか。

徒然日記
 

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